見出し画像

TRUE LOVE(#song20-22 折り返しの橋立)

旅程二日目――天橋立 1

それは恐ろしい、恐ろしい――、
渋滞だった。
GW! なめていた。これじゃ高速使わないほうがよかったかも。
これまでも、途中で道が混む場面が何度かあったのだが、目的地の周辺から完全に身動きがとれなくなった。見渡せば、岐阜ナンバー、静岡ナンバー、同じ地名を探すほうがむずかしい。どれも同じ目的地へ向かう車なのだろう。

僕たちはもっと早く出るべきだった。昨日、福井での移動が順調だったため、連休の人出を軽く見ていた。
「これ、やばいかもしれん」
ダルシムが繰り返し言う。時間に対して言っているのか、道を間違えたと言っているのか、どちらとも取れる。

果てしなく遠く感じる。急に時間の流れが遅くなった。ダルシムと会話をし、その合間に幽霊の相手をし、息をつく間もなかったこれまでとは、大違いだ。
何時間ここに座っている? これでは、エコノミー症候群になってしまう。プラスし、冷気にさらされている僕は、冷蔵庫に閉じ込められているような感覚すら覚える。寒さに窮屈さ、片方でいいから、開放されたい。
まだプラスする悩みがある。本日の旅程が心配になってきた。何の前調査もしていないため、向かう先で、一般的な観光コースを回るのに、どれくらい時間がかかるのかも分からない。そもそも、天橋立(あまのはしだて)って、何を指して言うんだ?

午後四時をまわり、ようやく二日目の目的地……の近くの、両脇に駐車場が並ぶ道にたどり着いた。
我々に課されたミッションは、空きのある駐車場を探すこと。ひとつ前の車が、誘導員と思わしきおっちゃんに引っ張られ、左折していった。
さて、どうしたものだろう……。誘導員らしき人はどこかへ行ってしまったし、左右に見える駐車場は、満車のような気がする。
まずい! 後ろの車に怒られる。

なんともストレスの溜まる状況だ。日はすでに傾いている。あせる。まさか、来るだけで日が暮れてしまうのか。これが、真のゴールデンウィーク! 
おそるおそる進んでゆくと、無事、大きな駐車場に到着する。胸を撫で下ろした。

時刻は、すでに四時半。係りの人に駐車料金を払うと、パンフレットを二枚手渡してくれた。両面印刷の一枚ぺら。情報量は思ったより少ない。というか、その情報量すら読んでいる余裕がない。もう、日が暮れる。ここからは時間との戦いだ。

車を停めると、ダルシムがトイレに行った。
その間、僕は、駐車場と面している、海なのか湖なのか、水際まで足を向けた。青く澄んでいて綺麗だ。うん、綺麗だけど、これ何だ?
「ねえ、ここに立ってる人、誰もいないよ」幽霊がいう。

どこへ向かえばいいのだろう。デートというわけではないが、綺麗な子がそばにいるとそんな感じがして、妙に緊張する。
引き返し、駐車場の中ほどに、ダルシムを発見する。合流したのも、束の間。彼は、ソフトクリームを買いに行ってしまった。ぬう、時間がないというのに。
その際、プラスポはいらんの? と訊かれたが、断った。寒いのだ。これは車の外に出ても同じ。幽霊と一緒にいること自体が体温を奪う。

ダルシムが戻ってくる。今度は僕がトイレに行く。心なしか、幽霊の表情が険しいような……。
ようやく、足並みがそろった。
「ここが日本三景か」
「わたしもはじめてだー」
「行こうさ」ダルシムが言う。
最初、観光地に着いても気分は冴えなかった。よく言うように、人は非日常を求めて旅をするのだとしたら、すでに20年分は味わったと思うからだ。

ところが――、おお、これは、無理やりテンションが上がる。これが旅のパワーなのか。なにかしらの脳内物質が出ている模様。正体不明のため、以後、脳内物質Xと呼ぼう。

奇妙な組み合わせは、歩き出した。紳士1人、ダルシム1人、ギャル1人。別の言い方をすれば、生きている人2人、そうでない人1人。もっと別の言い方をすれば、合計2人だと思ってる人1人、3人だと思っている人2人。

駐車場の端から伸びた道を辿っていくと、古風なお寺があった。「文殊堂」とある。これも天橋立の一部なのか? この場でどれくらいの重要性を占めているのかイマイチわからない。
二階建ての塔があって、そこには、国宝と書かれている。
うん、雰囲気があってグッドだね。はい、次!

