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うそつきサイキック 第一話

あらすじ
日河莉子は中学二年生。
莉子は子どもの頃から、超能力が使える。
能力は信号が全部青だとか、手を使わずに灯りが消せるとか、しょぼいものばかり。
しかも、その能力を使えるのは一日限定。能力は日替わり。
ある日、珍しく他人の心の声が聞こえる、という強い能力が使えた莉子。
それにより、クラスメイトの本間心太郎も「他人の心が読める」ということを知ってしまう。
心太郎は、校内一の不良なので、莉子は関わりたくはない。
一方、心太郎は莉子も自分と同類だと思いこんで、積極的に莉子と関わろうとしてくる。
ふたりは、少しずつ距離が近づいていく。
しかし莉子は、自分が日替わり能力だと言えず、他人の心が読めると心太郎に嘘をつき続ける。


 ついうっかり、テレポートをしてしまった。
 そんな日がある人はいるのかな。
 ちなみに私はある!

 そんな脳内会話を繰り広げつつも、私はゆっくりと辺りを見渡す。
 目の前に広がっているのは、大きな湖だった。
 湖は太陽の光を反射して、水面がキラキラと光っている。
 塗装の剥げてしまったスワンボートが何隻か浮かんでいるけど、ちょっと寂しい雰囲気だ。
 湖の周辺には、お土産物屋があるものの、外に出しっぱなしで雨ざらしのおもちゃの刀は日に焼けてしまっているうえに、埃をかぶっている。

「なんだか随分と寂れちゃったなあ」

 昔、家族旅行で行った観光地が寂れてしまうのは寂しいな。
 いやいや! そんなことより、この状況を何とかしないと。
 なんせ私は現在、ジャージ姿なのだ。
 中学校指定のやつ。
 一つ救いだったのは、バスケットボールを小脇に抱えていなかったことかもな。
 体育でバスケの授業中に、ここに来てしまうとは思いもしなかった。

 だって、まさか今日の能力が【テレポート】だなんて、予想できるわけがない。

 せめて家を出る前にわかっていれば、今日は仮病でもなんでもつかって学校を休んだのに。
 しかも、今日は一時限目が体育の授業。
 球技が大の苦手の私は、回ってこないボールと俊敏に動く運動部のクラスメイトを眺めつつ、こう思ったのだ。

『あーあ、遠くに行きたいなあ。景色の良いところでぼーっとしていたい』

 そう思った瞬間に、この湖の前にいた。
 文字通り、一瞬で。

 子供の頃に夏休みに一度だけ家族旅行で来たことがある有名な観光地は、平日の午前中は恐ろしいほどに静か。
 状況を落ち着いて把握すること五分と少し。
 今日の能力が、テレポートだということがわかった、というわけだ。
 ああ、もうさすがに慣れたよ。
 慣れたけど、やっぱこの体質、嫌だなあ。
 そんなことを考えていると、賑やかな声がこちらに近づいてくる。
 ちらりと視線を向ければ、団体客の姿が見えた。
 賑やかなおばさまたちの集団だ。
 やばい! お節介な人が、『中学生がこんなところで何をしてるの?』とか聞いてくるかもしれない。
 そうなったら非常に面倒だ。
 私は物陰に隠れて、それからこう思う。
 体育の授業……じゃない、学校の、なるべく人気のないところに戻りたい。
 すると目の前の景色が一瞬で変化する。
 湖から、一気に目の前が見慣れた景色になった。

 ずらりと並ぶ下駄箱が視界に入った瞬間、埃と汗の混じった匂いが鼻につく。
 どうやら学校の昇降口のようで安心したのも、束の間。
 すぐそばに、一人の生徒がいた。
 目をまん丸くしてひどく驚いたような表情をしていることから、私がテレポートでここに戻ってきたところを見てしまったのだろう。
 こういう時はダッシュで逃げるに限る!
 目撃した生徒は男子だったのだけど、どっかで見たような気もする。
 まあいいか。

 走り出してしまったから確認しに戻るのも面倒だ。
 それに、今までの経験上、私の能力を目撃した人は『あっ。テレポートした!』と確信するのではなく、『見間違いかな』とか『寝不足だからな』と現実的な判断を下す人が圧倒的に多い。
 だからさっきの彼も、私がテレポートしてきたとは思わないだろうし。
 万が一、『テレポートしてきたよね?』と聞かれたとしても、私は何も答えるつもりはないけどね。

