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シンガポール渡航前日!!日本で妻と離れて息子と過ごした3ヶ月を振り返ってみた。

シンガポール行きが明日に迫って参りました。

明日12月5日(土)に、2人の息子と共に9月から約3ヶ月過ごした愛知を離れ、中部国際空港発のシンガポール行きに乗ります。この3ヶ月は日本のコロナ感染者数が8月にピークを迎えた第2波が落ち着きはじめた頃から、現在の第3波で再び感染が拡大し1日あたりの感染者数が第2波を超えて今もなお増加を続けるに至るまで変化が大きく、それに伴って海外渡航の条件も日々刻々と変化してきました。

喜びも束の間。14日間の隔離場所が政府指定のホテルへと1ヶ月で逆戻り!

シンガポールへビザ保有者が渡航するに当たっては、コロナ禍においては入国日の1ヶ月前にシンガポール政府に申請をする必要があります。そのため、私たちも今から遡ること1ヶ月前、11月前半にはシンガポールに渡航の希望を出し、許可された形です。

妻が先に渡航した9月12日から約3ヶ月、僕と息子たちは日本に留まり、渡航するタイミングを見計っていました。タイミングと言うのは、「渡航後14日間の隔離措置」この内容が緩和されるタイミングです。

シンガポールでは長期滞在をする入国者に対して、入国後14日間はステイホームをすることが義務付けられており、その間は隔離先の施設から一歩も外出を許してもらえないのです。うーん、厳しい。

妻が渡航した際は、この「隔離施設」が政府指定のホテルでした。どこのホテルかは対象者(入国者)には事前には知らされず、シンガポールの空港に着いたその足で政府が手配したバスに揺られながらホテルに向かい、到着して初めて判明するようです。14日間缶詰なのですから、当然入室するお部屋は広いところが良い!・・・のですが、部屋の広さも完全に”運”らしく、カードキーを渡されるまでは分からないようです。ドキドキが止まらない。

ホテルは一応4つ星以上ではあるようですが…実際のところはわかりません。同じく隔離をした方々のYoutubeやブログをチェックしてみると、「リッツ・カールトン」や「フォーシーズンズ」のスイートに泊まっている人もいるようです。ただ、逆に小さな部屋で窓の外の景色も特に見えないような部屋に当たる人もいるので、これは本当に”運”でしかないですね。厳しいっつ!!

せっかく14日間一切外に出られないのですから、なんとか良い条件の部屋に当たって欲しいものです!

さて、僕がタイミングを見計っていたのは、この隔離措置内容が緩和され、この隔離先が「政府指定のホテル」ではなく「自宅」で可能なように条件が緩和されることでした。家の中でも暴れ放題、走り放題の2歳と3歳の2人と小さなホテルの部屋で14日間一歩も外に出ないと言うのが、なかなかしんどいなと思っていたので、ホテルではなく自宅へと変更されることを、節に願っていたわけです。

と言うのも、コロナの流行が落ち着いていた当時はこの隔離措置がまさに「自宅」だったのですが、その後パンデミックとなり、より厳しい隔離方法として「政府指定のホテル」へと厳格化されました。

シンガポール政府は現在、国を限定して国交を再開しています。相手国のコロナの感染状況に応じて隔離措置を変えています。オーストラリア、ニュージーランド、ベトナムなどのリスクが無いとしている国からの入国者については、入国後の隔離義務はなし。香港、マカオ、中国、マレーシア、台湾と言った感染低リスク国・地域とされる国からの入国者については、自宅での7日間の隔離義務をとる。そう言った中で日本は政府指定のホテルでの14日間の隔離義務が敷かれていました。(10月28日時点)

僕と妻は、来るどうかもわからないその改定の発表を待ち侘び、来る日も来る日もシンガポールHPをチェックしていました。9月、10月は日本でコロナが少し落ち着いた状況でもあったので、尚更期待していたわけです。

そんな中、10月27日についに待ちに待ったその発表があったのです!
「日本、エストニア、フィジー、フィンランド、ノルウェー、韓国、スリランカ、タイ、トルコからの入国者について、指定宿泊施設ではなく、自宅での14日間の隔離を認める」と。

きたあーーーーーーー!
待ったかいがあった!やっぱり自宅が良い!!!