歩きながら訊く。「まふゆは体調わるかったりしない?」
「大丈夫だけど、なんで?」
「今、お寺通ったんだけど」
「ああ、そういえばそうだね」
幽霊も適当だな。

現在、自分たちがどこに居て、どこに向かっているのか、皆目見当もつかない。そこは導かれるまま歩く。つまり人の流れに乗っかる。
僕は、太陽の位置と、時計の針を確認した。この時期、日没は何時なのだろうか。
ダルシムはというと、「なあ、プラスポ聞いてくれ。さっきソフトクリーム買ったときな、おっちゃんがコーンの部分、素手で持って渡すんやんか」
こいつ、変なとこで神経質だな……。
ダルシムが訊く。「で、どこ向かってるんや?」
「適当に歩いてたら、どっか出るんじゃないか」
「そういや、職場の先輩から聞いたんやけど、ロープウェイとか乗るらしいんやんか」
「うそ、ロープウェイとか出てくんの? ちょっと、今さらそんな情報出すのやめてよ」
「……そろそろ言うけどさ、あんたら、どんだけ段取り悪いの」
まふゆ先生だ!
生前、お相手の男たちは、こんな可愛い子とデートに行けるなら、周辺の情報をアホみたいに調べてきたことであろう。
「わたし、昔だったら、怒ってるかも……」
「ですよねえ」僕は敬語になった。
「ま、ここまで来ると、逆におもしろいかな」
「ホント?」
ならチャンスとばかりに、なかなか言い出せなかった質問をダルシムにぶつける。
「なあ、けっきょく天橋立って何だろう?」
「いやあ、わからんわ」
「今、五時近くだから、日没までのタイムリミットはざっくり二時間だと思うんだ」
「それまでに、つきとめなきゃいかんわけや」ダルシムは言い、「そういうことだな」と僕は答えた。
隣から、「そこは調べとけよ」ぼそっと声がしたあと、「やっぱり切れようかな」とも聞こえた。

「看板発見!」
指をさし、きびきび動く。気合いを見せつけた。
看板には、「天橋立公園案内図」と書かれており、丁寧な絵がわかりやすい。
ほうほう、なるほど。
「プラスポ、ちょっとすまん」ダルシムは団子を買いに行ってしまった。
「何だか、すいませんねえ」
代わりに僕があやまり、まふゆはあっちを向いた。

「この看板で、すべてがわかった」
団子を片手に戻ったダルシムに、説明をする。まふゆに向けた説明でもある。むしろ後者がメイン。
「ここから橋を二つ渡ったところにある細長い地形、これが天橋立だよ」間髪入れずに続ける。「おっと、それ以上は考えないでくれ。そういうことにするしかないんだ。もし間違っていたとして、ここを歩いて帰ってくることしか、時間的に無理なんだ」
「質問!」幽霊だ。
「NO! 無駄口を叩く暇があったら歩くぞ」
いくら女の子だからといって、ときにはつっぱねる強さが必要だ。そう、脳内物質Xのおかげで、僕は、英国紳士に返り咲いていたのだ。

僕たちは橋を越え、ぐいぐい歩く。緑が多い。オール松の木だ、たぶん。
木々のかたちは様々で、老若男女といったところ。なかには、すっかり腰の曲がった者もいる。彼らは思うまま、光を遮り、影をつくる。地面に落ちた光と影の混合体は、計算された抽象アートのようだった。

