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noteだから書ける

私のnoteを、実際の友人は誰も読んでいない。
実際の友人というのはnoteを介さずに出会った友人のこと。

数ヶ月に一度くらいしか投稿していなかった頃はInstagramと紐付け、「投稿しました」とストーリーにあげて友人たちにも読んでもらっていたが、毎日投稿を始めてからはそれもやめた。

よくいくコーヒー屋の友人に、noteを書いていると話したところ、「アカウント教えて」と即座にスマホを構えられたが、「絶対イヤ」と断固拒否した。

唯一の例外として、幼馴染であり親友でもある女の子には、彼女について書いた記事を教えた。
とても感激してくれていたが、そのほかの記事まで読んだかどうかは知らない。


私が実際の友人や知人にnoteを読んでほしくない理由は、ひとえにnoteで記している内容が、取り繕いのないものであるからというところにある。

人が誰しもそうであるように、私自身も今までの人生や経験から成り立つ個人であり、それによって思想や思考が形成されている。
それについて発信することは、自分の心の奥の方を晒すようで、いささか心許ない。
それを実際の友人に読んでもらうとなると、気恥ずかしさのようなものが湧いてしまう。

私のnoteを日頃読んでくださっている方からしたら、「いつも自分のことばかりたらたらと書いているくせに何言ってんだ」と感じるかもしれない。
だけど、noteだから、書けるのだ。

これを書いて嫌われてしまうかもしれない、関係性が失われてしまうかもしれないという不安感のない、ある意味現実世界とややずれたところにあるここだから、私は思考や感情を吐露できている。
表面上の取り繕いの必要のない、心の奥の部分を。

だからこのnoteを読んでくれているあなたは、私の勝手な思考に、もらい事故のように出会ってしまった被害者です。ごめんなさい。

気に障りましたらどうぞそっとお戻りください。

そして私のnoteを読んでそれでもなお、私と関わりを持ち続けたいと思ってくださる方は、きっと現実でお会いしたら親友になれるでしょう。

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