しかし、自宅でどう14日を過ごそうかのシミュレーションを1ヶ月程楽しんだ後の11月20日、追加の発表がシンガポールから発表されました。

「シンガポールは新型コロナウイルスの感染が再び拡大しているマレーシアもしくは日本からの渡航者や帰国者に対し、国境での水際対策を強化する。過去2週間に両国のいずれかに滞在した人には、指定施設で14日間の待機が義務付けられる。適用されるのは11月22日より後の入国者。従来は日本からの帰国者には自宅での14日間待機が認められていた。」

ガーーーーーーーーン
思ったより早いよ、覆るの。。。

同じ頃、各地でも楽しみにしていた予定が覆えり嘆くニュースがありました。シンガポールと香港の両国が、お互いに感染数が少ない状況を好感して「隔離無しでの往来を良しとする」国交を11月22日から開始する予定だったのです。両国民は喜びチケットの購入に殺到し、チケットが高値に釣り上がる事態が発生していたらしいのですが、なんと実施2日前の11月20日に延期が発表されました。「香港で数件の経路不明感染が判明した」と言うことです。3日後には旅行をする予定だったチケット購入者にとって、直前の発表はさぞがっかりでしょう・・・。日本でのGoTo延期もそうですし、このように状況が日々変わってしまい予定が組み辛い、期待を持ちにくいのがこのコロナ禍と言うものだと、改めて感じました。


国内でのPCR検査と、7時間の飛行機と、14日間の隔離生活

シンガポールが水際対策として更に厳しくしたことがあります。入国前の72時間以内にPCR検査を受けることを義務付け、「陰性証明書」を持って入国せよとのことです。しかも大人だけではなく、子どもも必要。

現在PCR検査の方法は2種類あります。よくテレビでやっている細い綿棒のようなものを鼻の奥に突っ込んで粘膜を採取する「鼻腔検査」と、唾液を採取するだけの「唾液検査」で、前者はやや痛みを共なうのに対し、後者は唾液を吐き出すだけなので痛くも痒くもないものです。いや、2歳、3歳の子どもに鼻腔検査はさすがにかわいそうだ。「選べるのなら是非唾液で!」とシンガポール大使館に問い合わせたところ、

シンガポールの回答は・・・「鼻腔検査」で」

と返事が来た。容赦無いな…シンガポールよ。
というかその検査方法に信頼性の違いがあるのかな?

ちなみに本日の夕方検査の結果を受け取り、無事に陰性でした。
ホッ・・・検査結果が出るまで1日。長い1日でした。


幸運!12月から中部国際空港(セントレア)でシンガポール航空が再開

がっかりすることもあれば嬉しいこともある。当初は関西空港発の深夜便を予約していました。シンガポールへ行く飛行機がそれしかなかったためです。現在の愛知県の自宅から関空までは車で3時間程は掛かります。大移動のためミニバンをレンタルする予定でした。もはや空港までの移動で半日掛かるので軽い遠足ですね。

しかし深夜便となると、子どもが寝ているところを起こして飛行機に搭乗する覚悟が必要だし、離陸時には外も暗い。深夜なので飛行中はほぼ子どもは眠ると思うけど、到着時は早朝のため外はまだ暗いまま。フライト中に寝てくれるのは親としては楽ですが、せっかくの初飛行機にその状況もかわいそうだと思っていました。

そんな最中、最寄りの空港である中部国際空港(セントレア)でシンガポール航空が12月から再開とのニュースが飛び込んできました!もちろん即変更手続きを行いました。セントレアならば車で自宅から1時間半程度。何にしても、近いというのは気持ち的にだいぶ楽です。今度はAM10:20発の便のため、出発時は外の景色も見え(現在のところ晴れ予報!)、シンガポールの到着時もまだ夕方なので景色も良いでしょう。距離が近いので自宅近くに住む従兄弟家族も空港まで見送り来てくれることになっているため、子ども等にとっても搭乗ギリギリまで楽しい時間が過ごせるのでありがたい。


