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あたりまえ

梅の花が満開に近い。身の回りの人はみな花粉にやられ、わたしは適度にやられつつも旬のめかぶやもずくや小女子などのご飯のおともたちを味方に、海藻だらけの元気な3月を過ごしている。

友達が、卒業していく。今日は地元の友達の多くが通う大学、再来週には、袴姿の私がいたかもしれない大阪大学の卒業式がある。みんなが卒業し、バイト先でご飯会をしたりプレゼントをもらい、海外へ卒業旅行に行き、新生活に”不安と期待”を抱いている。そんなSNSでひしめき合っている。

そんな中わたしはというと、最近、ケーキ屋さんで働き始めました。
幼稚園の夢、22歳にして叶う。笑

週末だけ、三重の家から徒歩5分のところで楽しく働いている。人のもとで労働かあ、とやる前はぐったりしていたけれど意外と楽しいもので驚いている。なんならバイト扱いじゃないから、と言われ、社員でもバイトでもないこのポジションとは、と疑問をいだきつつもしっかりみっちりバリバリ働いている。ケーキ屋さんの楽しさはまた後日書きますね。

個展やその先のために、どう効率よく、時間を無駄にせずお金を貯めるか考えた結果、学校は一区切りついたのでね。平日はびっちり撮影し、週末はケーキ屋で働き、毎晩編集や個展の準備をし、へとへとになり眠り起きて家のことをするので体も心もいい具合に鍛わっている。時間の使い方は良くも悪くも自分で理屈をつければいくらでも肯定できる。今がベストだといえばそうなるが、実際のところはわからない。きっと単発バイトのほうが儲かるしバイトをしないで貫く方が芸術家たるやふさわしいかもしれない。けれど選んだ。正しい正しくないより、選んだことへまっすぐ向き合う心だけは、忘れたくない。

3.11

毎年この日になると こころがきゅっとする

ぎゅうっとするのではない

苦しいのではない 悔しいのでも 悲しいのでも前向きなのでもなく ただ まっすぐにひきしまる

2011年 3月11日

あの日を機に、あたりまえの幸せさ、みたいものを痛感した人は多いのではないだろうか

あの日だけじゃない

わたし達が産まれる前の阪神・淡路大震災や関東大震災、あの後起きた地震や洪水、コロナウイルス


予想だにしなかったことに大切な人を奪われ、街をめちゃくちゃにされ、そうして初めてそこにあったとるにたらない日々に感謝した、なんて経験は、誰もに一度はあるだろう


タイミングや こころの傷の深さは同じことが起きても人によるのだと思うからくらべるものではないのだろうけど、わたしは今の作品作りのテーマとそのルーツがここにあるから人並外れて「あたりまえの幸せ」に目を向けていると思う。当たり前当たり前とさっきからうるさいが、当たり前ってなんで「当たり」「前」って書くのでしょう。漢字よ、なんだかつよすぎやしないか?もうすこし優しくならないかな、ということでせめてひらがなを使っています。言っていて正義感や押しの強さを感じて嫌になってきた。そんな脱線はこの辺にて置いておこう。

「日々」を見つめ、賛美し、小さな移り変わりや失われることに敏感で悲しみを抱く。それでも変わりゆく環境の中でわたし達はなにかを乗り越え、生活を、暮らしを営む。そんなことを作品にしている。その大元のきっかけが、東日本大震災であった。

熊本に住んでいたのにわざわざ小学校を休み、お父さんの仕事ついでに東京へ家族で行ったあの日。震度5強の揺れ、パニック状態の駅、先の曲がった東京タワー、港区の避難所の段ボールベット。すっからかんでスイーツしか残っていないコンビニでロールケーキを買った。今でも鮮烈に覚えている。支給されて食べた乾パンは涙の味がした。怖くて、悲しくて、それよりもっと悲惨な情景を避難所のテレビで見て、夢を見ているようだった。偶然すぎて必然かとさえ思った。

小学四年生の私が熊本にもどって書いた「あたりまえの幸せ」という作文は、なんだかすごい賞をとって作文集に載った。

熊本に帰ってきたとき、ああここは地面が揺れない、と思った。

小学四年生の何も嘘のない率直な思いだったのだと思う。その7年後、揺れないのがあたりまえ、だった熊本が大地震に襲われた。私にとってのゆいいつ安心し、確信していた「あたりまえ」が永久的でないことを証明されているようだった。

自分が大震災をふたつ経験したからと言って、だれかより特別悲惨な人生だとは思わない。幸い家族や友人の命が失われることはなかった。そもそも地震で死ぬことと病気や事故で死ぬことを天秤にかけることはできない。わたしにとっての地震は、その経験を語るべきものでなく、語るべきはそこから今の今まで培われてきた思想だ。

まあ、語るべき、なんておおげさなものではありません。とにかく、わたしはいつもいつもあたりまえをあたりまえだとは思わなくなった。何度も忘れてしまう日々の尊さを、忘れる回数は毎年、毎月、減っているように思う。いちいち感動したり感謝してたら疲れ果てて死んでしまいそうだけどね。

それでも3月11日だけは少し大袈裟にでも言いたい。あたりまえは、幸せだ。たとえ変わっていっても、なくなってしまうとわかっていても。

神様、私や、家族や、猫や大切な人たちを
今日も生かしてくれて、ありがとう。おいしいご飯を、朝日を、たくさんの洗濯物を、青空を、あたたかな湯気を、この目に見せてくれて、触れさせてくれてありがとう。

あなたが今日も生きていてよかった。わたしも、生きていてよかった。

死んだ人の分までなんて滅相もない。けれどわたしはわたしを、今日も生きていてうれしいです。これからも、どんなことがあっても、当たり前が移ろっても、自分に絶望してもきっとね。

東日本大震災で亡くなった方々、心よりご冥福をお祈りいたします。

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