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内定

採用のメールが届いた。

失業認定日のハローワークを、うんざりした気持ち後にしたときだった。

児童福祉の業界から、営業職へのキャリアチェンジ。
地元密着型の地域メディアを運営する会社で、地域のなかで働き、仕事をとおしてまちを盛り上げたいと思っていた私にとって、「やりたい仕事」にとても近いものだった。
そして、メディア運営の仕事であるため、業務のなかに「書いて発信すること」が含まれていることが、私にとって一番の魅力だった。


何十社と受けて、何十社と落ちた。
正直なんか違うなと思う会社も一杯あったけど、受けないことには仕事は決まらないと割り切って、片っ端から受けて片っ端から落ちていた。

「疲れたな」
不採用通知を手に、1人で何度口にしただろう。
それでもわたしには守るべき2人の子どもがいて、この子たちを育て上げる責任があって、そのためには立ち止まることなんて許されなかった。
とにかく可能性がありそうな仕事はなんでもエントリーした。

心から「やりたい」と思って受けた会社はほんの少しで、そのうちの一つに正社員として採用されたのだ。


家に帰って、真っ先に姉に報告した。
自分ごとのように喜んだ姉が言った、「長かったね、不安だったねぇ」の言葉に、涙があふれた。

そう、私は不安だったんだ。

2人の子どもだけを抱えて福島に帰ってきて、もう戻ることはできないと悟って、前職の社長に電話で泣きながら退職を伝えたあの日から。
次から次へと届く不採用通知に、私はもう二度と社会に必要とされないのかもしれないという不安が、大人として、社会人として何か欠落しているのではないかという恐怖が、ずっと付きまとっていた。

シングルマザーに向けられる社会の目は、厳しかった。


正直いって、待遇はそこまでいいわけではない。
だけど、新しい仕事に、やりたいと思える仕事にチャレンジできることがうれしい。


そして、フリーランスライターを名乗っていた5か月間。
とても貴重で、尊い時間だったと思う。
短い期間ではあったのだけど、書くことを仕事にして過ごせたことは幸せだった。
文章が、私を生き長らえさせた。

そしてこれからも、生きていくことに書くことを欠かさずにいく。


入社日はすぐそこ。
新しい生活に、どきどきして、わくわくしている。


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