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日々を綴る、泥濘で倦む

5/22 mon

帰宅して勢いに任せて「なぜ仕事を好きになれないのか」を自省した記事を書いたんだけれど、業界がニッチすぎて特定が容易そうなのでお蔵入りにした。簡潔に書けば、デジタル特有の熱のなさに私は惹かれないというか持続的に好きではいられないのではないかということ。

Adoや花譜だって武道館でライブをやっていて、本当にデジタルだけでいいなら現場なんていらないじゃんねって。全部仮想空間でいいじゃん。でも現場を作るわけで、場を五感で体験する、誰かと共有するって、他には代えがたいものなのだと思う。メタバースがいくらすごくなってもたぶん容易には代替できない。もしできるのならこのコロナ禍でもっともっと様変わりしたはずだけど、人は結局、触れ合うことを求めて外へ向かっている。

コーヒー淹れてお客さんとちょっと会話する、くらいのスタバ的距離感の仕事がしたいなあとまた考え始めている。生きていけんのかな。エンドレス。


5/23 tue

息苦しさに皮膚を剥ぎたくなるときがある。皮膚を剥いで肉を削いで骨と臓器だけになったらこの身体はようやっと軽くなるんじゃないか。真綿で首を締めるとはよく言ったものだと思っていて、私の身体のそこかしこには得体の知れない綿が詰まっていてそれが血の巡りを悪くして呼吸をひどく浅くして体力も思考も夢も希望もどん詰まりになっているのではないかと考える。

米津玄師の音楽を好きだと思うとき、もっと言えば歌を聴きながら脳裏に彼の陰影が過ぎってさも眼前に実在しているかのように生々しく彼の声の温度感や表現の輪郭を辿ってしまっているとき、疑似恋愛をしているみたいでむかむかと腹が立ってくる。人生のどこかいつかでこのひとをすきだ、と思った瞬間の、そうとわかってしまったときの怒りとも悲しみとも諦めともつかない感情が米津の音楽を前にすると時折鮮明に胃の腑からせり上がって、そんな自分にうんざりするのだ。私には、好きになっても仕方のない人ばかりを好きになるときがある。好きだと思うことは怖い。手に入らないこと、失うことばかりを考えるから。

やっぱり鬱っぽいのか朝も夜も起きていられなくなっている。やりたいことはたくさんあるのに身体がついていかない。不眠症もつらいのだろうけれど気分が沈むたび過眠症になる私もつらいのだった。大学のときは過眠症のつらさに号泣したこともあったな。さすがにいまは3日間寝続けることはないけど。


5/24 wed

友人のコーチングの練習台にしてもらった。1年半ほどの間に受けてきたコーチングで半分は相性の合わないコーチに出会ってきたのでどうかなと思ったけど、めちゃくちゃ話しやすかったしフィードバックも表情や口癖に言及してくれてわかりやすくて気づきも多くてすごくよかった。親しいから心をひらきやすいというのはあるにしても。しかし、何でもできる人なのにさらに何でもできるようになるのか、すごいなあと本当に素直に尊敬している。こうして、いつでもたゆみなく努力できる人というのはいるのだ。

「けど」ってめっちゃ言うね、と指摘されて、別のコーチにもそれを言われたなあと話しながら、いやそもそも随分前から私には逆接が多いというのを自省していたよなと思い出す。

継続して文章を書くようになって気づいたことがある。私は「けど」と逆接で一文をつなぐことが信じられないくらい多いということだ。けど、だけど、けれども。この頃は読み返す都度、「けど」なんだよと苛立ちながらバックスペースを強打する。けどけどけどけどけどけど、言い訳、弁明、正当化、後ろ向きに前向いて立ち止まった言葉は背中から歩いている。歩いてきた道を否定しないで続く道を臨めるのならどんなにいいだろう。デリートキーで書き直す。私はデリートキーで書き直す。

2021.01.13 日記

このときは言い訳とか弁明とか自己正当化とかそういうあざとさゆえに私は逆接を吐くと思っていたけど「けどのあとはきっとあなたにとって大事なことなんだね」と客観的に言われると、そうなのかもしれないという気がする。自分を納得させたいのにうまくいかず滲み出る本音みたいなもの。あるいは自家撞着。誤魔化して取り繕うことばかりが歳を取るほど巧妙になっていくんだよな。「本当に楽しそうなときは迷いがないね、「けど」も言わない」「笑うときは誤魔化したいときなのかな」他者を通して見える自分に、瞬く。

