○○組になりたかった
先週末の土曜日に姉の家に行った時、2番目(5歳)と甥っ子(1歳)が通う保育園で、先日行われた発表会の録画を見せてもらった。
タンポポ組の甥っ子は、しまじろうを頭に着けて踊っていた。
ユリ組の姪っ子は、マーチングバンドで中太鼓を叩いたり、『ピーターパン』のミュージカルでは、フック船長に戦いを挑もうとするピーターパンたちを止める子供の役を見事に演じていた。
姪っ子と甥っ子の晴れ舞台での活躍を誇らしく思うおばちゃんだったが、ふと寂しさが頭をよぎった。
それはタンポポ組の甥っ子や、ユリ組の姪っ子のように、幼稚部から地元の盲学校に通っていた私には、○○組が無かったことを改めて思い出したのだ。
今から30年ほど前の母校の幼稚部は、年少・年中・年長という階級はあったが、○○組というような名称では呼ばれていなかった。
そのことが大人になった今でも少し寂しかった。
話はそれるが、私が人生で初めて自分の障碍を意識させられたのは、盲学校の幼稚部に通い始めた頃だった。
「ねえ、何で私とお姉ちゃんは保育園が違うの?」
車で20分ほどのところにある盲学校に向かう車内で、私は母に尋ねた。
二つ上の姉は、歩いて行ける近所の保育園に通っているのに、なぜ私は姉とは違う遠い盲学校に通わなければならないのかが不思議だったのだ。
「あんたは目が見えないから、お姉ちゃんと同じ保育園には入れないからだよ」
内心は分からないけれど、その時の母は、娘の障碍の事実をさらっと話てくれた。
そうか、自分は目が見えないからお姉ちゃんと同じ保育園には入れないのかー。じゃあしょうがないか。
そんな母のおかげで、当時の私も自分は目が見えないことを、それほどショックも無く受け入れることができた。
話を本題に戻すと、姉が通っている保育園と、私が通う盲学校の幼稚部は違うから、○○組がないのも仕方ないのかなあと、その時の私はそんな風に折り合いをつけていた。
そんな○○組への憧れと羨望を抱えながら、そのまま母校の高等部普通科に進んだ年の文化祭のプログラムを読んでいたら、とある言葉に思わず衝撃を受けた。
幼稚部ライオン組…。
演目の説明文に、確かにそう書いてあったのだ。
それまで年少・年中・年長だったはずの盲学校の幼稚部のクラスに、『ライオン組』と名前が付けられている。
これはどういうことなのだろうか。
早速当時の担任に聞いてみると、どうやら『ライオン組』というのは、その年の幼稚部に一人だけ在籍していた男の子が付けた名前のようだ。
なるほど、幼稚部の生徒が一人だけだったら、○○組と名前を付けることができたのかー。
これは大変惜しいことをした。
というのも、年長の時の幼稚部には私一人しか居なかったからだ。
もしもあの時の私が、幼稚部の生徒が自分一人だけだったら、○○組と名前を付けられる制度を知っていたら(いや、そもそもそんな制度すら無かったのかもしれない)、『幼稚部ウサギ組』とか、『幼稚部チューリップ組』とか、自分の好きな名前を付けられたのかもしれない。
そう思うと非常に悔やまれる話だ。
もしもかなうなら、私も幼稚部の頃姪っ子や甥っ子たちのように、『○○組』になりたかった。