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卵型の月の下で

 先週の日曜日(5月12日)の夕食ご、急遽姉一家と外出してきた。フラワーパークで行われていた花フェスタのフィナーレイベントで、父が久しぶりに手筒花火を上げるというのでみんなで見に行くことになったのだ。
 姉の車に子供3人(9歳と5歳の姪っ子と2歳の甥っ子)と大人3人(母と姉と私)が乗り込み出発。
 車が走りだすとすぐ、2番目の姪っ子と母がしりとりを始めた。
 しりとり→リンゴ→ゴール→ルビー→ビールときて、再びのるから始まる言葉に姪っ子が考え込んでいると、母が突如由紀さおりの『夜明けのスキャット』を口ずさみ始めた。
「ちょっとお母さん、今の子供たちにその歌は分かんないでしょう」
 そう母に突っ込むとこんどは姉が言った。
「ねえそれ徹子の部屋の曲だっけ?」
「違うよ。徹子の部屋は♪ルールル♪でしょう」
 私たちがそう話していると、それまで考え込んでいた姪っ子が「ルーレット」と言った。どうにかしりとりが先に進んでくれたみたいでよかった。
 それからもしりとりはさらに続いて、まで始まる言葉が母に回ってきた時彼女はこう言った。
「マリーアントアネット」
「だからお母さん、マリーアントアネットも今の子供たちには分からんでしょう」
 そんな話をしているうちにフラワーパークに着いた。

 駐車場に降り立つと、暑いのか涼しいのかよく分からない中途半端な風が吹いていた。上に羽織る物を忘れてきてしまったので、途中寒くならないかと不安だった。
「あっ!」
 そんなことを考えながらエントランスに向けて歩いていると、甥っ子が何か見つけたようだ。
「あー、お月さま出てるねえ。卵みたいな形してるー」
 前を歩く姉が言った。なるほど、私たちの真上にある空には今卵型の月が出ているのかー。私の両目ではそれを見ることはできないが、その形を創造してみると、なんか良いなあと思った。

 フラワーパークのエントランスをくぐると、姪っ子たちは水を得た魚のごとく園内を走りだした。そりゃあ何も無いような広い場所なら走りたくもなるだろう。
 そんな中を、母に手引きされながら会場の芝生広場に向けて歩いていた時だった。甥っ子が急に一人で勢いよく走りだしたのだ。本能と好奇心の固まりである2歳の甥っ子を追いかけるのに必至で、いつの間にか母の手が私から離れていた。
 突然のことにあたふたしながら一人立ち尽くしていると、左手が小さな手に触れた。
「バーバたちあっちだよ」
 2番目の姪っ子が私に気がついて戻ってきてくれたのだ。
 左手を姪っ子に惹かれ、右手に持った白杖(はくじょう)で自分の右側を確認しながらゆっくりと歩いていく。だんだん会場に近づいてきているのか、周りの人たちの声がちらほらと聞こえてきた。と、右手の白杖が下り階段を察知した。会場の芝生広場に行くには、この階段を降りなければならないようだ。しかもその階段は、1段の幅が広いタイプのやつだった。姪っ子の手はもちろん背もとても小さい。けっして安定しているとは言えない状態で、幅の広い階段を1段づつ降りていくのは姪っ子も怖かったと思うが、私もとても怖かった。しかしそんな中でも、私を母たちのところまで連れて行こうとしてくれている姪っ子の行動と気持ちの方が、怖さの何倍も嬉しかった。
「ありがとう、助かったよ」
 何とか階段を降り切って、無事に母たちと再会できた時、私は姪っ子に精一杯の感謝を伝えた。和太鼓の演奏が始まったのはその直後だった。

 今回和太鼓を演奏していたのは北星中学の和太鼓部の生徒さんたちだった。懐かしいと思った。というのも、北星中学は母校の盲学校の交流校で、何度か文化祭で演奏してくれたことがあったからだ。
 和太鼓の演奏を聞いたのも久しぶりだった。特に大太鼓のドンドンという音は、いつ聞いても胸に響く。
「ひかちゃん見えないのに分かるの?」
 そんな懐かしさに浸っていると、上の姪っ子が聞いてきた。
「ひかちゃんは見えなくても音で体感しているんだよ」
 私が言おうとしていたことを代わりに姉が言ってくれた。そうなのだ。生まれつき全盲の私は、テレビもライブも全て音や声で体感しているのだ。
 それにしても、和太鼓の演奏を聞くのが初めての甥っ子は、その大きな音に怖がるのではないかと叔母は少し心配していた。しかし曲が終わる度に、「もう1回、もう1回」と喜んでいる様子だったので安心した。
 演奏は2.3曲ぐらいだろうと思っていたが、最終的に6曲もやってくれた。まさかこんなにたくさん演奏してくれるとは思わなかった。4曲目の途中ぐらいだっただろうか。近くで聞いていた子供が、「和太鼓飽きたー」と言う声が聞こえてきた。もし私がその子供の親だったら、「一生懸命がんばってやってるんだからそんなこと言うんじゃないの」と小声で注意していたかもしれない。子供の直さは残酷だなあと思わされた瞬間だった。

 和太鼓の演奏に続いて、いよいよ手筒花火が始まった。
 この記事を書くに当たり、改めて手筒花火について少し調べてみた。グーグル先生によると、手筒花火とは、愛知県の三河地方を中心に伝わる花火で、上げ手は花火の筒を両手でしっかりと抱えるように持ち、巨大な火柱を噴出させ、最後に「ハネ」と呼ばれる炎が大音響と共に足元に吹き出す勇壮な煙火とのこと。本当は手筒花火の写真をここに上げたかったのだが、母や姉に携帯を渡して写真を取ってもらっている余裕がなくてできなかった。気になった方は動画検索などしてみてほしい。
 手筒花火が始まると、早速シューっと勢いよく火柱が上がった。音的にかなり大きいやつかもしれない。これがいつバン!となるか(ハネ)が分からないのが全盲の私には特に怖くて、子供の頃はずっと耳をふさいでいた。この時も手筒花火を体感したのがやはり久しぶりだったので、ハネが来た時は少しビックリした。だが花火が進むに連れて、それにもだんだん慣れてきた。ただ風があるので、花火の煙がこちらに飛んでくるのが怖かった。でもこの煙の匂いも良い意味で生々しくて花火って感じだなあ。
 それにしても、手筒花火を上げる人は本当にすごいと思う。ただでさえ重たい竹筒を持ち続けるだけでも充分たいへんなのに(ずいぶん前に上げた後の手筒花火を触らせてもらったことがあったが相当重かった)、その竹筒にさらに火をつけて炎を噴出させるのだ。私だったら絶対にそんなことはできないと思う。そんな危険と隣り合わせな行事を、私が子供の頃から毎年のように続けている父を、じつは密に心の奥底で誇りに思っていたりする。

 こうしてたくさんの人と、同じ場所で同じことや時間を生で共有できるって、ほんの3年ぐらい前まではほぼあたりまえの日常だったはずなのに、この日久しぶりに和太鼓の演奏や手筒花火を体感したことが新鮮に思えたのが何だかちょっと不思議だった。
 フラワーパークから出た時も、空にはまだ月が出ていたようだ。

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