観光客の数は、先の交通量から考えると控えめな気もするが、それでもなかなかの賑わいだ。前方に、自転車を漕ぐ子供を発見した。こんなところで自転車? いや、東尋坊には犬がいたじゃないか。観光名所には、諸々の事情があるものなのだ。

そして灯台下暗し。これまで意識していなかったけれど、幽霊も普通に歩くんだな。
まふゆに訊くと、「他の幽霊は、足元までイメージするのが面倒なんじゃないかな」
本当かな?
「足元までがオシャレだ。気合いが足りない」と言う。どこまで信じたらいいのだろう。自分のなかの幽霊像がどんどん歪んでいく。

だが、おかげで僕は、グラビアアイドルのような女の子と一緒に歩いている。悪い気はしない。彼女は、やや薄くて、他人からは見えなくて、手をつなぐこともできず、がんがん体温を削られるのだけれど……。
彼女の横顔を見る。少し嬉しそうだった。寒いから離れてとは、ちょっと言えない。

日本三景はいま、僕を旅行気分へと完全に引き戻してくれた。
こんな景色ははじめて見る。海をまっ二つに割るように、自然の道が伸びる。スケールがでかい。どこまでも伸びる公園、というのが、正しい表現だろうか。
そのまっすぐな道をゆく。両サイドの松林に視界を阻まれてしまい、海がよく見えない。左右をそれぞれ林をくぐって確認した。

左右の海は、見え方がまったく違う。
道の右側には、白い砂浜があり、その先に、鮮やかなハワイアンブルーが広がる。先日、婚約者とハワイ旅行に行ったというダルシムは、両者ほぼ同じ眺めだと言う。おおげさではなく、それは本当のような気がする。

折り返して、左側の景色。こちらに砂浜はなく、草地からすぐ海が続く。太陽が反射してわかりにくいが、水の色はグリーンに近い。ここもハワイ? とダルシムに訊いたが、彼は引っかからなかった。こちらはいかにも日本的な海である。
天橋立は、日米の境界線なのだろうか。なんて不思議なんだろう。

また自転車が通り過ぎる。今度はカップルだ。自転車のかごを見て、それはレンタルのものだとわかる。かもめの貸し浮き輪を連想した。なんだか懐かしい気持ちになった。二時間五百円、だったかな。かもめ側の人間もシステムがわかっていなくて、お客さんに訊かれる度、海ゆばーばを探しに行ったものだ。
そんな回想を遮るように、僕らの脇を自転車が駆け抜けた。またカップル!
どうもここはカップル率が高い。東尋坊で見た完全犯罪犬がいないのを残念に思う。

思い込みかもしれないが、きれいな彼女を連れた男たちは、周囲に対し優越感に浸っているように見える。男二人の我々に対しては特にそうだろう。繰り返すが、男の二人旅ほど絵にならないものはない。我々にしたって並んで歩いていて、お互いの手がかすったときなど、何とも言えない気まずい空気が流れる。

今回、引け目に感じることが少ないのは、芸能人のような女の子と、僕らは歩いているからだろう。先ほどから観察しているが、まふゆに敵う子などひとりもいない。とり憑かれた役得、なのかな。
今、通りすがりのカップルが、僕×ダルシムを二度見した。
やっぱりあいつら、優越感に浸ってないか? うむ、体温など彼女にくれてやろう。

僕たちははしゃいだ。公園の幅を歩測で測ったり、道にあるモニュメントにいちいちコメントしたり、石碑に刻まれた与謝野夫妻の歌を見て、僕とダルシムはわかったフリをした。まふゆが冷たい目でそれを見る。
歩きながらダルシムは、福井県某所にある妖怪食堂について語った。僕とまふゆは笑った。テンションが上がり、寒ささえ忘れた。恐るべし、脳内物質X。

ところが、ちょっと疲れてきたかな、と思ったとき、目に入った看板には、「500メートル」と書かれていた。
ダルシムと顔を見合わせる。「まだ、500メートルしかきてないの!」
たしか、この道は片道2キロあったはずだ。計算する。あと3.5キロも歩くのか! 
みるみるうちに物質Xが失われていく――。ああ、寒いし、疲れてきた……。

