残照(アフターパーティ) #4

 
    川崎
 
あ……川崎です。よろしくお願いします。はい、今は基本タイのバンコクに住んで、年に一度くらいは日本に営業回りで。タイですか? 住みやすいですよ。ええ、最近ちょっと政情不安がね……ええ、国王がお亡くなりなったりで、あ、でも撮影隊にはご迷惑かけることはありませんから、その辺りは御心配なく……ああ、ご予定は特にありませんか……そうですか。
 
 本気だったか、ですか? まぁ……本気でしたよ。あの夜は……なんか年甲斐もなく熱いこと言っちゃって恥ずかしいです。
いえいえ……そうです……全員に会えるとは考えてなかったんです、本当に。だから、びっくりしちゃって。つい……っていうか。まぁ、何年も考えてはいたんですけどね。……タイにいてね、まぁ、孤独なわけです。そりゃ家族もいますし、賑やかです家の中は。街もバンコクってがちゃがちゃしてるじゃないですか。だから喧噪の中に暮らしてるようなものなんです。
だからかなぁ……余計ですね。夜、オフィスの窓から蒸し暑い風が入ってきて、外をぼんやり見てますとね、なんで俺はここにいるんだろう……なんて思うときがあるんです。遠く感じるんです。距離のことじゃないですよ。分かりますよね?……もう20年ですからねぇ……長いですよね。でも、あっという間だったなぁ。思い描いていた40代とはえらい違いですよ……笑。足元がふらふらしてて……。みんなそんなもんですかね? 相対的に比べられる人がいないからわからないんですよ。外国で暮らしてる人って、どこかそういうとこあるんじゃないかなぁ、みなさん。

 いや、使われてる方が楽ですって。しんどいですよ。海外ロケっていってもタイに来るって時点で予算がないってことですから。そりゃ、楽じゃないです。CMも厳しいですからねぇ、最近。まぁ、削られますね、見積もりは。でも、こっちのクルーは気がいいひと多いから。どこか旅人をもてなすマインドが根っこにあるんですよ。だから、また来てくれること結構あります。それで繋いで……あとは細かいテレビとかグラビアとかね、まぁ色々です。全部ひとりで回してますから、身体がいくつあっても足りないですよ。
……え? 貯金? この前ので、ほぼなくなっちゃいました。返ってくるかなぁ……。ま、諦めてますよ。どっちにしろ、まぁ、いいです。またコツコツやりますよ。木塚が金に困ってるなんて知らなかったから。ほら、あいつ見栄張りでしょ、昔から。うん……全然会ってなかったしね。あの晩、結局あんな風になっちゃったけど、どこか僕自身嬉しくもあったんですよ。変ですねぇ。こっちにいたら、ああいうのないですから。ほんと久しぶりだったです。まぁ、実際会うこと自体が久しぶりだったし。でもさ、みんな変わってないよね。少し老けたけど、昔のまんまでした。20年近く会ってないから、余計そう感じたのかも。僕は、日本から逃げ出しちゃった口だから、なんかね、みんなに悪いなって思う部分もあるわけです。いや、本当です。だから、惜しくなんかないんです。もし、何年かして、あのときのでやろうよなんてなったらめちゃくちゃ面白くないですか?……ですよね。ま、そうなることを期待して。ってとこでしょうか。
 
 好きでした。だってふつう好きになるでしょう。いや、ファインダー覗いてて自然と笑顔になっちゃうんですよね。もう輝いてました。……我らがローカル・ヒロインってとこです。朝田に負けないようにいいの作って、エミに褒められたいってね。なんか、流行のPVとかパクりまくったり、無駄にゴダール風にしたりして、お恥ずかしい限りです。いえ、多分実家にももうないと思いますよ。こうなるんだったらとっとくんだったなぁ。ね。もったいなかったなぁ。
 朝田かぁ……ええ、内心ライバル視してたとこはありましたよ。でも、エミが朝田のこと好きだったから、余計そんな嫉妬心みたいのがあったんだと思います。……ですよね。実際、朝田が監督する時って僕がカメラ回すこと多かったんですよ。あいつ、入り込んじゃうとカメラどころじゃなくなるんですよ……笑。だから、半分くらいはあの頃のあいつの映画は僕が貢献してるんです。ふたりで部室で徹夜で編集して、夜中カップ麺食べて、仮眠して……懐かしいなぁ。楽しかったんです。そんな毎日がね。誰にも望まれてないんですから自主制作なんて。それでも作りたいから作るってだけで。うん……懐かしいです。またやりたいですよ。ああいうの。若いときのものだけじゃないと思いません? いくつになったって撮りたければ撮ればいいんですよ。僕はそう思ったから、あの晩そう言っただけです。そうかな? そんなに変かな? ハハ……そうかもしれないですね。どこかタイ人になっちゃってるのかな。
 
 エミが死んだ時……僕はなんていうか僕なりに絶望したんです。もう、今まで入れあげてた自主制作も仲間も、全て。それで卒業したらみんなから離れて、出入りしてたサブカル系の人たちのとこで、なんだかんだ過ごすようになって。……一緒にいて楽だったんです。ああいう人たちって、本質的じゃないでしょ。感覚的でしょ。まず面白がれるかどうかを自分たちの基準にしてて。ね。そうですね、原宿あたりにだいたいいました。面白い人たちにいっぱい出会いましたね。いろんなこと教えてもらいました。結構、年上にかわいがってもらえるタイプなんですよ、僕。特に女の人に……笑。
一番お世話になったひとですか? スタイリストやってるYさんです。飯もほぼ食わせてもらってたし、一時住んでたから。彼女のアトリエに。渋谷の雑居ビルです。向かいがワハハ本舗の稽古場なんです。そこで、ほぼ暮らしてましたね、20代の頃は。 
 たまたま大掛かりなロケがあって、衣装運びが必要だってことで、スタッフとしてタイに初めて行ったんです。それで……あとはみんなにしゃべったことと同じです。……あのロケなかったら、僕どうなってたんですかね。そう考えると怖いなぁ。……不思議なもんですよね、人生。
 
 え? やることになったら?……やりますよ。僕は。言い出しっぺだしね。なんか目標ないとつまらないじゃないですか人生。せっかくこうして何とか生きてるんだから。
 タイの言葉でね「マインペライ」っていうのがあるんです。分かります?……「なんとかなるさ」って意味です。こっちではね、合言葉みたいなもんなんですよ……笑。

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