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長文のプログラムに参加する意味

 朝起きてスマートニュースを見ていたら、パリコレのショーでアンダーカバーが生きたチョウを使用したことに対して謝罪したという記事を見つけた。
 それを読んだ時、思わず「おー、これは…!」と思った。
 というのも3週間ほど前、文字起しの長文クラスのプログラムで、パリコレについてのニュース記事が取り上げられていたからだ。
 長文のプログラムに限らず、学生の時もそうだったかもしれないが、授業で聞いた話題を、その後テレビやラジオなどで見聞きすると、「おーこれ知ってるー!」とちょっとだけ優越感を覚えて嬉しくなったりする。
 どちらかというと、私はファッション系のことにはほとんど興味がない人間である。だから長文のプログラムの時にも、職員さんが読むパリコレの記事を打ち込んでいても、ファッション関係の用語もよく分からなかったし、ショーの様子やスカートなどの衣装の説明を聞いても、何を言っているのかいまいち創造がつかなかった。
 もしこのニュースの概要を知らずに、今日の朝スマートニュースの記事を読んでいたら、「えっ、スカートの中に生きたチョウを仕込むってどういうこと?!えぐっ!ありえない!」とただたんにひどく憤慨しただけに留まったかもしれない。
 それがある程度今回のパリコレの概要を知った上でアンダーカバーの謝罪の件を読むと、「あーそうだったんだね。謝罪文めっちゃ大人な対応じゃん」などと少し落ち着いた柔らかな気持ちで受け止めることができた。
 共用も身に着けられるし、文章力やタイピングの速度も上げられるという利点ももちろんあるが、長文のプログラムに参加する意味は、ニュースの受け止め方を柔らかくしてくれるというところにもあるのかもしれないと思った、そんな朝だった。

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