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シンガポール主夫生活の終了前夜|3年間の尊すぎる日々と、儚すぎる記憶

3年間のシンガポール主夫生活を終えて、この度、日本に本帰国することになりました。

これまでお世話になったシンガポールの部屋は、ドタバタの荷物の搬出作業を終えてもうすっからかん。なので明日に迫る帰国の飛行機の時間までのここ数日間はホテル暮らしです。そしてこのnoteはそのホテルの窓からシンガポールの景色を眺めながら書いています。

シンガポールに引っ越してきたのはコロナ真っ只中の2020年12月5日。社会人から主夫(駐在夫)になり、右も左もわからない異国の地での暮らしに不安と希望を抱きつつ、コロナの影響で妻は3ヶ月早く単身で入国したため、日本でもいろんな人の支援を受けながら3ヶ月のワンオペ生活を送り、いつVISAが降りるかわからない不安な日々を過ごしながら、入国直前に体調を崩したりしなんだりしながらなんとかこの日に妻が待つシンガポールへ発つことができました。

当時2歳と3歳だった2人の息子を連れて、まさかの自分たち以外の乗客がいない、完全貸切のシンガポール航空を満喫しましたが、空港に到着するやいなや、そのまま隔離先のホテルにバスでドナドナと送られました。バスの窓からは今では日常になったシンガポールの景色が、ホテルに慣れない英語でのガイダンスを聞きホテルの各部屋に通され、ワンオペで子どもとホテルに2週間の完全隔離という、精神崩壊まっしぐらという形で、僕の期待と不安に満ち溢れたシンガポール生活はスタートしました。

話は現在に戻ります。今日は息子たちが3年間通ったスクールの最終登園日でした。クラスメート全員に感謝をこめてハラール仕様(宗教上の理由で食材や調理工程に配慮されたもので、シンガポールだと一般的にクラスメートが該当する可能性がある)のカップケーキを持参し、お別れ会を開催。先生やお友達一人一人と写真を撮りました。考えてみたら、息子も人生の半分をシンガポールで過ごしています。息子たちの半分はシンガポールでできていると言っても過言ではないです。先生たちと面談でも、彼らの成長を実感することができました。

一度は火災に見舞われ長期間閉鎖に追い込まれるも、復活を遂げた息子たちの母校。ありがとう。

明日はシンガポール最終日。午前中は長男の卒園コンサートが控えています。既にこの日にやる演目は、長男は家でなん度もなん度も歌って踊って見せてくれましたが、クラスメート全員と演じる本番のスケールは想像できません。妻は「想像するだけで涙腺崩壊は確実」と言っています。泣きすぎて脱水症状にならないか心配なので、水をたくさん飲んでからコンサート会場に行ってもらおうと思います。

最終登園を終えた息子たちの凛々しいう後ろ姿、親バカ


そんな感じで僕のシンガポール生活の始まりは不安バリバリのホテル隔離暮らしから始まり、それから丸3年の時を経て、今は息子たちがスクールで先生や友達を楽しく英語を屈指して遊ぶ様子を見たり、締めくくりは長男の卒業記念コンサートです。また、今回のホテルは家族全員でホテル暮らしということで、同じホテル暮らしでも入国時と帰国時はものすごいコントラストとなりました。

子どもの成長を特等席から見られるというありがたい経験を主夫になることを通してすることができたわけですが、シンガポールに来た当時の心境や子どもたちの様子というのは、思い出そうとしても手に取るように鮮明にはひっぱり出てません。これだけ一緒に長い時間過ごしてきて、日々の彼らの成長を見るのは本当に幸せだったし、その日々の出来事の一つ一つの瞬間は常に尊く、記憶に焼き付けようと思って過ごしてきましたが、正直なところ、残念ながらほとんど焼きついてません。スマホに溜まった写真を見直しては、その片鱗が少し蘇るだけです。

振り返るととそんなもんなんです。記憶なんて本当に儚いものですね。

この宝物だらけの3年間のシンガポール生活も、いずれ振り返ってみると同じように鮮明には思い出せないのかもしれません。

でも今のこの時が最も尊いのだから、それを思う存分味わえるよう、頭の作りがそうなっているのだとすれば、それもいいかななんて思います。


シンガポール生活を配信し続けたポッドキャスト↓
タイトルが「ザッツ!シンガポールノーマル」だけど、帰国したら番組変えざるを得ないよな


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