「全集中 父の呼吸!」で挑む、7時間フライト

フライトは7時間程。当日は子どもたちの機嫌が良くなるか、悪くなるか…これが読めない。子どもの機嫌は非常に変わりやすいものです。

初めて間近で見る飛行機、初めて歩く機内、滑走路が伸びる窓の外の景色、ジェットエンジンの音、滑走からの離陸、体に掛かるG、気圧の変化などなど、子どもの機嫌を上げたり下げたりする要素が盛りだくさんです。

搭乗時にCAさんにはくれぐれもお願いしよう。「どうかもらえるオモチャは全部ください!!!」と。

少なくとも子どもが落ち着くまでのしばらくの間は僕はトイレとかは行けなそう。

そして、そうこうしているうちに昼の機内食が出てきます。初めて食べる機内のご飯。これは子どもにとって上げなのか下げなのか。これも読めない。

昼ごはん後はいつもであれば昼寝の時間。昼寝さえしてくれれば、親には静寂な時間が訪れるのだが。ありとあらゆる初体験に興奮してしまっている可能成も高い。どうか…どうかお眠りください。


前代未聞!大容量トランクケースの半分以上が◯◯で埋まる!?

大容量トランクには、14日間の隔離生活を乗り越えるためのアイテムを詰め込んだ。今回は子ども2人と僕の3人で14日間の隔離を乗り越えるのが最重要課題となる。非日常を味わう旅行の時のトランクとは違い、今回は当面のホテルで送る日常生活を送るのに必要なものとなり、それを9割方、子どもに合わせる必要があります。

まず必要なのは、必需品としての当面の衣類、薬、おむつ。
ただ、国も変わり、部屋も変わり、そこには3人しかおらず、外にも一歩も出られない日が続く14日間。今の生活で子どもらにとって存在が大きいものは、やはり持っていってあげたい・・・

ということで、毎日遊ぶプラレール・トミカの2種を、あるだけ詰め込みました!最っ高にかさばる。。

これだけで90リットルの大容量トランクケースの半分が埋まりました。そしてお気に入りの本を数冊入れると、もうトランクはいっぱいです。X線の荷物検査の検査員の方へ。レールと電車ばかりのトランクケースをみて、お察しいただければ幸いです。。

ちなみにホテルでの生活中には一歩も出ることは許されませんが、デリバリーや、誰かから差し入れは可能なようです。ひと足先に現地で生活している妻がホテルまで食料を配給してくれる予定で、ふりかけや即席味噌汁、インスタントコーヒーが届く予定になっています。これはほんとありがたい!!
あとは当日になってみないとわからない部屋が好条件に当たることを祈るばかりです。


この3ヶ月は子どもにとっては半年?1年?

妻と離れて暮らして約3ヶ月。子ども達にとってはこの3ヶ月という月日が、大人の何倍にも感じているのではないだろうか。3ヶ月の間に彼らもできることがたくさん増えました。

兄は現在3歳4ヶ月。この3ヶ月の変化を挙げてみました。
・語彙が増え、会話のキャッチボールもたくさんできるように
・頭から少し水をかぶった位ではもう泣かず、じぶんでタオルで目を拭える
・風呂上がりには、調子が良い時はじぶんで体がふける
・体力がついてきたせいか、休日は昼寝をしない日も出てきた(理由を尋ねると「おばあちゃんと遊びたいから」らしい)
・1歳下の弟とはよく小競り合うが、じぶんから仲直りすることも覚えた
・先日、一次保育の保育園のお友達とも喧嘩をしたらしいが、本人曰く「ごめんね」が言えたらしい
・駄々をこねる弟が僕に愛想をつかされ、置いていかれる(フリを時々します)と、兄が「置いていかないであげて!!!」と泣いてせがんで来てくれる。そんな優しい兄の一面も見せてくれる
・ご飯の時、お茶碗を手に持って、箸を使って上手に食べることができるようになった
・もう滅多に食べ物をこぼさない
・手先が器用になり、人差し指と中指でピースがちゃんとできる
・鉛筆がちゃんと鉛筆持ちできて、絵もかけるようになってきた
・好きなTV番組(Eテレ)が、キャラクターが歌やダンスを見せてくれるような幼児向け番組から、キッズ向けの料理番組に変わった
・祖母が家で料理をする時は、果敢にお手伝いをしにキッチンに立つ
・初めは嫌がっていた保育園。抱っこでないと教室に入れず、別れ側も泣いてしがみ付いているところを先生に引き剥がしてもらっていたのが、今では自分の足で歩いて部屋に入り、照れながらも「おはようございます」が自分から言える。僕との別れ側も「バイバイ」と元気に手を振ってくれるようになった