 自分に超能力があるだなんて言えない。
 しかもそれが日替わりで変わる、なんてことも。

 私が超能力に目覚めたのは、小学四年生の時だった。
 だからもう、こうなってかれこれ四年が経つ。
 超能力と言えば、なんだかカッコいいけれど、漫画やアニメのようなカッコいいものでも、誇れるようなものでもない。
 たとえば、念力で落下してくる物を操作して、人の命を救うとか。
 時を止めて階段から落ちた人を救うとか。
 なんか落下してばっかりだけれども。
 もちろん超能力で華麗に悪と戦う!
 ……なんてこともない。
 そもそも悪ってなによ。
 私の暮らしは、平和そのものだ。

 今日みたいなテレポートなんて能力自体が私には珍しいのだ。
 こんな強力な能力は数か月に一度あるかないか。
 いつものパターンだと、「信号が全部青」だとか、「寝癖が一瞬で治る」とか、「手をつかわずに電気が消せる」とか。
 そんなしょーもない能力ばかりなのだ。
 しかも、能力は一日限定。
 次の日の朝、目が覚めた時には別の能力になる。
 だから結構すごい能力があることが夜中にわかったとしても、次の日にはつかえなくなっているのだ。
 そして、今のところ、以前つかった能力が再び巡ってきたことはない。
 つまり私は使い捨ての超能力に毎日毎日振り回されているというわけ。

 大体は、しょーもない能力だと安心していると、今日のようにテレポートがつかえて、知らずに観光地に飛ぶ、という自分でもどうしようもない事態も一度や二度ではない。
 だから私は、いつどんな能力があってもいいように一人でいるようにしている。
 こんな体質でなければ、今ごろは私だってクラスの女子と馴染んで、楽しくやっているはずだったのに……。
 この能力が憎らしい。
 なによりも能力に振り回されている自分が嫌だ。
 だからせめてこの能力を今日はガッツリと使ってやる。
 どうせ明日には使えなくなるんだし。

 そんなわけで放課後は、教室に誰もいなくなったのを見計らってから、『家に帰りたい』と強く願ってみた。
 テレポートをする瞬間。
 私は「あ、やば」と口に出した。
 視界の隅にクラスの男子がいたからだ。
 目撃者は、朝と同じ。
 そうだ、この人、本間心太郎(ほんましんたろう)じゃないの!
 最悪な奴に見られた……!

 本間心太郎は有名人だ。
 うちの中学に通っている生徒なら、みんな知っている。
 本間君は、不良。
 だから近づくな、近づくと何をされるかわからない。
 そんな噂が、囁かれるような男子だ。

 何十人を病院送りにしただとか、深夜になるとヘルメットなしでバイクで爆走してるだとか。
 むしゃくしゃすると校内の窓ガラスを金属バッドで割っていくだとか。
 カツアゲは日常茶飯事だとか。
 そういう本間君の悪い噂は、一つや二つじゃない。
 でも、大抵の場合はそういうのって根も葉もないただの噂だったりするんだけど……。
 どうも本間君は、本当に関わってはいけないタイプの人間のようだ。

 二年生で同じクラスになったとわかった時、掲示板の前で何人かのクラスメイトが呟いた。

「俺の青春、終わったわ」
「私、このクラス以外ならどこでも良かった……」

 つまり、それだけ本間君と同じクラスが嫌だということらしい。
 特に私はこんな能力があるから、絡まれることも覚悟した。

 でも、実際には今まで特に絡まれたことはない。
 本間君が誰かをイジメているのも、暴力を振るっているのも見たことはなかった。
 だけど、クラスのみんなが本間君に近づかないのには大きな理由がある。

