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習慣と、生きることと

会社員としてフルタイムで働きながら、駆け抜けるように日々を過ごしている。

余裕があるかと聞かれると、余裕はない。
仕事は本格的に忙しくなってきた。
家に帰って、子どもたちにご飯を食べさせて、お風呂に入れて、本を読んで寝る。
子どもたちを寝かしつけながら、誰よりも早く寝てしまうのは私だ。


そのぶん、早く起きることにしている。

深夜までノンアル片手に本を読むスタイルから、子どもと共に寝て、早く起きてホットコーヒーを淹れて本を読むスタイルに変わった。

時間が来たら朝の支度を始め、曲げわっぱ弁当に好きなおかずを詰める。
なるべく早く家を出る。
早めに職場に着いたらラッキーで、車の中で本を読む。
試用期間で事務所の鍵をもらってないから、どうせ仕事なんてできないのだ。

昼休み。
自分でつくったお弁当を食べつつ、本を読む。

営業まわり。長い信号待ちで本を読む。
アポまでの待ち時間で本を読む。

帰り道。帰宅ラッシュの渋滞の中で本を読む。

毎日の習慣を文字に起こしているだけなんだけど、こうして書いてみると、狂気的ですらある。
だけど、習慣に私は支えられている。

余裕のない毎日に、余裕を割り込ませて、生きている。


本を読む習慣を私に思い出させてくれた人がいた。
少し前の一時期、私をすごく助けてくれた人だ。
その人はいま私の近くにいなくて、この先の人生のなかでまた接点をもてるかもわからない人なんだけど、その人が、私に本の存在を思い出させてくれた。

その人がいなくなった今も、習慣だけが私に残っていて、その習慣は、私を支え続けている。
きっとこの先もずっとずっと、助けられる。

その人には感謝しかない。


出会うべくタイミングで出会う人があり、出会う本があり、出会う言葉がある。
生まれたときに全ては決められていて、そのうえを私たちは歩いているのかもしれない。

そんなことを思うほど、すべては必然のように感じているのだ。

思考の放棄だろうか。それでもいいじゃん。
損なわれるものがあって、満たされるものがあって、その大きな流れのなかに生きるしかないんだから。

本を読んでいると、そんな気分になる。

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