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魔法少女はメタルを聴く 第11話「もう自分をとめられない、かも」【最終話まであと1話】

――ふふふ、あきらめたとでも思っているの。
貴女がわたしから、逃れられるわけないでしょう。

佐々木ほのか、七月十七日生まれ、蟹座、二十六歳、群馬県出身、A型、ABZ派遣所属、容姿A、スタイルA(88―60―86)、性格タイプは「内向型論理思考タイプ」、男性経験なし、交友関係は………………よく利用するショップは………………オフィスを出る時刻は…………身体・健康面…………特技…………ゼミの卒業論文のテーマ…………。 

貴女を幸せにできるのは、わたしだけなのよ。 

事件から一週間が過ぎた。表面上、わたしの生活に変化はない。
「佐々木さんのストーカー、まだいるよね。三角関係のもつれってやつ? バイの世界はバイの世界でたいへんだよねー」
「そのうち刺されちゃったりして、はは」
(そうか、彼女まだいるのか……)

トイレの個室をばたんと出る。
「あっ、佐々木さん」
わたしの心は波だたない。決まりの悪そうな女子社員たちの横をすり抜けていった。

その昼休み、駅をかこむ連絡通路の手すりの前にわたしはいて、そこに両腕を重ねて景色を眺めている。人のあまり通らない地点を選んだ。あのベンチの場所へはしばらく行っていない。

