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終の棲家選び ~私の夢~

人生の最後は施設なのか自宅がいいのか、皆悩むところだと思う。
一人ひとりの状況がちがうので、どちらがいいのかは断定できない。

施設で安心して暮らすには個室にカメラがあることだろう。
職員から暴力を受けて、他の人に訴えることが出来る人でも、
認知症を患っている方がほとんどなので、信用に乏しいからだ。
また職員の自制ともなるはず。

90代半ばでコミュニケーションがしっかりしている女性がいた。
ある朝、朝食のテーブルにつかないので部屋を訪れると、腰が痛くて
車いすにのれないという。
理由をたずねると「あいつにやられた!」と。

夜勤メンバーは2人。名前はわからないので身体的特徴を言うと特定
できた。背が高くがっちり引き締まった体形の、キビキビした動きを
みせる元営業マン。
夜中ベッド脇へきて何も言わず体を持ち上げられ、ドサッと落とされた
という。骨粗しょう症もあるお年寄りへの、何というひどい行為だろうか!
彼女との会話で気に障ったことでもあったのか。

腰の痛みを訴えたことから病院での検査となり、幸いにも骨折とは
ならなかった。後日の家族の面会時に、そのことを話すことは
しなかったとか。
特老への入居は数年待ちで、簡単に移ることもできないのが現状。
行った先とてまたどんな目に逢うかもわからない。
家族への負担を思えばこそ退去の選択はなかった。


だからといって家族介護が理想かというと、どんな介護者なのかで
天国にも地獄にもなる。

自立してない子だったり、親子関係がうまくいってないケースでは
手厚い介護は期待できない。
本人の収入が介護サービスを受けるのに十分ではあっても、収入のない子は自分の将来の生活費の確保が大切で、1円たりとも無駄遣いはしたくない。
その結果、適切なケアを与えることなく冷暖房さえ惜しみ、不潔極まりない部屋に閉じ込める。
社会的な地位が高い場合でも、親を憎んでいる場合はネグレクト状態が
続く。
あるいは伴侶からの暴力もある。誠実でなかった夫なら、立場の逆転した時が地獄の始まり。トイレ失敗すれば怒鳴られ、食事の不満を言えば鉄拳が飛ぶ。介護事業所スタッフにこっそり訴えても、認知症があれば家族の了承
なしでは入居は困難。


人生で最も大切で幸せなことは良好な家族関係だという。
伴侶として互いに愛し合い敬意をもって接する。

その安定した環境の中、子は安心して成長する。夫婦は一体となって、
子への意見を同じくしてきびしく育てる。

そして社会人になったら別世帯にする。

ハンディキャップある子ならサポートを受けながら親からの自立を促す。
両親は先に逝くので、親がいなくても生活できるよう、そのような
団体とつながることが大切。自立して自信がつけば、ポジティブになる。
自分を好きになってこそ他者を思いやれる人になる。

こうなったのも親のせいだ、と他責にしていれば自分の課題と向き合わずに済む。
が、そのツケはやがて自分に返ってくる。

家族の基本は夫婦。
先ずは自分にとってのベストパートナーを見つけ、
最後の時を相手の腕の中で過ごせたら、おだやかな人生の幕引きが
できそうだ。

そう、自分も排泄介助さえままならない現状の施設には入りたくはない。
今後ますます人手不足になる将来、改善されるとは思えないのだ。




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