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経営者というロールプレイには、哲学が必要ではないだろうか

経営者というロールプレイをする上で一般的な仕事ができるということ以上に経営哲学をしっかりと持ち、自分の際限のない欲を矯められることなのではないだろうかというのが最近つくづく思うところでして。
 経営者という役割を演じる場合、まず求められるのが独りであることに慣れることだと思うのです。そして感情をコントロールし続けること。
 どちらも自由に振る舞うことと対極にあるものですから、そうあることは非常に難しいと思います。経営者という立場であれば自分のお気に入りだけを身の回りに置くこともできますし、自分の顔色を伺わせて気の向くままに怒ったり、喜んだりすることもできます(この傾向がある人ほど、労使の関係性を重視するような気も)。
 しかし、それをやられた社員はたまったものではありません。彼らが離れていくのは当然の帰結です。だからこそ、自分の感情や欲求のままに行動しないことが必要なのですが、仕事が出来ると言われる人もその素養がある人は少数に留まるのではないでしょうか。
 よくよく考えてみれば日本人の大半は学問としての宗教と哲学、そして倫理学に触れることなく社会人になっていきます。これらは実は経営哲学に密接につながってくるというのが私の所感ですが、社会人になるとこれらのものは胡散臭い、不要なものと決め込む人が大多数です。
 人の振り見て我が振り直せではないですが、知識として知っていれば行わない振る舞いを見ることがあり、徒然と書いてみました。
 

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