今日はすこし風がある。
風は乾いていて、冬の肌触りがした。
こうしていても目立つことはないだろう。わたしの背中を隠すように、連絡通路に付属した太い柱がある。

横には、わたしと同じような恰好で、オズがたたずんでいた。
「なあ、元気だせよ」彼女は言う。「まあ、あんなことがあった後で、わからなくもないけどさ」
「ええ」
わたしの正面、視線の先には全体が青っぽい、一枚の巨大なガラスのようなビルがあって、そこには別の大きなビルが映っていた。
「そういや、警察には届けたのか」
わたしは首をふる。
「いいのか? また襲われたらどうするんだ」
「次はだいじょうぶだと思う。いちおう大きな音の鳴る防犯グッズを持ったから」
「そうか。けど気をつけろよ。なんせ相手はどう見ても」
そのオズの声をさえぎって、「あれから、いろいろ考えたんだ」
「ん?」
オズのほうに半分顔をむけたとき、一瞬、強い風が吹いた。髪が流れるのを、そっと片手を添えておさえた。オズの目が大きくなる。
「おまえ……、そんな仕草してると、今度は別のストーカーが現われるぞ」
「そんなって」
「なんか、しおらしくなった」
「どうだろうね」
心の波が凪いでいる。事件以来、心境の変化があったことはたしかだ。
「彼女のおかげで、考えさせられたんだ。人を好きになるって、命がけなんだね。彼女の気持ちもわからなくはないの。わたしだって、彼の何を知っているわけでもない」
「それは……」
「たしかに彼女はやりすぎた。もともと、他人との境界のとらえ方に問題があったのかもしれない。だけどあれは、わたしの姿だとも思うの。いまは抑え込んでいる、心の奥にいる自分。幻想に、ナイフを突き立てようとする自分。……だから、直後は怖くなった。人を好きになることが」
それを聞いたオズは表情をゆるめる。「まあ、そう思うんだったらさ、ハルキってやつのことは」
「けど」強い口調でかぶせる。「ハルキをあきらめられるかと言えば、それはできない」
「おい!」
「もう自分をとめられない、かも」
「おまえ」
「覚悟がいるってわかったの。彼女はそれを教えてくれた。わたしはわたしのやり方で、ハルキに気持ちを伝えなくちゃならない。このままじゃいつまで経っても先に進めない。それどころか、彼は誰かのものになる。わたしの気持ちは、その存在すら知られることがなくなる。もしそうなったら……、死ぬよりもつらい」
「つまり、あれか」オズの顔が引きしまる。「告白」
こくんとうなずくと、彼女のほうが顔を赤くした。
「そ、それで魔法は」
「使うよ」
「なんか今さらだけどさ、そういうふうに利用すると、悪役の魔女みたいだな」
「いいじゃない。それもわたしの持つ、かけがえのない力なんだから」
迷いはなかった。オズに話してみていっそう確信できた。
「お、おまえ、すがすがしいな」
「って、先輩の受け売りなんだけどね。これまでわたしが払った犠牲のぶんの、ほんのわずかな奇跡。それはインチキじゃないよ」
ふう、とオズは息をついた。それは了解の合図のように聞こえた。
「けど、そんな都合のいい曲があるか? わかんねえけど、ラブミーなんとかみたいな」
「考えがあるんだ。まだ決まりじゃないけど。とにかく言えるのは、すべてをかけてハルキにぶつかるってこと」
「いつだ」
「今週末。そうね、金曜の夜」休みの前がいい。それ以降は、世界のすべてがなくなると思え。
「また急だな。ちょっと早くないか」
「時期はベストだと思う。街はもうすぐクリスマスの仕様になるから……」
「ああ、あれか。クリスマスにひとりは嫌だから、恋人を作っておこうって心理。けど直前じゃいかにもだから、本当の勝負はいまの時期、みたいな」
「うん」
「そこは計算するんだな」
「勝たなきゃ意味がないの。それに、こんな気持ちでいるのは、わたしだけじゃないから」
「さち子ってやつか」
「ええ。他にもいるかもしれないし」
「いるかあ? おまえ、ぜったいあの男を買いかぶりすぎだって」
言ったあとで、オズはごほんと咳払いをした。「で、場所は?」
「お昼によくいたベンチの前。あそこで待つ。ハルキは、帰りもあの前を通って駅に向かうの。いつまでも待つ」
「なんで言い切れるんだ……って、まさか、ここ何日か先に帰ってろって言ったのは」
「そう。外からエントランスを監視して、ハルキの行動パターンをチェックしていた。建物のなかだと、ばれちゃうから」
「本気だな。ずっと待ってたのか? 夜はけっこう寒かったぞ」
「なりふりかまってられないの」
「はあー」オズは大きく息をはいた。「わっかんねえ。あたしにはぜんぜんわかんねえ」
それから彼女は、よし、とこう言った。「あたしも見守っててやる」
「野次馬?」
「馬鹿! まえのストーカーが邪魔しないとも限らないだろ」
「冗談よ」
微笑んで、「ありがとう」と言うと、オズがまた困った顔をした。
「そのときわたしは魔法少女になるよ」
「それは嬉しいけどさ、どうも気が抜けるっていうか。そういえば、おまえ、なんかリカってやつと雰囲気似てきてないか」
「リカさん……?」
「ああ。妙に落ち着いたところとか。あいつ、そんな感じじゃなかったか」
「馬鹿いわないで」
「ほえ」
「一緒にしないでって言ってんの」
その名を聞いて、ふいに力がみなぎってくる。不敵な笑みが湧いてくる。「あんなの格下じゃない」
オズが目を丸くする。
「だってわたしは、最強の魔法少女なんだから」
オズが、ひゃあと言った。

いま、胸が熱い。
ずっと熱い。魔法少女を志したあの日よりも、ずっとずっと。

○  ○  ○

おそらくは気持ちを整理する時間がほしかったのだと思う。
事件の日からわたしは、お昼に利用していたベンチのところへは行っていない。よってハルキとも会話を交わしていない。それは決戦の日まで続くだろう。かまわない。告白すると決めた今、あの場所で話すべき、気軽な話題を思いつかない。
その代わり、夜、こんなメールをした。
「お仕事おつかれさまです。報告するのを忘れていました。このあいだ、ビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』を買ったんです。お洒落なジャケットですね。見るたびにハルキさんを思い出します。けど、実はまだ聴いてないんです。仕事がひとつ終わったら、きっと聴きます。教えてくれた他のアルバムもきっと聴きます。どうもありがとう。おやすみなさい」

