見出し画像

自分の機嫌は自分でとる

子育てってしんどいことも多いし、体力が要る。
あとまわりに迷惑をかける。

それら全部がまあまあ仕方のないことなんだけど、心無い言葉を掛けられることもあるし、周りに気を使わせてしまうこともたくさんある。
だいたいそういう時って、子供達が2人ともなんとなく機嫌が悪いとか、疲れた時とかで、ちょっとしたことで泣いたり喚いたりしている時なのだ。

そういうのが重なると、だいたい私は頭が痛くなる。

今日はそんな日だった。

朝から外出し、疲れ果ててかえってきて15時半。
もう何もする気になれずYouTubeをつける。
こういう時はやはりYouTubeに頼ってしまうし、有難いと思う。
現代に子育てしててよかった。

やっと(本当にやっと)子どもの声が響かない時間を手にした。
もうダメだ。溶けるように畳にねそべりしばしの休憩。
頭がガンガンとする。
あー疲れた。

一緒に出かけた姉も相当疲れたようで、帰宅するなり自室に篭った。

頭のなかが疲れたと眠いの無限ループに陥る。

なんとなく身体の調子がわるい。
そうだ、昼はほとんど甘いもので済ませたんだ。
それに気がついてしまうと、身体が野菜を求め、味覚やらなにやらがムズムズとしてくる。

気がつくとわたしはキッチンに立っていた。
冷凍庫にあった豚肉を解凍し、塩麹をもみ込んで置いておく。

冷蔵庫にある野菜を物色。
まずはごぼうを斜めに切り水につけてアクを抜く。
大根を多めにイチョウ切りに。
にんじんを手に取るが、姉があまり好きじゃないことを思い出して野菜室に戻す。
じゃがいもをむいて食べやすい大きさにカット。
彩りが悪いなと気がつき、カボチャもじゃがいもと同じ大きさにカットした。

これで下準備は完了。

ストウブの鍋に油をしき火にかけ、塩麹でもみ込んでいた豚肉を炒める。
全体的に少し赤いところが残るくらいまで火を通したら、一回引き上げ、豚肉の油でごぼうを炒める。
香ばしい香りが立つまでしっかりと炒めるのがポイントだ。
ごぼうの旨みがしっかり出たと感じたら、豚肉と同様に鍋から引き上げる。

その鍋に6分目くらいまで水を入れ、先に切っておいた大根、じゃがいも、かぼちゃを投入。
ここからがわたしが汁物を作る際の最大の横着ポイントなのだが、具材と一緒に出汁パックを入れてそのまま煮出してしまうのだ。
こうすることで、出汁をとりながら水から茹でるべき野菜を美味しく煮ることができる。

これを思いついた時、すごく画期的だと思い、それ以降このやり方で汁物を作っている。
もはやこれが常識ではないかと錯覚すらしてしまうのだが、おそらく少数派ではないかと思う。
こだわる方にとってはいささか不満があるだろうが、わたしはこれで満足してる。

そんな形で出汁パックと具材を強火にかけ、沸くまでの間に小松菜を切る。
鍋が沸いたら小松菜を入れ、中火にする。
エノキを切ったものを冷凍しておいたことを思い出し、バラバラと鍋に投入。
引き上げていた豚肉とごぼうも投入。
蓋を閉め、ぐつぐつ煮る。ちなみにまだ出汁パックは具材に揉まれて鍋の中にいる。

5分くらいグツグツして、具をかき分け出汁パックを取り出し、また蓋を閉めて気が済むまでグツグツ。

その間に洗い物をして、米をセットし、お風呂を洗ってお湯を溜め始める。
それくらいで火を止め、味噌を溶かし入れて完成。

具沢山の豚汁だ。

少し味をなじませるため、先に子供たちとお風呂に入り、上がって温め直してお椀に盛る。
誰になんと言われようと、豚汁は立派なおかずであり汁物である。
なんなら完全栄養食と言ってもいい。
豚汁さえあればいいと言っても過言ではない。

そんなわけで、本日の夕飯は炊き立てご飯と具沢山豚汁。
それから、姉の作り置きのきんぴらごぼう。

男の人がいると物足りないかもしれない。
だけど姉妹と子ども2人なら、これで十分なごちそうだから幸せだ。

いただきまーす!

ずずっと汁を飲む。
「野菜が染みる…」
姉がボソッと呟く言葉で、私たちは2人とも野菜を欲していたことに気がつく。
豚肉は塩麹のおかげで柔らかく甘い。
カボチャが入っているおかげで汁に甘味が出て、じゃがいもの澱粉で少しとろっとした感じになる。
エノキは出汁が出て、炒めたごぼうは香ばしい。
たまらなく美味しい。

わたしは豚汁が大好きなのだ。


福島には芋煮会という文化がある。
端的にいうと、秋におこなわれる、里芋の入った汁物を作るアウトドアイベントとでもいおうか。
わかりにくいな。
秋に外で、芋を煮た汁を作る会。
うーん、洒落っ気はないがこれが1番的を得ている。

とりあえず外で芋を煮てれば芋煮会なのだ。
秋祭りでもいいし、バーベキューコンロの横で芋を煮てもいい。
とりあえず、芋を煮たものを外で食べることが重要なのだ。

この芋煮会、福島では学校行事にもなる程メジャーな文化である。
年間計画に、
体育祭〜合唱祭〜文化祭〜芋煮会
といった形で並ぶのだ。
校庭にバーベキューコンロを並べ、班ごとに好きな料理(焼きそばやチャーハンなど、なんでもいい)を作り、担任の先生がクラス分の芋煮を作る。
全校生徒でいただきまーすと手を合わせ、自分たちが作った料理と芋煮を並べて食べる。
もちろん外で。
10月の福島はそれなりに寒いから、熱々の芋煮の存在がより際立つというもの。

長々と芋煮会について書いたが、わたしは豚汁を作る時、芋煮会の時の気持ちをいつも思い出す。
わたしが芋煮ではなく豚汁を作るのは、里芋の皮を剥くのが大嫌いだからという理由なのだが、要は具沢山の汁物であれば芋煮会的要素を持っているということだ。

グツグツ煮えた鍋を覗き込み、使い捨てのお椀を携えてよそってもらい、みんなで食べる。
そんな記憶が蘇るのだ。
それはもれなく、楽しい記憶である。

だから私は豚汁を作る。
気持ちが疲れた時、元気を続けられない時、冷蔵庫を開けて汁にできそうなものを全て出し、無心で切り、煮込む。
そうしてるうちに心は落ち着き、食べる頃には豚汁を食べられること自体が嬉しいこととして、わたしをご機嫌にする。

頭痛はすっかりどこかに行った。

そう、いつだって自分を労わるのは、自分を励ますのは、自分だ。
自分の機嫌は自分でとるのだ。

わたしのなかでは、鍋いっぱいの豚汁がその役割を果たしている。

この記事が参加している募集

今日のおうちごはん

今日の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?