弟は2歳3ヶ月。この3ヶ月の変化を挙げてみました。
・複数の単語を繋げて長めの文章を伝えられるようになってきた。「リッくん、3歳になったら、横浜線買うの〜」(横浜戦とはプラレールのことである)「やっぱり、パン食べる」「あるよ。ほらほら。あるよパン、あるある」など
・意思も主張もするようになった
・力がついてきて、じぶんの思うようにいかないと力ずくで駄々をこねる
・兄と小競り合いの喧嘩をするようになった
・でも力では兄に勝てないことがわかってるので、知恵を使うようになった。先日、プラレールの取り合いになった時のこと。兄と小競り合いになった。弟は兄に仕返しをしようとてを上げたが一瞬考えなおし、兄が懸命に組み立てた2階建てのレールの継ぎ目を叩いてレールを破壊した。結果、兄が泣いた
・公園では、丸太が連なってる吊り橋の遊具を一人で渡れるし、ロープでできたはしごもよじ登れる
・兄の真似をしてトイレが上手になってきて、調子のいい時は昼寝以外は一日中パンツで過ごすこともできる
・絵本を一人で読むことができる。気づくと一人で部屋にいて丸暗記した絵本を音読している
・写真を撮るということを理解しており、カメラを向けると満面の笑みで、親指と人差し指を立てた独特の「ピース」で対応してくれる
・ご飯はいっぱい食べるが、兄と違って盛大にこぼす

3歳の兄は、母と離れ離れになってから、僕にべったりでした。9月の別れ際は(彼にとっては訳もわからず)母から無理矢理引き剥がされ、その現実を受け入れるのには少し時間がかかったと思います。しばらくの間は、僕がトイレに行くにも部屋のどこに行くにも、あらゆる移動にべったりついて来ていましたが、今では僕が半日留守にしていても、従兄弟や祖父母と遊んでいてくれる程に慣れてくれています。

僕等のシンガポール行きの日程が決まった後、「あと◯◯日でシンガポールに行くよ」と言った会話を日常の中で兄としているとそれをちゃんと理解しているようで、先日祖父と二人でベッドで遊んでいた時のこと、ベッドで飛び跳ねながらこういう会話をしたらしいのです。

息子「あさひは、もうすぐシンガポールに行くんだよ」
祖父「うん、知ってるよ。そうだね。」
息子「ねえ、あさひがシンガポール行くと、さみしい?」
祖父「そーりゃ寂しいよ。すっごく寂しいよ。」
息子「もっーと、ずーっと、あさひと遊んでいたい?
祖父はこの返しに爆笑したらしいですが、「3歳にしてしっかりしたことを言うようになったものだ」と、親ながら関心しています。


大人にとっての3ヶ月は、子供にとっては半年だろうか、1年だろうか。母と離れるまではどこに行くのも、寝るのも母が近くにいました。それが違う家で、違う保育園の違う友達で、母は近くにいないという生活。この3ヶ月で子どもはひと回りもふた回りも成長したと思います。


再開する時はどんな反応かな

無事シンガポールへ入国し、14日間の隔離生活を乗り越えれば母と会えます。果たしてどんな再会になるのでしょう。

兄の方は照れ屋な性格で、本当は嬉しくてたまらないのにしばらくモジモジしてしまいます。きっと当日もそうだろうと想像しています。一方弟の方は満面の笑みで走って母に抱きついて行きそうです。この反応だけは3ヶ月前から変わらない気がしています。

兄は今朝も「あと1回寝たらシンガポールで、その後ホテルで14日寝たら、お母さんに会えるね!」と言っていました。

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