しばらくしてから、こんな返信が返ってきた。
「お疲れさまです。『ワルツ・フォー・デビー』を購入されたんですね。ぼくがそのアルバムに出会ったのは大学生のころです。当時はやはり、あのジャケットに惹かれて購入した覚えがあります。ジャズの入門書としてはぴったりだと思いますよ。ただ、他の音楽ジャンルに比べれば、刺激が少なくて退屈でしょうし、通して聴くには、まとまった時間なり、精神的な余裕なりが必要かもしれませんね。ジャズの名盤を手にとってくれて、ぼくも嬉しいです。おやすみなさい」

――なんで、こんなに優しいんだろう。
むこうにしたら、わたしのメールなんてまるで意味が通じないだろう。それでも彼は意図を汲もうとして、丁寧に返してくれる。
メールを、携帯ごと抱きしめた。
いい。今は何もわからなくていいから。

オフィスにて――、
視界がせばまる。わたしの世界は圧縮され続けている。やがてそれも臨界点を迎えるだろう。
どことなく浮世離れしていて、この世のどこにも存在していないような、ハルキという独特の存在。その透明度は増幅され、ついには、体積を持たないひとつの質点となった。重たい、重たい、ビッグバン寸前の超物質。
わたしの鋭敏な神経は、その一点に向かうベクトルすべてに反応する。

さち子が席を立つところを捉えた。彼女はわたしの視線に気づき、目を逸らした。これまでと変わらない様子で、なにかの資料を手にハルキのそばへ行く。
彼女もまだ告白できずにいるんだな……。

決戦の日まであと二日。おそらく、わたしが先制攻撃を仕かけることになる。そしてそのアドバンテージは大きい。彼は優しい。わたしのことを、まだそれほど好きでないとしても、けど、嫌いでなければ、つき合ってくれる可能性がある。わたしはその優しさに甘える。それでいい。わたしの想いの半分、いや、四分の一でも十分の一でも、わたしのことを好きになってくれれば、それでよかった。

もしそうなったとして……、と想像してみる。
さち子の献身ぶりを考えると、素直には喜べなかった。彼女は泣くのかな? わたしよりもずっと前から、彼のことが好きだったのに……。
そのとき、わたしの脳裏にきらめいたもの。ナイフ。あの晩、弱々しい蛍光灯の明かりに照らされていたもの。女の残していった冷たい路上のナイフ。――泣くのかな? 違う。恋愛はそんな甘いものじゃない。
だれかが笑って、だれかが泣く。負けただれかは切り裂かれ、血を流すのだ。
自分のことにもっと集中しなければならない。わたしはすべてをかける。だから、これだけは言える。貴女の想いにけっして負けていない。

眠れない夜が続いている。誰もがみんな、こんな想いをしてきたのだろうか。
そんなときはベッドのなかで目をつむって、決戦の日に使用する魔法を確認する。わたしの選んだ魔法はほんとうに正しいのか、他にふさわしい魔法がないのかどうか。楽曲を並べながら考える。おそらく答えは変わらないだろうが、何度検証しても、し過ぎることはない。

魔法の選定は、(魔法の効果に直接結びつく)曲のタイトルもさることながら、本人が認める佳曲であること、メタルという枠で見て優れていること、客観的評価という意味でバンドの有名曲であること、が重要となる。

そうした基準で眺めると、初代ボーカル、ポール・ディアノ時代のナンバーでは――、

〈オペラ座の怪人〉
楽曲は怪しいイントロからはじまり、今にも事件が起こりそうな、緊張感のある独特のメロディーラインが展開される。七分を超える力作で、これがファーストアルバム収録なのだから驚かされる。