 四月に、お調子者の男子が本間君にちょっかいをかけた。
 彼を軽く小突いて、こう言ったのだ。

「俺さー、空手やってんだー。お前、不良だろ? ケンカとか強いんだろ?」

 無視を決め込む本間君に、お調子者は続ける。

「え、なに無視? 俺じゃ相手にならない? それとも怖い?」
「うぜぇ」

 そう言ってお調子者を睨みつける本間君は十分怖かった。
 その男子も一瞬、怯んだくらいに。
 だけど、さすがお調子者。
 気を取り直してこう言ったのだ。

「俺さー。お前の家、知ってるんだよなー」

 途端に本間君が立ち上がり、「ちょっと来い」とお調子者を連れて教室を出た。
 
 それから、お調子者を見たものはないない。
 何日か学校を休んで、それから学校に出てきた彼は、すっかり怯えきっていたのだ。
 本間君の名前が出るたびに、「アイツやばい」しか言わなくなった。
 一体、何をされたのか。
 クラス中でさまざまな憶測が飛び交った。

 殴られたのでは?
 いやいや、それならあのお調子者が騒がないはずがない。
 ものすごい技をつかえて、一瞬のうちに気絶させられたとか。
 それとも、刃物でも持っていたのか。
 いや、トゲバットでも取り出したか。
 どちらにしても本間に関わるとヤバい。
 それ以来、クラスの共通認識となった。
 噂は瞬く間に広がり、学年中、学校中に本間心太郎に近づくな。
 そういう雰囲気ができたのだ。

 同じクラスだけど、出席番号も何気に近いけれど。
 席替えで本間君と席がかなり離れたことは不幸中の幸いだった。
 だから、このまま私は本間君とは関わらないように過ごす。
 そして三年生ではクラスが離れ、高校は別々だろう。
 それまで絶対に、奴に目をつけられないようにする。
 絶対にそうする。
 そうじゃないとタダでさえ、能力のせいで振り回されるだけの私の青春が暗黒オンりにーなってしまう!
 
 だから本間君にだけは気をつけよう。
 そう思っていたんだけどね。
 さすがにテレポートを二回も見られたらさ。
 関わってくれって言ってるようなもんだよね……。
 ああ、終わった。
 私の中学生活、終了。
 先生の次回作にご期待ください。
 って、何言ってるんだよ私!

 よーし、こうなったらコンビニに寄って甘い物を大量に買って食べてやる。
 ただの買い食いだけどもういい。
 もうどうにでもなれ、だ。
 私は自宅にテレポートしたものの、そのままコンビニへ。

 なんかちょっと便利かもしれない。
 今日限定だけど。
 うーん、ずっとテレポートの能力だったらいいのになあ。
 そうしたら、本間君に絡まれそうになっても逃げればいいだけだし。
 はーあ、とため息をついている間に、既に目の前はコンビニ。
 シュークリームやらエクレアやらケーキやら、片手で食べられる洋菓子をたっぷりと買った。

 相変わらず私のお小遣いは甘い物にしか注ぎ込まれないな。
 いいのか、十四歳、これで。
 でも、いいの。
 頭を使うと甘い物を欲するように、超能力を使うと甘い物を欲する。
 なので、これは必要な糖分。
 そんなふうに自己完結しつつ、レジで会計をする。
 それから店を出た。

 このまま即家に帰ろうと思ったけど、なんだか急激にお腹が減った。
 よし、家に帰りたい。
 そう念じても目の前の景色は変わらなかった。
 もう一度。
 家に帰りたい。
 あれ?
 ぐーぎゅるるるるる。
 お腹が鳴っただけだ。

「これはあれか。お腹が減り過ぎて能力が発動できないのか」

 そう結論を下して、コンビニの駐車場の隅の人気が少ないところでシュークリームを一個食べた。
 ふう、一個じゃ物足りないなあ。
 私がエクレアの袋を開けると、コンビニの外で煙草を吸っていた男性がこう言った。

「まだあの会社だよ」

 なにかと思えばスマホで電話をしている。
 私は気にせずエクレアを食べた。

「うんうん。そう、あのブラックのって。言うなよ。自覚してるし」

 うーん、チョコが美味しいエクレアっていいね!

