私たちは弱くて、頼りなくて、いつもどこかで情けない。
「つくる、つながる、とどける。」
私はこの「つながる」というのがどうにも苦手で、時々奮起してめちゃくちゃ他者とのコミュニケーションを取りに行ったかと思うと、風船に穴があいたみたいに萎んだり、あるいは急に膨張して破裂してしまったりする。
だから、「つながりつづけられる」人間関係を構築できない自分に、重すぎる劣等感があった。――あった、というか、今もあるけど。
noteに来てから、自分のそういう「だめさ」の根源を、ずっと掘り下げているわけなのだけれども、記憶の蓋を開けていくにつれ、段々、私は傷ついて生きてきたんだなあということに気づいた。古い思い出は保育園での延長保育、居残り組の最後の一人だった幼児期から、鍵すら開いていない家の前で大人が帰ってくるのを待っていた小学生の頃、いじめられていた中学生時代、実力不足ではなく「親の希望」で歪められてきた進路、「周り」とちがう生き方を選んで追いかけた夢とその結果患った病気、とか、とか、ね。
先に挙げたような大きな出来事の隙間でもいろいろあってね。セクハラとかパワハラとかモラハラとか。自己否定につながるようないろんなこと。
ああ、なんだ、私、ずっと傷ついていたんだなあ、と思ったんだよ。
怒りも悲しみも全部交えたこういう「私の実態」をまとめて曝け出して書いているのは久しぶりで、高校生くらいのずっと昔にはブログでぽつぽつ話したこともあったような気もするけど、傷を見せることでさらに傷つく二次加害も多かったし、「私」のイメージが私の創る物語の印象を阻害するのを忌避するようになってからはほとんど語らなくなったので、私が私のまま私のことを書いているというのを、少し不思議に感じる。
サイトを閉鎖した、物語を公開するのをやめた、というのも一因としてかなり大きくはあるけど、noteを歩いていると、弱っている人、傷ついている人、背負ったものと闘っている人、それから、そういう人たちのあり方について語り合い、やさしくあろうとする人とすれ違うことが多くて、私でも、だめな私のことについて話してもいいのかなと思う。ので、書いている。
傷を言語化し、可視化していくことで、私は私を知っていく。
noteだけではなくて、世の中で行き交う人たちも、みんな、見えないところで頑張っているんだろうなと、雑踏の最中で、当たり前のことを考える。
昔から、小野不由美のゴーストハントシリーズの最終話『悪夢の棲む家』で、最後に主人公の麻衣が語る台詞がとても、――すき、というと、少しちがうかもしれないけど。いつもなんとなく、私の心の深いところに残っていて、時折思い出して反芻する。私もどうか忘れないようにしたいのだ。
私がこうして書くことや、noteでめぐり会う人の弱さややさしさは、麻衣の言葉に通じているかもしれないなと、そんなことを考えもする。
推しちゃんたちのライブに行った話を先立って少し書いたけど、ステージの上で元気いっぱいに飛んで、跳ねて、駆け回って、私たちに最高の笑顔やハートを送ってくれる彼女たちは、MCの中で時々「私、中学のとき友だちいなかったからね」とか「陰キャだしね!」とか、ライブを開催する場所を決めるのに「自信がなくて小さいハコを選んじゃって」とか「私たちのためにこんなに人が集まってくれると思ってなかった」とか、話のついでで、何気なく言う。その声が耳にふれるとき、私は少し、ほんの少しだけ心臓がきゅっとなるのだ。きらきらまばゆい、私にとって一番星みたいな彼女たちの、ちょっとだけの素顔。ありのままの、繊細で、心のやわらかい部分が垣間見えると、私はどんな瞬間よりも彼女たちがいとおしくて泣きたくなる。
一人でひっそりと抱えてきた心細さや弱音を、多くの人の前で「こんなこともあるよね」と、声に出して話している、はにかんだふうの彼女たちに、私は小さな勇気をもらうけど、きっとそれは私だけの出来事ではなくて、たぶん、ファンはみんな少なからずそういうところに共感してもいて、一つの空間で同じ人を好きになっている私たちは、お互いにやさしくなっていく。
私たちは弱くて、頼りなくて、いつもどこかで情けない。
その横顔を誰にも見せないのは矜持かもしれないし、強がりかもしれないし、昔の私は自分の弱さを憎んでいたしこの世の悪だと思っていたから、そんなこともあるのかもしれない。「どこにでもある」。私はそのことを忘れずにいたいし、さらけ出したっていいんだよって言えるようになりたい。
悲しいことも、つらいことも、怒りも不満も、いくつもの傷も。人間を生きているからこそのことなのだと、許されたいし。
寄り添えるようになりたいよ。
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