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ラジオ

昨日の投稿で星野源のオールナイトニッポンについて触れたから、その延長でラジオの話を。


比較的、ラジオを身近なものとして育ってきたと思う。
小学4年生くらいの頃から福山雅治が好きで、その頃から数年、「福山雅治のSUZUKI Talking F.M.」を毎週聞いていた。
しばらく聞いていなかったんだけど、ここ数年でまた毎週聞くようになった。今は「福のラジオ」だね。

高校受験と大学受験の際には、リスニングが大の苦手だった私はNHKの「ラジオ基礎英語」や「ラジオ英会話」のテキストを購入し、毎日15分のリスニングを日課にした。
おかげでセンター試験の英語は満点。残念ながらそこが私の英語力の最高潮だったわけなんだけど。


ラジオの、言葉の持つ力を殊更強く感じたのは2011年の3月。
3月11日の夜、電気もガスも水道も、すべて止まった真っ暗な家のなか。
何度も何度も余震が続いたあの夜、母は一晩中ラジオを流していた。
ラジオからは、ラジオ福島のアナウンサー大和田新さんの声がひと時も休まず届いていた。

確か、3月12日の日の出の時間を何度も伝えてくれていた気がする。
「夜は必ず明けます。この朝が復興に続く第一歩の希望の朝になるように」と。
後から知った話だけど、大和田さんは3月11日の18時から、12時間にわたって生放送を続けたという。
オールナイトフクシマだね

その後1ヵ月あまり、ラジオ福島をつけると常に大和田さんの声が流れてきた。
各地の被害の状況や、行方不明者の情報や、避難所の伝言や、放射能測定値を、時に涙で声を詰まらせながら届けてくれた声が、強く強く、記憶に残っている。


1人暮らしを始めたとき、テレビは用意しなかった。
代わりに、SONYのラジオを買ってもらい、電波の良く入る窓際においた。
朝起きて、ラジオをつけることが日課になった。
当時聞いていたのは79.5MHzの「FM NACK5」。埼玉のFM局。
TOKYO FMの電波も入ってたけど、地元局っていうのがいいなと思って毎朝聞いていた。


今は、毎朝の車の運転時に「ふくしまFM」を聞いている。
馴染みのある地名や、地域のお店の情報などがたくさん流れてくるのが好き。福島で生まれ育ったリスナーや、仕事や結婚などで移住してきたリスナーからのおたよりが読まれるのも楽しみの一つ。

あとはradiko。
必ず聞くのは、「福のラジオ」と「星野源のオールナイトニッポン」。時間があれば「オードリーのオールナイトニッポン」もいい。



ラジオは、耳からの情報だけで、表情や情景をイメージする。
そこには余白があり、その余白は自分の想像力で埋めることができる。
そう考えると、文章を読むのと似ているのかも。

人生において、ずっとラジオを聞いてきたわけではないんだけど、要所要所でラジオの存在に支えられているなと感じる。
これからも、生活の一部としてのラジオを大事にしていきたい。




追記
大和田新さんの当時の放送がYouTubeにあったのでおいておきます。優しい声。


あとあと、2024年1月2日(3日AM1時~)の星野源のオールナイトニッポン。
本当は録音放送だったんだけど、直前の能登半島地震を受け、源さん自身の呼びかけでスタッフが集まり、緊急生放送で声を届けた。

詳しくは書ききれないのだけど、その放送を紹介している素敵なnote記事があったのでご紹介します。

震災直後の夜は長い。
避難所に届いた源さんの声は、どれだけの人の心を支えただろう。
やっぱりラジオの力は偉大だ。

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