〈ラスチャイルド〉
洋館から不気味なゾンビが次々と飛び跳ねてくるような、わたしの好きな軽快なナンバー。

〈鋼鉄の処女〉
ファーストアルバムの表題曲にして、バンドを代表するストレートなメタルチューン。わたしは通常、ブルース・ディッキンソンのライブバージョンで聴く。

〈キラーズ〉
こちらはセカンドアルバムの表題曲。わたしの思うメイデン色はやや希薄な気がするが、「キラー、ビハインジュー!(わたし訳、お前のうしろに殺人鬼!)」のサビが印象的。

黄金期、ブールス・ディッキンソン時代のナンバーでは――、

〈明日なき戦い〉
魔法少女研究会との契約の日、まさにわたしをノックアウトした曲。メイデン印の強力なリフが、猛回転しながら疾走する。

〈魔力の刻印〉
「シックス! シックス! シックス!」ディッキンソンが悪魔のナンバーを声高に連呼する。続けて、「ナンバー・オブ・ザ・ビースト!」
新約聖書「ヨハネの黙示録」にある、世界の終末の描写から来ているようだ。

〈審判の日〉
しっかりとメイデン印の押された、メタル史に残るパワーバラード。ただし、バラードと言っても曲調はあくまでメタル然としており、テンポは充分に速い。

〈誇り高き戦い〉
オズが以前わたしに勧めてくれた曲。原題は「ラン・トゥ・ザ・ヒル」。あとで調べたところ、アメリカ先住民族と侵略者の戦いを描いた、シリアスな内容の曲だった。

〈悪夢の最終兵器(絶滅2分前)〉
とにもかくにもタイトルが印象的。シンプルに過ぎる感もあるが、勢いがあり、ライブ映えする定番の曲。

まだまだある。
眠るのが先か、楽曲が尽きるのが先か――。

○  ○  ○

その日はやってきた。もっといえば、その日の夜がやってきた。充分な準備ができたとは思わない。だが、充分な準備ができたと思える日は永遠にやってこないのだ、とは思える。

街は徐々に、クリスマスの装いに切り替わろうとしていた。
一部の場所ではすでに、もみの木の模型が設置されていたり、クリスマス仕様の電飾を見かけたりと、その様子が見てとれる。もっとも、都会的な景観を大事にするこのエリアでは、季節を問わず、色とりどりの光が夜の景色を彩るため、そうした変化は穏やかなものだ。

いまわたしたちのいるベンチのある場所は、強い光源の直撃を避けている。できれば目立ちたくないわたしには、とても助かる。
近くには、いつのまに置かれたのか、クリスマスイベントのプログラムを書いた立て看板があった。というのも、すぐうしろの常緑樹にかこまれたスペースは、時折ちょっとしたイベント会場として使われるのだ。スペースの頭上には、ジャングルジムの一部のような骨組みがあって、ぱらぱらとライトが付属している。
看板の日付を見れば、イベントはもう少し先のようだった。

厚着をしてきたけれど、まだ寒い。
わたしは、オズと並んでベンチに座り、ハルキがくるのを待ちわびている。
今日の彼は遅くなるのだろうか。何時間でも待つ。もしだれかと一緒なら、頼んでふたりきりにしてもらう。それくらいの覚悟でいる。今日は、運命の日にして審判の日。これより先はない。

わたしの視線は、星の数ほどある街の明かりを移ろって、魔法少女研究会のこと、そして、そのメンバーのことを思い出していた。リカさん、ロウィン、レイ、おぎわらさん、オズ、ディーパさん。

無駄なことなんてひとつもない。その言葉はいま、過去すべての時点からわたしを支えるため、時空を超えて根を張りつつある。すべての出来事の意味を、書き換える。
数々の出会いがあり、喜び、もがき、後悔して、いまのわたしがある。だからこそ、運命の相手と巡りあえた。