「今日は休みじゃねえよ。そもそも休みなんかねえし」

 カスタードと生クリームのバランスも良い。

「忙し過ぎて彼女にも別れを告げられるっていうね。色々とハードだな」

 ってゆーか、さっきからあの電話している人の話が辛すぎる!
 聞いていられない。

「辞めたいけど、辞めるきっかけがねーよ。え? 作家の夢? いやもうあきらめたよ」

 例のスマホで会話中の男性は、まだ二十代半ばくらいの人の良さそうな人。
 大人は大人で辛いのね……。
 子どもは子どもで大変だと思うけれど。
 大人はもっともっと大変だっていうもんね。
 そもそも私みたいな体質で、社会でやっていけるのかって話だけど。
 そんなことを考えていたら、突然、眠くなってきた。

 ああ、そうか。
 お腹に少し入れたから眠いのか。
 家のベッドで眠りたい。
 そう思った瞬間。
 なぜか下半身だけに違和感を覚える。
 足を見てみると、そこに私の足はない。

 きゃーーーーー!
 でも、足の感覚はある、ここにはないどこかに。
 すると、上半身にも違和感。
 え、もしかして体が少しずつテレポートしてる?

 やばいなあ、誰かに見られたら……。
 って、さっきスマホで電話してたお兄さんがこっち見てる!
 めっちゃ驚いてる。
 でしょうね!
 でも、止まらないのよ!
 そして、次は顎に違和感。
 少しずつテレポートするのやめろよ!
 さっきみたいにしゅって、してよ!

「あ、ごめん。いや別に何でもない。俺たぶんすげえ疲れてる」

 お兄さんの声がした。
 電話相手にそんなことを言っている。
 うんうん、これは幻だよー。
 さっさと忘れてー。

「俺さ、もう仕事辞めるわ。それでやっぱ作家の夢、追いかけることにする」

 最後に聞こえたのは、そんな声だった。

 
 私はようやく家に戻ってくる。
 時間のかかるテレポートだった……。
 しかも部屋にスニーカーのまま上がってるし。
 でも、体は無事で良かった。
 今日はもうテレポートはしない!
 
 そう心に誓ったものの。
 テレビを観ていて、あーこのきれいな南国の島に行ってみたいなあとか、アマゾンかあ気になるーとか思うとそこにテレポートしてしまう。
 だから、その日は数えきれないほど無意識のうちにテレポートをしてしまった。
 一日が終わる頃にはぐったりしてベッドに横になる。
 あーもう、こんな能力いらない!

 次の日は朝から快晴だった。
 自室のカーテンを勢いよく開けた私は、無理やり口角を上げる。
「あー本当、いい朝だなあ」
 半ばヤケになって、勢いよく背伸び。

 今日の能力には、期待させてほしい。
 具体的に言えば、人の記憶を消せる能力だといいなー!
 記憶が消せる相手はたった一人でいいんだけどなー!
 そしたら、本間君の昨日の記憶を真っ先に消すんだけどなー!
 あんな厄介な男子に、私の能力を見られただなんて考えだけでも震える。
 テレポートだとバレなくても、急に目の前から消えた同級生にうざ絡みしてくる可能性は高いと思う。不良だし。
 だからこそ、本間君の昨日の記憶を消したい。

 まあ、能力が私の希望に沿ったことなんて一度もないんだけどね。
 昨日はテレポートができる、というかなり強力な能力だったから、今日はその反動でしょぼいやつだろうなあ。
 たとえば、トーストを落としてもマーガリンを塗ったところが上になるとか。
 そんなことを思いながら、身支度を整えてダイニングに入った途端。
 私は今日の能力を知った。

 別に、『今日の能力は〇〇じゃよ』とか神様からのお告げがあるわけじゃない。
 いつも、使えて始めてわかるビックリ箱みたいなものなのだ。
 だから今日はもしかしたら、些細な能力過ぎて気づけずに一日を終わるだろうなと思ってた。
 むしろ、そういう日のほうが普通の人みたいな生活ができるから、安心して過ごせる。
 そう思っていた。
 今日は私にとっての安心デーだと。
 本間君の記憶は消せなくとも、能力に振り回される日ではないんじゃないか。
 そんな確信をしていたのだけど……。