春が過ぎて夏が来てきっとまたみんなどんどん進んでいく。私は立ち止まって足元を見つめて心許ない気持ちになっている。あぁまたこれだと頭の片隅では考えている、何かすごい何者かになりたいわけではないのにどうしていつも宙ぶらりんになるのだろう。性暴力被害に遭った人は自己が乖離する感覚に陥るとよく聞くけれど、いじめも似たようなものだなと結局全ての原因をそこに押し付けて私は逃亡を図りたくなるのだ。直接的な暴力や誹謗中傷の類ではなくただただ3年間シカトされ続けただけなのだけれどあの頃の気持ちが甦るたびに、いてもいなくても変わらない自分を咀嚼する。私ですらも私を必要としない。これはきっと永遠にだ。不幸とか可哀想とかくそくらえだし中指立ててやる。それでもきっと永遠にだ。


5/25 thu

ESを出したい企業があって書かねばと思いながら締切前日です。寝たいと書きたいを揺れ動きながらソファと布団を交互に転がる。この行動久しぶりだな。メニエール病に振り回されるようになってからは自重していた。同人誌の締切前や論文書いているときはいつもこのどったんばったん。仕事帰りにリポDを2本買ってきて準備は万端なのだけど。

昨日のコーチングのことは手帳に書き記しておいた。


5/26 fri

浅い眠りを繰り返した末、午前2時に目を覚ましESを書くか書かないか1時間うだうだした結果、カフェオレ片手に書くことにした。出さない後悔より出して後悔する。締切まで10時間もないしそもそも仕事へ行かなくてはならないので今日もギリギリで生きていてヒリヒリする。まあ間に合うんですよなぜなら院卒からこちら、ほぼ毎年履歴書と職務経歴書を書いている私は日本中の誰より履歴書と職務経歴書をアプデして生きている女なので。書き出すと早いけど書くまでが長いんだよな私は。

更新面談以降、会社でやりたいことを考えるけれど思いつけずにいる。いや入社して1ヶ月の頃には薄々感じていたことだったので今更な感はあるし、それなら副業がしたいと思ってslackを遡り申請方法を調べたりしたものの、やりたいことがないからやりたいと思える副業をするのは本末転倒というかシンプルに会社を辞めればいいのでは?という。仕事を追い続ける途方もなさが嫌だと思ったフリーランス同様、フルタイムで週5日働きながら空いた時間にも仕事を詰め込んで1週間の殆どが労働になるだなんて考えるだけでぞっとするので、いまの会社に勤めながらの副業も私の理想ではないのだよね。スタバでバイトしながら週3、4日の業務委託くらいならともかく。

会社を辞める。そのうち辞めるならいま辞めればいいと思うけど突発的な怒りこそあれこれまでの職場と比較したら圧倒的に緩いし働きやすいので、決定的な出来事が起こらないかぎり半年はずるずる続けるだろう。そのことに虚しさというか徒労というかはある、倦怠感、というのがたぶん一番しっくり来るわけだが、この倦怠感に覆われながらあと半年とかあと1年とか最悪5年とか働き続けるのはすごく苦しい。親や会社に失望されるのもだるい、面倒臭い、億劫だ。私の人生だから私の好きにしていいはずなんだけれど脛を囓って生きているのはわかっているし同世代を見渡したら社会不適合を極めて圧倒的に劣等生なので働くくらい真面目にやれと思う自分もいる。そんなことを考えながら定時即退勤即スタバに辿り着いてエクストラホットのハニーウーロンティーラテを一口飲んだら死にたくて泣いてしまった。死にたいと思いながら泣いたのは初めてだ。