オズがときどき身体を動かし、座る姿勢を微妙に変える。今夜、わたしたちの口数は少ない。質問というよりは、間をつなぐといったふうにオズが訊ねた。「そうそう、魔法は決まってるんだよな」
「うん」
「音源を聴いておかなくていいのか。はじめて使うんだろ」
「だいじょうぶ。頭に叩き込まれてるから」
「そりゃそうだな。柱の楽曲をイメージすることなんて、わたしたち魔法少女にとっては造作もないことだ。柱のアイテムは?」
「バンドTシャツを下に着てる」
質問はすぐにつき、今の空気がよっぽど居心地が悪いのか、オズが指を折りながら、メイデンのナンバーを挙げていく。「えっと、エイシィズ・ハイ、トゥルーパー、キラーズ、ナンバー・オブ・ザ・ビースト、パワースレイブ……、ぜんぜんぴんと来ねえな。まさか、ブレイズ・ベイリーが歌うナンバーってことはねえだろ」
「じきわかるよ」
「別に教えてくれたっていいだろ。あいつ、いつ来るかわからねえんだし」
「きた」
「え!」オズがびくっと動く。

ハルキはやってきた。いつもより早い時間に。ひとりで真っ直ぐ、こちらに向かって。
意識の移動はスムーズだった。
次の瞬間、あたりから狂喜の歓声が湧く。現われたフロントマンが、煽るように宴の開始を告げる。ギタリストが単独、力強いリフを奏でる。もう一本のギターが、すぐそこに重なる。
わたしの好きな、メイデンお得意の、車輪のように回転するリフ。
二体の巨人の奏でるギターが、地表すれすれを狙って飛翔するベースが、それらを支えるドラムスが、大きなうねりとなって疾走する。
これこそメタル。身体の芯が熱くなる。

すっと足が出た。街にはメタルが流れている。
飛び出した。心が。
心は駆け出していた。ハルキにむかって真っすぐ歩く。わたしはもう気持ちを隠す必要がない。
しばらく進み、そして立ち止まった。「おつかれさまでふ」
ハルキが、「あ」と言い、ふいをつかれた顔をする。彼も立ち止まった。
初冬の気温に冷えていたはずの顔は、相手の前で一瞬のうちにほてった。かまわない。音楽は止まらない。
彼は、「おつかれさまです」と答えたあと、「あ、あれ、どうしたの」と驚いた様子を見せる。無理からぬこと。わたしには特別な日でも、彼にすれば、ただの平日の晩にすぎない。そこにわたしが飛び出してきた。けど、彼の挙動からは、そうした事情以上の狼狽がうかがえた。
きっとわたしは顔に出てるんだ。目が潤むのがわかる。

だいじょうぶ、それでいい。自分の気持ちを偽りもごまかしもしない。本当のわたしを見られてもかまわない。
「急にすいません。けど、どうしても伝えたいことがあったんです」
「は、はい」
と、そのとき、背後の楽曲が、風を受けたろうそくの炎のように、くにゃりと歪んだ。
そこは立て直すも、風圧は強まる。
時間をかけて気持ちを整理して、ここまで覚悟を決めてきたというのに、気圧されて、逃げ出してしまいそうだ。いまならまだ間にあう。誤魔化して、なかったことにできる。悪魔のささやきが聞こえる。

「あ、あの」顔が真っ赤になる。いまが勝負のとき。立ち向かわなければ。大事な日――。この瞬間こそ、過去の多くのものと引き換えに、魔法少女となるのにふさわしい。
もう少しで楽曲が、サビにくる。
もうくる。くる。くる。
魔法少女になる瞬間、わたしは、楽曲の、魔法となるべきフレーズに合わせ、はじめてその言葉をとなえる。リカさんやオズ、これまでの魔法少女と同じく、静かな、誰に聞かせるでもない厳かな声で。
――アイアン・メイデン。

そう! わたしの魔法は「鋼鉄の処女」、アイアン・メイデン。
つまり、アイアン・メイデンの「アイアン・メイデン」
バンドの名前を冠した曲、メイデンらしいストレートなメタルナンバーだ。しかも、ハイテンションなライブバージョン。