僕たちは一転して無口になり、黙々と歩いた。景色なんてどこも一緒の気がする。早い話が、松林でしょ。どこまで続くんだよ……。
また自転車が通り過ぎた。そうか! だからみんな自転車をレンタルするのか。
「わたし、『質問!』って言ったとき、自転車のこと言おうとしたんだけど」
まふゆが呆れた顔で僕を見る。
冷たいどころではない。氷点下のまなざしだ。
女の子から本気のダメ出しをされるとき、僕の脳内には、脳内物質Yがあふれるのだった。それは、物質Xと反対の性質を持つ。

僕たちは急いだ。左手に見える太陽との競争だ。なぜなら太陽は、この角度から一気に速度を速める。その様子は千里ヶ浜で幾度となく見てきた。
脳内物質Xの尽きた僕は、もはや英国紳士ではない。黙々と歩を進める巡礼者である。
「ペース配分とか考えられないの?」
供給されるのは物質Yばかり……。

状況は、さらに悪い方向へと向かう――どうもお腹の調子がおかしい。
少し前から、気づいてはいた。痛んで、おさまってを繰り返す。身体が冷えているためだろう。
「大丈夫、まだ大丈夫」そう言い聞かせ、自然に治癒するのを期待していたのだが、時間が経つにつれ、痛みは大きくなり、おさまってから次に痛み出すまでの間隔が短くなっていった。ゴロゴロと音もする。これは、やばいかもしれない。トイレってどこにあったっけ。けっこう前だったような……。

ようやく道の終端と思われるあたりに――つまり、僕たちが定義した天橋立の終わりに、到着した。景色はたいへん微妙。味気ないアスファルトに、民家のような建物、その脇には車が何台か止まっていた。ゴールしたという気がしない。もっと先に行けば何かあるのだろうか。

そのとき、最大の痛みが全身を貫いた。点滅するカラータイマー! 下腹部の、カウントダウンがはじまったのだ。
「ダルシム、ごめん」
自動販売機の前で飲み物を物色していたダルシムに声をかけ、きた方向へと走り出した。
これ、本当にやばい! いつの間にか、一秒を争う勝負になっていた。僕の競争相手は太陽ではない。
「どうしたの?」
まふゆが、すーっと横についてくる。
「トイレ!」
「あらあら」
本当のデートだったら、めちゃめちゃ恥ずかしいな。
そう思ったのも一瞬、なりふり気にしている場合ではない。
カウントダウンは、思いのほか早かった。敵は己。僕は走る。全速力といっていい。
なんとか、気を紛らわそうと試みる。あいつ絶対、缶コーヒー買ってるよ。あいつの缶コーヒー欲は脳内物質Zだな。
「物質Z! 物質Z!」意味不明の言葉を連呼して、僕は走った。
――トイレが遠い。
ひょっとしたら途中で見逃したのかもしれない。構わない。今は走るだけ。右を見ていれば確実にある。
ああ、トイレに紙あるかなあ……。

ギリギリだった。トイレのなか、ベルトを外す動作を同時に行いながら、個室の扉を開いた。15分間、そこから出ることができなかった。予想以上に体の状態が悪い。額に冷や汗がにじみ出た。
ふらふらと、ようやくトイレから出ると、前のベンチにまふゆが腰を下ろしていた。
「ああ、ごめん」
彼女は眉をひそめて僕を見る。
「大丈夫、大丈夫。鞄のなかにポケットティッシュが入っていたから」
「何、言ってるの……」
「え、ああ、今日は手も洗ったから」
「いつも、洗わないの……」
「えっ、いや」
「そんなことが言いたいんじゃなくて、今の、よくなかったかもね……」
「何が?」
「ダルシムから逃げたみたいだったでしょ」
「ああ、合流したら説明するよ」
「…………」
「あっ、携帯に着信と伝言がある。ダルシムからだ。全然気づかなかった」
まふゆの隣に腰をおろす。
「一本道だから、ここにいれば気づくでしょ」額にまだ汗がにじんでいる。
ほどなくして向こうから、缶コーヒーを口にしながらダルシムが歩いてきた。なんら変わったところはない。
まったくあいつはマイペースだな。
ほら、とまふゆを見た。彼女の表情は冴えない。
「急にどうしたんや?」
「それがさ」