「こんなはずじゃなかった」と嘆くnoteを読んだけど、こうはなってしまっても「こんなはずじゃなかった」とは一度も考えたことがないなと思った。「こうなるしかなかった」とは思う。私はこうなるしかなかった。死にたい気持ちを抱えながら生きたくもない社会で愚鈍な思考と重たい身体を引き摺って底辺を這うように生きる。中学、いや周囲との摩擦が生まれ始めた小学校5年生の頃には既に、私はこうなるしかなかったと思う。院進学したことも院卒後にアルバイトを選んだことも学芸員の夢を諦めきれなかったこともだからその後に辿り着いた組織のどこでも正規にならなかったことも、別の選択肢ならもっと人生イージーだったのかもしれない想像はしても、後悔はないし、同じ分岐で同じ選択をする自分しか存在できない。

とはいえ、金曜日の夜に、スタバで読書をするのはいい。至福の時間と呼んで差し支えない。『デクリネゾン』の終盤を読んでさらに泣いた。泣けた。中盤までは何だこの話どこへ行き着くんだと少し退屈な気持ちも抱えていたのに、今日はいまこの瞬間に私のために存在している話のような気がした。物語に救済された気持ちになったのは久しぶりだ。

大衆から無駄と言われがちなものに傾倒し崇め救われてきたからだろうか。無駄を減らすことに躍起になっている人は、自分自身が無駄な存在だと気づいてしまった時どうするのだろう。本当に無駄ではないことなんて、無駄の中にしか存在していないのではないだろうか。

金原ひとみ『デクリネゾン』p.380

自分以外の誰かが非論理的に君臨する世界に生きるのは辛い。宗教のように自分が納得できる論理に基づく君臨だったら違うかもしれない。でも、恋愛相手や子供や親のように、ロジックとは全く別のところで己の頭上に君臨するものがある世界にはとてつもない重力が働き、生きているだけで疲弊していく。その世界では己の理想や祈りなんて無意味で、ただ無条件な君臨の下に根拠不明な赦しや施しや責め苦がいたずらに現れる。

同上 p.316

金原を読み出して初めてちゃんと明るく終わったと思った。『ミーツ・ザ・ワールド』や『パリの砂漠、東京の蜃気楼』のほうが私は好きだけれどそれはそれとしてデクリネゾンはコロナ禍の鮮明さゆえか共感するところがすごく多かったし印象的な言葉がたくさんあったな。文章がめちゃくちゃ金原の文体に引っ張られているね。しゃあない。そういえばこんなに長い小説を読んだのはとても久しぶりかもしれない。


5/27 sat

姪っこたちに構う日。無理して手伝いに来なくていいよと弟には言われたけど、姪ツインズかわいいのと父母が心配なので行っているだけで特に無理はしていない。他方で、この頃の私は「あのときもっと家族にやさしくしておけばよかったな」と後悔する将来をなるべく塗り潰すように行動を選択している節があるので、これは死を起点にした行為のような手触りもある。

一生を誰かと共にすること。自分の子どもを育てること。どちらも想像できないまま、僅かな願望すら抱かないまま30半ばまで生きてきて、たまにこれでよかったんだろうかと反芻するときがある。友だちの子どもや姪っこたちを猫可愛がりする私は素直に子どもが好きだと思うし、善い母にはなれなくてもそこそこ責任を持ってきちんと子どもを育てようとしたような気がするし、でも、そうしてなまじ責任を感じるからその選択を取ることはできなかったとも言える。夢を選んで、病気になって、ずっと底辺を生きてて、自分を生活させるので精一杯で、こんな状況で子どもを持ったところで私は私が享受したこれまでの人生と同じだけのものをこの落ちぶれていく国の中で自分の子どもにあげられるとは少しも思えなかったし、何せ20余年死にたいと言い続けてきた女でもあり、産まないことが私にとっての善だったのだ。そうなのだ、これは、善なのだ。私にとって正しいこと。

できれば、おとうさんとおかあさんが喜ぶ顔が見たかったな、もっと親孝行できる娘だったらよかったなと足許の水溜まりで揺らぐ自分の影を見つめて思うけど。やっぱり、こんなはずじゃなかったよりもこうでしかいられなかったとしか、人より欠損した感情を持て余す私には考えられない。


5/28 sun

雨。ざあざあと雨。つまり寝るだけの日。14時に起きてカップヌードルカレー味を食べてシャワーを浴びてソファでうだうだとハニレモを読んでまた寝た。いつまでも寝れる、永遠に寝ている。


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