それは自分が自分であるための魔法。
わたしはわたしだ。過去、未来、現在……、どんなわたしをも否定したくない。それはあなたが教えてくれたこと。少しでも、ちょっとでもいいから、その気持ちを強く保ちたい。
「覚えてないと思います。けど、いつかあなたは、無駄なことなんてひとつもないと、そうわたしに教えてくれたんです」
ハルキは視線を上にやる。思い出す顔をする。

わたしはこれまで、ずっと自分を否定してきた。ずっと心を閉ざしてきた。これ以上傷つかないように。それだけを考えてきた。
硬い殻のなかにいて、守ってばかりいて、狭い世界に轟音を響かせて心を麻痺させてきた。恋愛ができないんじゃない。外の世界を何も見ず、何も聴こうとしなかった。事実、あの日まで、ハルキのことすら見えていなかったのだ。
すべてを捨てて、すべてをさらけだす。それだけの価値がこの瞬間にはある。
またサビがくる。――アイアン・メイデン。ささやくように、言い聞かせるように、空気を震わせる。
「自分でもわからないんです。けど、そのときからわたしは変わってしまって――」あとひとこと言えればいい。そのままを伝えればいい。――アイアン・メイデン。
「わたし」あとひとこと。サビを繰り返す。アイアン・メイデン。アイアン・メイデン。

わたしは今、沈みかけのボートにひとりいる。
身体が重い。このままでは水の底へ沈んでしまう。鎧を脱いだだけでは、まだ重いようだ。
捨てるんだ。まだまだ捨てられる。
投げ捨てろ! 衣服も靴も、貴金属も、プライドもぜんぶなにもかも! そうして最後に放り投げたなにかが、水面で大きな音を立てた。
「あなたが好きなんです」

熱い。はじめてさらした肌が、外の熱に真っ赤になる。
そこに現われたもの。心の底にずっと眠っていた恋する少女の顔。「わたし、生まれてはじめて人を好きになったんです」
言えた。
ハルキもわたしも動かない。
まだ楽曲を止めるわけにはいかない。わたしが最強の魔法少女だというのなら、どうか伝わって! わたしの気持ち、本当のわたしの姿。八十、九十、百パーセントの伝導率で。

アイアン・メイデン、キャンビー、フォー、アイアン・メ、

ぴたりと音楽がやんだ。
「ごめんなさい」
彼が言ったその瞬間。

彼の言葉は、わたしのなかですぐ意味をなさず、少し抜けたところのある彼が別の解釈をしてしまったのではと思ったが、小さくも芯のある声で、はっきり彼はこう言った。「ごめんなさい」そして、「好きな子がいるんです」気持ちは――、
伝わっていた。
かろうじてこう訊く。「さちこさん……、ですか」
そう言うのが精一杯だった。とまどったあとで彼は、照れくさそうにうなずいた。「はい、自分でも気づかないうちに」

そのときの彼の顔。とても残酷だった。わたしの好きなやさしい顔をしてたから。
まだしばらくのあいだ、音楽を無音に保たなければならなかった。「……そうですか」彼が、困らず立ち去れるように。
「ごめんね」
表情をなくしたわたしを残して、ハルキが遠ざかってゆく。

時を止め、音楽を止め、呼吸を止め、こころを止める。もうすこし。もうすこしだけ。彼の姿が見えなくなるまで。

――わたしの魔法は無力だった。彼の心のまえではあまりにも。
やがて時は動きだすだろう。わたしの放ったあの魔法は、無数の暗黒の矢となり、身体中を突き刺すだろう。きっと貫通する。裸のこころ。わたしを守るものは、もはや何もないのだから。

アイアンメイデン、キャンビー、フォー!
アイアンメイデン、キャンビー、ソー!

===
【おまけ】
アイアンメイデンの名曲たち(ライブ盤)※Iron Maidenは10曲目くらい

【作者コメント】
ほのかさん(大学生バージョン)はこんな感じかな。
普通にいい子だと思います。次で最終回……さあ一緒に救いに行こう!

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