「あら。おはよう」

 お母さんはそう言うと、私を見て「早く朝ご飯食べちゃいなさい」と付け加える。

【トースト焦げちゃったけど、チョコレートクリーム塗ったからバレないわよね】

 頭にお母さんの声が直接聞こえてきた。

「莉子(りこ)、おはよう」

 お父さんがそう言って、マグカップに口をつける。

【ああ、今日のコーヒーはなんだか薄いなあ。でも、せっかくお母さんが用意してくれたものにケチをつけるみたいだから黙っておこう】

 次はお父さんの声が頭の中に響く。

「お父さん、コーヒー、薄くない?」
「ああ、ちょうどいいよ」
【莉子は飲んでいないのに、なんで薄いってわかるんだ?】

 言っていることと思っていることがちぐはぐのお父さんの笑った顔は、確かにやけに嘘っぽい。
 両親の本音を知ってぽかんとしていると、後ろから声がする。

「おい、姉ちゃん、ボーッとしてると遅刻するぞ」

 そう言ったのは弟で、既に朝ご飯を食べ終えて食器をシンクに持っていくべく立ち上がったところだった。

【大好きな遥ちゃんと同じクラスになれたー。あーもうすげえ幸せ】

 そんな弟の幸せそうな声が頭の中に響く。
 私は席につき、ミルクたっぷり砂糖たっぷりのカフェオレを一口飲んで思う。
 確かにいつもより薄いなあ。
 ……そうじゃなくて。
 カフェオレの薄さはどうでもいい。
 それよりも、この心の声のオンパレードのことだ。

 今日の私の能力は、人の心の声が聞こえる、というもので間違いない。
 なにこれ全然、安心デーじゃない! 
 それどころか、学校に行ったら厄介だ。
 クラスメイトの心の中とか知りたくない!
 ……とか思ったものの、ぼっちだから別にクラスメイトの本音を知ったところで何も困らないな。
 こういう時はぼっちで良かったなあと思う。

【今日もゴミ出しだけだっていうのに、相変わらず化粧が濃いわねえ】
【いくらゴミ出しだけだって言っても、ジャージはないわあ。しかも息子さんの中学の時のやつ。名札までついてるじゃない】
【あーあ。会社だるいなあ。上司が爆発でもしないかなあ。会社が燃えてくれないかなあ】
【彼女と登校できる俺、すげえリア充だな。これで俺もクラスのイケメングループの仲間入りだな】
【こいつに告白したのが罰ゲームだっていつ言おうかな。学校着いたらでいいか】

 通学中のご近所の奥様方、通り過ぎていくサラリーマン、高校生カップルの心の声もすべて聞かなかったふりをして学校へ急ぐ。
 朝からお互いの嫌味だの上司の悪口だの、別れ話だのの心の声を聞くのは気が滅入る。
 とりあえず学校へ着いたら一人になれる場所へ避難しようと思った。

 だけど、学校へ着いたら着いたで学校のほうが騒がしい。
 校門ではすれ違う生徒たちの心の声、校舎では下駄箱の生徒の心の声、廊下では通り過ぎていく生徒やそして教師の心の声。
 喋り声にプラスされて脳内に響く数々の本音たちがうるさい。
 そりゃあそうだよね、だって家よりも朝の住宅街よりも人が多いんだから。
 いつもは、学校に着くとまずは教室へは行かずに、廊下の突き当りにあるベンチに腰掛けるのが日課なので、そこへ避難することに。

 ここは自動販売機とベンチとゴミ箱があって、一年の頃からの私のお気に入りの場所なのだ。
 お弁当もここで食べているし、能力を誰かに見られたくない時はここにくる。
 だけど、今日はそこには先約がいた。

 本間君だった。
 彼は私の存在には気づいていないようで、パックの牛乳を飲んでいる。
 私は無意識のうちに柱の後ろにさっと隠れる。
 本間君の心の声は聞こえてこない。
 二メートルくらい離れてると心の声も聞こえないのか。
 これは勉強になった。

 それから、そーっと本間君を覗き見る。
 こうしてみると、別に普通の……。
 いや、むしろアイドル系の顔してるのにな、と思う。
 くりっとした黒目がちの瞳に、通った鼻筋、形の良い唇が小さめの顔にバランスよく配置されていて、六月下旬だというのにこんがりと小麦色の肌にスラリとした体型。
 見た目だけなら、モテるだろうに。
 そんなことを考えていると、二人の男子がこちらへと歩いてきた。

 男子たちは本間君の前に立ち、「よお」と嫌な笑みを見せる。
 染めた髪の毛といい、着くずした学生服といい、この二人の柄が悪いのは一目瞭然。
 二人は「なあなあ、本間、お前ってすっげえケンカ強いんだって?」「なあ」と本間君に話しかける。
 本間君はそれを華麗にスルー。
 まるで二人のことが見えていないかのようだ。
 さすが不良、こういう奴らにもビビらない。
 絡まれ慣れているんだろうなあ。

