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愛すべき障がい児たちへ

久しぶりに前職の夢をみた。
同僚や上司の夢ではなく、子どもたちの夢。


前職と前々職を合わせ、100人を超える障がい児と関わってきた。
そのうち7割が、特別支援学校に通う重度知的障がい児。
5割が言語障がいを併せ持つ、言葉を持たない子どもだった。

もう仕事を続けられないと気が付いたとき、真っ先に浮かんだのは、そんな子どもたちの存在だった。


障がい児支援は楽な仕事ではない。
学校お迎えから自宅送りまでの数時間、怪我や命の危険がないように最大限の注意をしながら、個々の目標に合わせた療育をおこなっていく。
療育は、「障がい児」から「障がい者」になったとき、彼らが社会のなかで生きていくための力を養うこと。
彼らが彼ららしく、人生をまっとうするための土台を作ること。

そういう「支援者」と「障がい児」の関係だったんだけど、私は彼らのことが本当に好きだった。
愛していたといっていい。

障がい特性を抱えながら生きる彼らの個性やスペシャリティが、私は大好きだった。
言葉をもたない彼らの、懸命な意思表示がいとおしかった。
こだわり行動を通して自分の世界を守ろうとする、自閉症児たちの心を守りたかった。


大変なことはたくさんあった。

逃走癖の強い子に、強く繋いだ手を無理やり振り払われて、逃げられてしまったこともある。
交通量の多い道路に向かって逃げる子を必死で追いかけ、大きなバス通りに飛び出そうとするすぐ直前でようやく手をつかみ、人目を憚らず大きな声で叱って強く抱きしめた。

激しく情緒が乱れた子にかみつかれ、シャツが血で染まったことも。
30分後にはそんなことなかったかのように笑う、底なしに無邪気な笑顔。
強度行動障がいをもつその子は他害が激しくて、私たち指導員はいつも傷だらけだった。

それでも、私たちは子どもたちが大好きだった。
私たちはみんな、日々の仕事のなかで、障がい児のもつ魅力に取りつかれていた。

それだけ彼らの障がいは、魅力を併せ持つものなんだ。

今でも思い出す。
もう小さな歳でもないのに、甘えて膝にのってくる重み、温もりを求めて私の背中にのり、首に絡めてくる両腕、「遊ぼうよ」というように私の顔を覗き込んでくる、キラキラした大きな瞳。
言葉を発することができない子が意思表示の手段として手に入れた、拙い手話。
こだわりの世界に没頭する小さな背中。

そのすべてがいとおしかった。


これは、「親」ではなく、「支援者」というある種無責任な立場から障がい児と関わっていた私の気持ち。
彼らとの関わりはあくまで仕事であり、生活ではない。
だから、生活のなかで障がいをもつ子どもと関わっていく親御さんや家族の方にとっては、きれいごとに聞こえると思う。

だけど私が、彼らのことを愛していたのは本当なんだ。


彼らに「愛着」というものがどれほどあるかわからないけど、きっと私が急にいなくなったことに対する寂しさなどは感じないのだろう。
私だけが、寂しく思っている。


自閉症の方は、その多動傾向や危機管理能力の低さなどから、4人に1人以上が事故によって死亡してしまうという。
子どもに限っていうと、自閉症児の事故死のリスクは障がいを持たない子どもに比べて40倍にもなるらしい。
とてもとても、つらい話。

そんな風に命を落とさないでほしい、絶対に。
ちゃんと生きて、生きて、周りの助けを借りながら、周りに与えながら、自分らしい人生を生きてほしい。

そのための手助けはできただろうか。
学童期の、ほんの一時期関わっただけの私だけど、それでも彼らの生きる力を少しでも伸ばせてあげられていたらと願ってやまない。
あとは私にできる唯一のことは、彼らの幸せを祈ることだけだ。


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