旅程二日目――天橋立 2

僕らは駐車場の、スバルカーのなかにいる。
僕ら、というのは、僕とまふゆだ。
ここに向かう途中、ダルシムは、するめが気になると、土産物屋を物色しに行ってしまった。その際、先に車で横にならせてくれと、キーを借りたのだ。

お腹の具合はなんとかおさまったのだが、全体的に疲れている。冷えは万病のもと。調子のいいはずがない。しかもこれは幽霊といる限り、根本的な解決にはならない。
そろそろまふゆに、事情を説明しなければならないと思った。彼女ならわかってくれるだろう。短いつき合いだが、彼女はいい子だ。

ガラス越しに、黒い山々が見えた。その上には、半分近く太陽がかかっていて、今、日は暮れようとしている。旅が終わる。寂しいものだ。
シートにもたれながら、旅の最後の光景を思い出す。

トイレの前で合流した僕たちは、無言のまま歩いた。すでに日は大きく傾き、松林のなかは、到着した頃よりもずっと暗かった。光が公園に、横からぶつかる。木の枝に絞り込まれ、地面を縞模様にした。
木々の間を抜け、海をのぞくと、まぶしく広がった黄金のような水面の輝きと出会った。僕らはしばし、足を止めた。

振り返れば、楽しかったな……。
同乗者に声をかける。
「ところで、この旅はもう終わりなんだけど、まふゆはどうするの?」
「うーん」
「福井まで乗って行きたい?」それくらいなら、まあ。
「そうじゃなくて」
「ん」
「わたし、別に、いつ降りてもよかったんだ……」
「そうなの」
「こんなところまでついてくるなんて思ってなかった。ドライブは楽しかったし、けっこうあなたのこと、好きになったかな」
「ええ!」
「そういう意味じゃなくて」
「いやでも、俺まだ、生きてるし」
「そうじゃなくて! このままだと、あなたが殺されるかもしれないの!」
「――――へ?」

状況が飲み込めず、きょとんとする。殺される……どういうこと……。
「だから、そうはさせたくないのよ」
「いや、でも、最初は、まふゆが事故を起こすとかなんとか言ってたけど、そういうつもりはないんだよね。殺されるって……」
思わず、身を乗り出した。
彼女は、シーソーのように動きを合わせ、座席にもたれる。

「わたしは弱い霊なの。なにもできないの。あのときは、弾みでそういったけど、紙切れ一枚だって動かすことができないのよ」
ひと呼吸置いて、彼女はこう続ける。「わたしの姿を見てどう思う? しゃべっててどう感じる?」
きれいだとか、楽しいだなんて回答は的外れな気がして、答えられないでいると、彼女は正解を言った。「多分、普通の人と話しているのと、変わらないと思うのよ」
「それは思った! 幽霊って感じがしないんだよ」
「それが弱い霊ってこと! 霊は強くなるほど、その人のもとの姿から遠くなっていくし、話にも脈絡がなくなって、会話にならないのよ」
説得力がある。恐怖がじわりとこみ上げた。
「じゃあ、誰が……」
まふゆは、はあ、とため息をつく。
「あんた、自分に霊感があると思ってる?」
「……思ったことはないけど、こうしてまふゆの姿が見えてるわけだし、少なくともダルシムよりはあるんじゃないかな」
「ぜんぜん違う。霊能者とか、極端に霊感の強い人は別なのかもしれないけど、こういうのって波長なの。素人のレベルだと、その人の霊感の強さに見合った霊が見えるのよ」
「僕にまふゆが見えるのは、えっと、僕の霊感の強さと、まふゆの、その、霊としての強さが一致してるってこと?」
「そう! あんたはたいして霊感ないんだよ。もちろんそれだけじゃなくて、わたしがプラスポに合わせてるってのもあるかな。むずかしい話じゃなくて、あなたに興味を持ったってこと。他にも条件があるんだと思う。実際、わたしが見えた人ってほとんどいないからね」

