見出し画像

えっ、「不動産屋」って言っちゃいけないの?!



 ここnoteでも近々詳しくアップする予定でいるのだが、先週の金曜日に、担当のケースワーカーさんと、施設退所後の一人暮らしに向けて不動産屋に行ってきたことを、先にフェイスブックで投稿したところ、それを見た知人から、「基本的には職業について『屋』と表現するのは、その職業を下に見る意味があるので、テレビやラジオだったり、多くの人が読む文章では避ける傾向があります」というようなご指摘を、上に載せたコラムのリンクアドレスと共にメッセンジャーでいただいた。
 そのコラムを読んで、差別用語というのはよく知っていたつもりだったけれど、それとあわせて不快用語というものがあることを、物書きの端くれをしている身としては大変恥ずかしいのだがあまり知らなかった。
 コラムによると、「床屋→理髪店」というように、お店や職業に対して「屋」と表現するのは確かに差別用語・不快用語になるようだ。
 そうだったのか!知らなかった。これは勉強になった。

 だがしかしである。じゃあ果たして「不動産屋」はいったい何と言ったらいいのだろうか。
 私はあの時フェイスブックで「不動産屋やさん」と書けばよかったのだろうか。あのお店のことを、「不動産屋」以外の言い方がいまいちよく分からない。
 「これからも文章を書き続けていきたいなら、そのような表現や用語についてもっと考慮した方がいい」という指摘もごもっともである。
 コラムの事例にも書かれていた、「外人→外国人」や「女々しい」といった言葉は、今のご時世どうなの?と確かにあまり良い表現ではないだろうということはよく分かる。しかし「○○屋」という表現も今では失礼に当たるだなんて…!
 できるだけ相手を不快にさせないような言葉選びを心掛けることは、物書きとしてももちろん重要なことだと思う。しかしだからといって、この表現や言い方はどうなのだろうかとか、相手を下に見たりしていないだろうかなど、言葉や表現を意識しすぎてしまうのも、なんだかとても息苦しくないだろうかとも思うのだ。ぶっちゃけめんどくさい世の中になったもんだなあと思う。
 これからは詩人のほかにエッセイストとしても生きていきたいと本格的に思い始めた矢先、これから文章を書き続けていくのが正直ちょっとしんどく思えてくる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?