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そしてまんなかへゆく_vol.1

三重県にて、とある撮影企画を始めて一か月ほど経ちました。

「はなす、うつす。」

風と 音楽と ちいさな会話
ゆらり のんびり いまのあなたを写真に。
 


三重まで来てもらいみえのおうちのお庭を中心に撮ること、一時間限定であることを条件にたった3000円で撮る特別企画。



思った以上の反響で平均二日に一回ほど撮影をしています。

週に授業が15コマあるので、オンラインを駆使しながら、空きコマでの撮影、夜は編集です。

とはいえ読みたい哲学書も小説も山ほどあるし、それ以上に学校の課題が山ほどあるし、コンテストに向けた個人の作品作りも並行してやらなきゃいけません。そして何より、ご飯をつくったり暮らしを整えることは、私にとって欠かせないことです。私が招いた人たちが来てくれる期間だから、なおさら。

ちなみに最近の息抜きはお庭弄り
毎日庭に出る度に新しい花に出会います
最近のお気に入り


となると時間は足りないので最近早起きを頑張っている、えらい。

6時間睡眠ルールにしました。(平日だけゆるく)

早起きはもともと得意だったけど一回崩れると全く起きれません。

最近は朝ランが気持ちのいい季節であることとおきれなかったら地獄の筋トレペナルティを課されたおかげでちゃんと起きています。えらい。


本たちからは日々得るものがたくさん

そして撮影で一時間、ひとりの人と向き合って話すということは、もっともっとたくさんのものをもらっている気がする


最近では、本とあるひとたちとの話から、偶然同じことについて考えさせられる機会がありました

それは、私の言葉が誰かの考えや発話にかなり影響を与えている、ということ

誤解を招かないように書くと、「影響力がある人間なんだぜうえーい」ということではないです。笑 

「はなのnoteを読んだ後、自分が書こうとするとそのことばづかいに引っ張られて似通るんだよね~」

そんなことを話してくれた友達がいました

驚きました

だってただ好き勝手、日記のように走り書きしているばかりなSNSだらけですから

でもそれと同時にはっとしました

確かに、そんな文章をあちこちでみるかも、と(笑)

人は身の回りにいる三人で構成されるといわれています

私の身の回りの人が私を作ってくれていると同時に私も誰かを作るひとりであることは言うまでもありません

私のことばもまた、だれかにもらったものの集まりです

だから私のまわりにいてくれるひとが自分と近い思想をもったり近しい言葉遣いをするのはいい悪いでなく必然なのだと思います


そしてまたひとつ、気が付きました

SNS上の自分はいかに飾られたものであるかと。

いいところ、自分の好きなところ、魅せたい姿だけをあげて、洗練されていく。

分かっていてもなおらない、というか、果たしてありのままの私とはなんなのか、わからなくなるような鬱陶しい事実です。

有りの儘でいたい。お願いだからそんな作品を作って、そんな生き方をしたい。そうでないくらいなら、全部消して、SNS上の自分なんてなくしてしまいたい

その「したい」が「そう自分にさせたい」になってしまった時
私は飾らない自分を飾っているのでしょう


飾らないを飾る


どこかでそれを否定してきました

そうあってはならないと思い、じゃあどうしたらいいのか分からないなと思い続けました


でもそれって、本当に悪いことなんやろか

私の考えを貫くためには、SNSをしないことしか選択肢にないのでしょうか

そうではないと、思うのです


少し背伸びをしていい暮らしをし続けた結果、その前が思い出せないほど当たり前に掃除と洗濯ができるようになった

9時に起きることがしんどかった私が7時起きに慣れると9時がゆっくり寝れた特別な日になった

滅多にないけど時間できたらカフェ読書しにいく私たち


暮らしを整える基盤ができるようなったように

無理やり薬を塗り続ければ、10年続けた自分を傷つける最悪の癖も、もしかしたら治せるかもしれない


早起きの練習をして楽に起きられる日がくるように

noteの文章を読み返して、これは誰かに嫌な思いをさせてしまうかもとBackSpaceキーを押して整えることは、いつしか最初から、そんなことばを発さない私への道かもしれない


それならば、飾らないを飾る努力は悪いことでもないのかもしれません
だってその先にほんとうになれる時がくるための時間だもん



もしこのnoteのように、わたしのことを見えないネットワーク上で知ってくださった方がいるのなら、私が引っ張ってしまってもいいようなことを発していよう

どうせ誰かしらに「影響」してしまうのなら ちいさくいい事が起きていく起点でいたい

なんどだってああでもないこうでもないと考えながら、飾った姿を叫ぶでもなく、飾らない姿を放棄して黙することもなく、あきらめないでいよう
 

そうやって そうやって

わたしはまんなかへゆく

ひとつひとつをえらぶのだ

その理由がまんなかであるといい

そんな話は次回に回して、今日はこの辺で


このまえパートナーさんが走り書きしていたノートの締めがかっこよかったのでしっかり真似て締めようと思います


走り書き。くされたるくさ、ほたるとなる。






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