まふゆの話の後半は、耳に入らなかった。
強い何かがいる……? 周囲に向けて意識を澄ます。
背筋に冷たいものが走る。状況は、深刻なのか。いつから……。

車内が静まり返る。
まふゆが僕を見た。「落ち着いて聞いてね。ダルシムはね、あなたよりずっと霊感が強いのよ。だから……」ごくっと唾を飲む。「強いのが憑いてる」
あいつもか! 衝撃を受けると同時に、いくつもの疑問が湧き上がる。腑に落ちないものばかりだ。

まふゆの冗談じゃないかと思い、ひきつった笑みを浮かべ訊ねた。
「ダルシムも、僕とまふゆみたいに会話してるって言うの? それにしては普段とまったく変わらないんだけど。あいつ怖がりだから、絶対わかるよ。人を殺せるような強い霊なら、なおさら」
まふゆは冷静だった。「気づいてないんだよ。ダルシムに憑いた霊は、会話でコミュニケーションをとるんじゃなくて、一方的に意識を支配するって感じ」
「支配?」
「相手はそれだけのことができる霊ってこと。わたしとは全然レベルが違うのよ」
矛盾を感じた。「語り口はダルシムそのものだけど?」
彼の発想をコピーするなど不可能。人生会議をすれば、本人かどうかなんてすぐ分かる。
「今は、ダルシムが考えてしゃべってるんだと思う。けど、そのきっかけは彼女が与えている。ほら、口にする話題なんて、なんとなく思いつくものでしょ」
彼女? 気になるが、ひとまず頭の隅にやる。
「きっかけって……」会話に不自然な流れなんてあっただろうか?「彼の話は……いつも通りだよ」
「じゃあヒント。幽霊は生きてる者に、自分のことを思い出してほしいものなの」
今日、彼の話にもっとも多く出てきた人物は――、
考えるまでもない。
「夏実……」
そうつぶやいたのを、彼女が拾う。「ご名答。やっとわかった?」
そしてまたひとつため息をつく。
「どう考えてもそうでしょうが」

納得できない。「いや、ダルシムは会うと、いつもその話をするんだよ」
そう言いながら、思い当たる節もある。今年、彼の語りはいつになく熱かった。
だけど、「その話題は、まふゆがせっついたからってのもあるでしょ」
「そうなんだけど……」彼女の表情は重い。できれば違っていてほしいと言っているかのようだった。
「……死んだっていうの? 信じられない。特徴を教えてよ」
「わかれば苦労しないって。映りの悪いアナログテレビみたいな感じなの。強い幽霊ほどもとの姿をとどめないって言ったでしょ。若い女性だとは思うんだけど……」
なら、まだ決まったわけじゃない。
「話たりした?」
「無理、無理! わたしだって怖いよ。彼女には、わたしが見えてないの。でなきゃ、こんなとこ、いられないって」
「幽霊同士なのに?」
「えっと、強い念の幽霊ってのは、なんていうんだろ、考え方とか物事の見方が歪んじゃって、実際にまわりがよく見えなくなっているの。たとえば、ドラえもんのひみつ道具に『石ころ帽子』ってあるでしょ。彼女からしたらわたしは、道端の石っころって感じかな。その証拠に、わたしとは一回も目が合ってないし」
「僕のことは見えてるの?」
「うん、ロックオン。すっごい見てたよ」
「…………」