 二人のうち一人が、「てめえ無視すんな」と本間君の胸倉をつかんだ。
「失せろ」
 本間君が低い声で言い、二人を睨みつけて、それから何かを言った。
 ここからでは聞き取れなかった。
 だけど、途端に二人は「覚えてろよ!」というありきたりな捨て台詞を吐いて立ち去る。
 二人も私の存在には完全に気づいていないようで、階段を荒っぽく上がっていく音だけが聞こえた。

 本間君はクラスメイトや同学年から恐れられているのは知っていたけれど、まさか三年生にまで目をつけられているなんて。
 そういえば、去年は本間君は札付きの不良の三年生の先輩とつるんでたとかって誰かが言ってたな。
 その先輩は学校に来なくなったとか。
 こうやって考えると、本間君ってやっぱり完璧に不良。
 疑惑とかじゃなくて、本当だ。
 絶対に目をつけられたくない!
 とにかく、この場は全力で逃げよう。
 そして今日はとりあえず保健室に逃げ込もう。
 対策はそれから考えればいい。
 そう思って走り去ろうとした瞬間。

 足がもつれて、思いきり転んでしまった。
 ダメだ、これじゃあ本間君に一部始終を見ていたことがバレてしまう!
 殺される!
 逃げなきゃ!
 そう思うのに、膝が痛くてなかなか立てない。
 バンビよろしく、ガクガクする足でようやく体を起こす。
 すると、隣を本間君が通り過ぎていく。
 その時、本間君の心の声も聞こえた。

【大丈夫かな】

 ん? これは本間君の心の声、だよね?
 通り過ぎていこうとした本間君が、ぴたりと足を止めた。
 そしてこちらを振り返る。
 殺すぞ、という目で睨みつけられ、私は座ったままで後ずさり。

「ごごごごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 反射的に謝ったのが効いたのか、本間君は「うぜ」と吐き捨てるように言う。
 それからさっさと廊下を歩いていってしまった。
 本間君の背中が見えなくなってから、私は安堵のため息をつく。
 ああ、良かった、本当に良かった。
 まだバクバクいっている心臓を抑えた手には、嫌な汗をかいている。
 でも、さっきは見逃してくれただけなのかもしれない。

 仮病をつかって保健室に逃げ込もうとしたら、運悪く養護教諭の先生はいなかった。
『外出中です』
 この木札が保健室のドアの前に下がっている時は、気分が悪い生徒は担任の先生に言うことになっている。 
 仮病じゃなければ。
 私はそのまますごすごと教室へ戻った。

 静かな教室に、ちっ、という舌打ちがよく響く。
 一時限目の数学の授業は、ピリピリとした空気が張りつめていた。
 なぜなら、本間君がめちゃくちゃ機嫌が悪いからだ。
 数学の担当教師が教室に入ってくるなり、「ふざけんなよ」と低い声で言った。
 前の席の男子、その前の席の女子が可哀想なくらいに怯えていたが。
 本間君の視線は、先生に注がれていた。

 そうだった。
 数学の鈴木先生と、本間君はめちゃくちゃ仲が悪い。
 いや、鈴木先生は何もしていない。
 一方的に本間君がつっかかるのだ。
 授業を妨害こそしないものの、時折、こうして「ふざけんなよ」とか「クズだな」とか鈴木先生に向かって言う。
 その声と表情は、不良というよりは背中に龍の模様なんかが彫ってありそうな、小指がなさそうな、そういうタイプの人みたいでとにかく怖い。

「本間君、何かな?」

 鈴木先生がそう聞くと、本間君は鼻で笑って答える。
「自分の胸に聞けやタコ」と言うだけ。
 鈴木先生は、大人しい雰囲気の中年男性教師で、特に生徒に厳しいわけではない。
 むしろ、本間君にだって穏やかに接する。
 一体、彼は何が気に食わないのか。
 心の声が聞けたらいいのだけど、私の席から本間君の席までは遠くて何も聞こえない。
 まあ、不良の考えることはわからないか。

第二話

第三話


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