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言葉の魅惑
今日は住宅展示場のパンイベントに駆り出され、休日出勤。
イベント出店は慣れているから、どんとこいという感じ。
しかし、非常に暇なイベントであった。
どのくらい暇かというと、暇に耐えかねた私が本を開き、「国境の南 太陽の西」をまるまる一冊読了してしまうくらい暇だった。
どうにかしている、色んな意味で。
まぁ、住宅展示場という性質上仕方ないのだろうか。
出品しているパンは住宅展示場の買取であるから、売れなくても弊社には特に損はないという。
こちらとしては、気楽なものだ。
来客のない会場を眺めて、ここまで「閑散」という単語が似合うイベントはまたとないだろうと思った。
思わずスマホの画面に、「閑散」という単語を打ち込んでしまう。
そしてその文字と、目の前の風景を見比べる。
完全に一致である。
「閑散」という字面は、なんでこんなにも哀愁漂うのだろうか。
門構えに木だから?
散のはらい?
わからないけど、その字面そのものが、もの寂しいし光景と直結しているのだ。
閑散という漢字をつくった人がいるならば、その人物に脱帽する。
これは閑散に限らない話だ。
「怒号」という言葉は棘のある情景がうかび、「豊作」という言葉は、豊かな恵みに、満腹感すら感じてしまう。
「字面」というものだろう。
この字面というのも、なかなか粋な言葉だ。
言うなれば字の表情というところだろうか。
そう、字には字の、表情がある。
つくづく字とは、言葉とは魅惑的なものである。
なんて、考えてしまうほどには暇だったのだった。
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