確かに、僕が当事者の可能性が高い。
「でも……、夏実だって証明には、ならない」思った以上に声は小さく、自分でも、誰に向けての言葉なのか分からない。
「証明? 算数のこと言ってるの」
彼女は、足しになるかわかりませんけど、と皮肉を挟んで言った。「今日ドライブがはじまってから、彼女の念はずっと強くなってるのよ。わたし、ずっと観察してたんだから。さっきプラスポが逃げてからは、ホントすごいよ。拒絶されたって感じたんじゃないかな」
「だってあれはトイレでしょ。逃げたわけじゃない!」
「重要なのは相手がどう思うか」
「だからって、殺すなんて……」
「幽霊の特徴をもうひとつ。助けてほしいと思ってるのよ。程度の差こそあれね。想いに凝り固まった幽霊は、まわりが見えなくて、自分のことしか考えられなくて、どうしていいかわからなくて、生きている人間を引きずり込むの」
「こんな夕暮れになってから言わないでくれ。すごい怖い」
「わたしも怖いかな……」
「ええ、ちょっとー」
「夏子だと思いたくないなら勝手にすればいいけど、いずれにしても、あなたは強い霊に狙われているのよ」

たしかに……。まふゆが嘘をついているとも思えない。
「だったら、受け入れちゃったほうが、作戦も立てやすいんじゃないの」
作戦……生き残るための? 突然の展開に頭がついていかない。
「わたしだってそのために、夏子のこといろいろ訊いてたのよ」
「ええっ、面白がってたじゃん!」
「それはゴメン。だって霊が人を襲うなんてめったにないし、夏子だって、強いって言っても、中の上くらいだったのよ。楽観的に見てたんだけど、こんな最悪な事態になるなんて思ってもなくて」
「待って、待って。今、最悪の事態なの?」
「うん。トイレで合流したとき、びっくりした。夏子の顔が真っ黒なんだもん。あんな強いの見たことないよ」

冷静になろうと努めた。たしかに話の筋は通っている。だが、現実感がない。こんな話、信じろって言うほうが無理だろ。
呆然とする僕に、まふゆが言う。
「お腹こわしてたときの留守電、聞いてみたら?」
「あれ? ダルシムから、『今どこ』って入ってるだけだと思うよ」
「いいから。こういう機械のほうが、録音してること多いのよ。ほら、心霊写真とか、CDやレコードに混じった声とか」
「ええ、心の準備が」
「早く! ほら、ダルシムが戻ってきた」
「ええ、こわっ、どうしよう」

窓の外を見る。ダルシムは何ら変わったふうには見えない。土産物の手提げ袋を持って歩いてくる。
変な話を聞いたからだろうか。その淡々とした動き、平坦な表情が、次第に、殺人鬼が迫ってくるような、圧迫感あるものに感じられた。でも、そんなの信じられない。

まふゆ、嘘だって言ってくれ! すがるように彼女を見る。彼女は表情を変えない。この状況から逃れたい一心で、携帯電話の再生ボタンを押し、耳に押しつけた。
「メッセージが一件あります」抑揚のない音声のあとで信号音が鳴り、それから、
『今、どこにいるの?』
とてもとても長く感じた。それは――、
女の人の声だった。
僕は気絶した。

かもめ回想録 5

――夢の中、僕はかもめにいた。
なんとなく、あの夏の、翌年のかもめだとわかる。そこには、ダルシムも、夏実も瑞穂もいないのだけど、柱の陰からふいに誰かが出てきそうな、妙な感覚が残っている。夢のあと。寂しい感じがした。

かもめじじいと海ゆばーばは、変わることなく健在で、あとは顔も知らないバイトばかりがいた。
僕はすることもなく、あたりをうろついてみる。客はいない。とても静かだ。誰にも僕が見えていないようで、寂しくなる。なぜ来てしまったのだろう。

……僕の胸に、ある淡い期待があったのだ。それがわかるだけに、自分が馬鹿みたいに思える。役者はだれもいないのに、僕だけが、あの夏にすがりついている。
むなしくなって帰ろうと思い、裏口に続く通路を進む。

