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『梶原景時』私の好きな偉人②

こんにちは!HANCHANです!
最近寒くなったり、暑くなったり、服装選びが大変ですよね。(笑)

ですが、「秋」という季節ってなんかいいですよね。
食の秋、読書の秋といいますか、秋の夜長に読書は乙ですね。

とまあ読書が趣味な私ですが、それと同じくらい大河ドラマを見るのも趣味です。
絶賛放映中の『鎌倉殿の13人』は毎週録画してチェックしています。
みなさんは大河ドラマを見ていますでしょうか?
また、見ている方はどの御家人が好きですか??

今回は、鎌倉殿をみたことある人もまだ見たことない人にもおススメした御家人を紹介します。
それは「梶原景時」です。
鎌倉殿では既に退場しているのですが、中村獅童さんが演じており、とてもいい味のあるキャラでした。
景時は放送が始まる前から私が注目していた御家人でした。
この景時は不思議で謎が多い男です。
石橋山の戦いの際は、頼朝と敵対する平氏方として景時(平三)は参戦します。
この戦いに敗れた頼朝方は一時山に潜伏することになりますが、景時に見つかってしまいます。しかし、景時は味方の平氏に知らせずに見逃すのです。
この恩を忘れなかった頼朝は降伏してきた景時を許し、御家人を束ねる侍所の所司にします。

ですが、この梶原景時という男は、めちゃくちゃ同僚の御家人に嫌われていました。頼朝の死後、景時を追放するのに不満が爆発した御家人たちは署名を集めるのですが、66名もの御家人が名を連ねました。

そんな景時の魅力
めちゃくちゃ優秀な頼朝の懐刀」です。
景時は、源頼朝を頂点に据えた鎌倉幕府に必ず必要な人物でした。
御家人のヘイトを頼朝に向けさせないために汚れ役を買って出ていました。

そんな汚れ役を背負い、追放される景時の心境をドラマの中で丁寧に描いており、景時の想いが吐露されるシーンが印象に残っています。
どんな人にも心はあり、傷つくのであるという当たり前なことを思いだされました。
現代の炎上でも自分のストレスを発散するかのように石を投げる輩はいますが、どんなに嫌われていたからといってその人を傷つけていい理由にはならないのです。

しかし、義時へのわずかな吐露が一族の滅亡に繋がってしまうです。
頼朝が死んで、頼家の代になった際に後鳥羽上皇側からヘッドハンティングされ幕府を裏切ろうとしたとされる景時が打ち取られる、いわゆる梶原景時の変で最期を迎えます。(裏切り未遂と結城朝光の讒訴で追放を受ける)

公家の日記である「愚管抄」では、主君である頼家に対し、梶原を庇いきれなかったことは頼家の失策であるとし、非難しています

京の公家にここまで言わせる

梶原景時の見どころは


①義経との対比
②めちゃくちゃ優秀な官僚 
です

①義経との対比

吾妻鏡や後世の作品で景時は、判官贔屓の象徴的な源義経と対比して、どちらかといえば「悪」として描かれています。その理由としては、頼朝に対して景時が讒訴をしたからです。
この時、御家人の中でも頭飛びぬけて信頼していた景時からの讒訴を聞いた頼朝は義経を敵対視するようになりました。

鎌倉殿では、景時は完全に悪というよりかは、破天荒で少しサイコパスな義経を理解する数少ない御家人として描かれていました。
八幡大菩薩の化身とも思える義経の底知れない力を認めているからこそ、景時は義経を鎌倉追放しようとしたのです。
すべては頼朝が頂点の鎌倉幕府を築くために動いたのです。

義経(演:菅田将暉)側の視点でも景時の事を評価しており、善と悪の2項対立で描くのではなく、互いによき理解者のような関係性へともっていったのは脱帽です。(さすが三谷幸喜さん)
義経は悪の景時に嵌められたという話が先行しすぎてしまい、景時のことが不憫でならないと思っていたからこそ、とても面白かったです。

讒訴で御家人を貶めたとされる景時は頼朝へのヘイトを自身に向かせることで幕府内の調和を図っていたのではないかと思います。

②めちゃくちゃ優秀な官僚

平氏との関係性があったため、京でも活動していた景時は教養のある武士でした。血の気の多い関東武士にしては珍しい文武両道の武士であり、和歌にも通じていたそうです。

景時の優秀さが、平氏との戦いの様子を鎌倉に報告する文書にも表れています。義経の報告書は要領を得ず、また自身の活躍っぷりばかりで書いている一方、景時の報告書はとても几帳面で的確にかつ明瞭に書いていました。頼朝は義経に対し、景時くらいわかりやすく書いてくれたらなあと思ったそうです。(治承寿永の乱)

また景時の所領にて押領があったという知らせが届き、その真偽を問い詰められるも、冷静に押領はないと返答していました。(文治3年)

遠方への軍事行動や地頭支配が広がっていく中で、景時のように正確かつ明確に報告してくれる御家人を重用するのは当たり前だよなあと思いました。

まとめ

景時の魅力を見てきて、景時はなぜ頼朝に惹かれ、御家人となったのか不思議に思いました。
冷静沈着でバリバリ仕事ができる景時の謎の部分も魅力だと思いました。

義経を陥れた悪人としての景時ではなく、草創期の鎌倉幕府を支えた功労者としての景時をもっと知ってもらいたいなと思います。
人々のヘイトを一身に受け止めた縁の下の力持ちである景時の存在が後の幕府の礎となっていくのです。

神奈川県の寒川には梶原景時ゆかりの史跡があるそうです。
景時に興味がわいた方は、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。



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