ぜんぶがよくなる気がしていた
あの瞬間、夏が終わる頃にはぜんぶがよくなるって自分に本当にかすかにつよく思ってた
現実はその反対で夏が終わる頃にはぜんぶが、よくない方向にいってしまった 自分のせいで
がんばろうとしていた、がんばったとは言えない
一年ほどかけて自分の過去の選択を認めるために考えた結論のような目標が、自分の力不足で進めなくなり、動けなくなった
何度目だろう
しまいには耳がだめになった
あぁこれはもう
自分がこわかった
けど自分なんだということも怖かった
それは今もそう もう自分ではない
それでも人に映る自分は今の自分が今の自分として映る
調子のいい時に約束していたひとと今後の話をするために会った
何かしたいとか何か欲しいとか、何が食べたいとか、そう言うこと、全部忘れてたことに気づいた
その段階の会話に、前回会った時から時が止まったままだったわたしは戸惑いながらもそこにいるわたしは希望を思い出していた
だからよかったのかなと思った
ずっと心にあったことも話した
わたしの思いが伝わったかは、どう受け取られたかはわかんない、そういうもんなのかな
対面で話すのもぎこちないわたしの会話を聞いてくれて感謝している
今の自分がわからなすぎてどこまで自分のことを相手にさらけ出していいのか分からないまま、口から出る言葉を追った
いつもの自分だったかは分からない いつもそうなら尚更申し訳ないな
迷惑かけてばっかりだと思った
そのあと、ずっと焦燥感に襲われて恐ろしかった
そのことを人に話した時に受けた雰囲気、気のせいだったらいい
あれはどう言うことなのって聞けなかった
次の日、熱を出した
希望を思い出したのに今の自分では全て叶わないしわたしがとまっている間にも世の中はどこかへいってる。耳のせいで音楽も好きなように聞けないし、もう2度とないだろうあのライブすら応募できない
散々な年末年始を過ごした 結局生きてた
結局、しぬまで自分が生きるしかないことをまた実感していた
すべては自分とのタイミングで、自分を自分で動かすしかないという残酷さに死ぬまで今の自分のままでは耐えられる気がしない はじめて向き合うかーと思った
去年の半年間のわたしの状態が甘えだと言われても仕方がない でも自分が苦しいことに変わりがなくてその責任を取るのもぜんぶ自分 だから言わなくていいです 人にも自分にも たぶん
そして今その期間を取り戻すために(取り戻すことはできなくてつらい)やっと一歩踏み出せた、と思う、また止まってしまうかもしれないし、それが怖いけど、大丈夫な時に大丈夫になるしかないのかもしれないと改めて思う
これは希望を思い出させてくれた友だちのおかげでもある
今はほんとうにはたらくために生きている日々だけど生きてはいる 車から出れないし風呂からは上がれないけど
停止期間に溜めてしまった無数のやることリストは止まったままだけど、やりたいことはあまり思いつかないというよりもつかれていて現実から離れられない
少しつよくなれるといいけど
後日、友達に会った時に迷惑かけてばっかりでごめんって言った(本当に迷惑かけてばっかりだったから)そしたら
「迷惑かけるもんじゃない?友達って」
って言われて時が止まった こんなに安心感のある言葉ってあるのかな 本当だといいな、
毎日通る道が毎朝少しずつ直っていることに心から感謝をしている
いつの間にか1月が終わる
何かしてても何もしていなくても時の流れは早すぎて置いていかれる
柔らかくいようとしてもふとした小さな画鋲ぐらいの棘に引っかかって動けなくなる、情けない
自分が強くなるしかないのか
少しずつ諦めていけばいいのか
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