建物から出ようとして、外の光に目を細めた瞬間、誰かがすれ違いざまに入ってきた。夏実だ!
そう、あの翌年、一度だけ夏実がやってきたのだ。
夢の中で、はっきりと彼女の横顔をとらえた。本当に、あのときの彼女だろうか。妙に大人びて見えた。まるで時が経った現在の彼女のようで、記憶がすり替わっているようにも思えた。

僕は、夏実のほうに顔を向けたが、彼女は振り返らず、真っ直ぐに歩いてゆく。
向かった先は、厨房のカウンター前に置かれた大テーブル。すでに海ゆばーばが腰を据えていた。まるで、ここに夏実が来ることが、わかっていたかのように。
夏実は向かいの席に座る。これも、そうすることが決まっていたように。
その場から、進むことも、戻ることもできない僕は、そばの柱に背中を預け、何もない場所を見た。二人が何を話しているのか、ここらかは聞きとれない。だが彼女は、必死で何かを伝えているようだった。

テーブルの様子を一度だけうかがった。海ゆばーばの手振り身振りと、それに合わせ、大きく動く顔が見えた。それから、小さな背中。
「あんたの言うことは理解できんわ」
はっきりと聞きとれた。

見ると、魔女はいない。テーブルには夏実だけが、しおれたように小さく座っていた。
やがて彼女は動き出す。来たときと、逆の方向へ、ゆっくりと。
柱にいる、僕の前を通る。僕はなにか話しかけようとした。けれど彼女は、目を合わせようとしなかった。そして光のなかに消えた。
伝えたかった何かは、否定されてしまったのだろう。

彼女の残像に、僕は話しかける。
「海ゆばーばはさ、君のことを本当にわかっていて、話しているわけじゃないんだ。君はこうだと、決めつけてしまったんだよ。だから、落ち込まないで」
そう言ったあとで、魔女の、火を吹く映像が頭をよぎった。ちょっと可笑しくなる。「まあ、あの迫力は反則だよね」

残像は、薄くなる。なんとか人の形をとどめる。
「どうか、魔女の呪文にかからないでほしい。でもね、海ゆばーばのそんな思い込みが、誰かの支えになることもあるんだ。海ゆばーばは、ああ見えて、人を助けることも多いんだよ。君のことをよく思っていないから、あんな言い方になってしまったんだ。相談する相手が悪かった。ただそれだけ」

夢は、混濁し、場面が飛んだ。
どこかの教室、目の前には黒板がある。そこには、ハートの形が描かれていた。僕はチョークを手にとり、黒板に、二本の線を引く。ハートを、四つに区切った。いつか理科の授業で習った。心臓には、右心房や左心室、合わせて四つの部屋がある。

ひとつ、足りないかな。ハートの真ん中、直線が十文字になった部分を、円で囲む。
部屋は、もうひとつあるんだって。ここには、自尊心をためたタンクがあるんだよ。それは、生きてる価値があると思えること。目に見えないかもしれないけど、血と同じで、尽きればやっぱり死ぬんだ。
君は、相談する相手を間違えた。そう、相談する相手を、ね……。

叔母さん、海ゆばーばなんて言って悪かったね。ちょっと力を貸してくれないかな。貴女の魔女の力を。
斜めにチョークを動かす。「理屈じゃないんだよ」
いくつもの線が刻まれる。「誰かを救い得る、想いの力を――」ハートが白く、隙間なく塗りつぶされる。「ここに、プラスしたいんだ」

僕は目が覚めていた。けれど、もう少し寝ているふりをしなければならなかった。涙が渇くまで。

僕は嬉しかった。
いつかの後悔、彼女を救えることが――。


===
【おまけ】
天橋立の観光ガイド

【作者コメント】
今回、長くなりました。記事を区切ろうかとも思いましたが、暗転する感じを出したくて突っ切りました。ドライブは折り返しですが、ここから一気に加速します。どうか奇妙なドライブにもう少しお付き合いください。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

ぜひサポートをお願いします!良い記事を書くためのモチベーションにさせていただきます!