やがて来る別離をまえにして


 人は死に向かって生きる。
 みんなそう。
 誰ひとりとして例外はなく、死ぬために生まれてくるその一点において、全ての人間、それどころか全ての動物は平等だ。


 父方の祖母が亡くなるらしい。
 らしい、というのはまだ生きているからで、ただその日が刻々と近づいてきており、今日か、明日か、週末か、もって一ヶ月なのだそうだ。
 両親は、祖父母の畑に自宅を建てたので、当然ながら家が真隣で、母の実家で祖父と同居するまでは庭を行き来し、縁側から勝手に家へ入り込み、頻繁に顔を合わせていた祖母である。八人いる孫のたまり場だったので、祖父母の家にはいつもお菓子が大量に置いてあった。私が大学生のころに祖父が亡くなって、伯父の家へ同居を始めてからずっと会っていなかったのだけど、いつの間にやら特別養護老人ホームへ移り住んでいて、いつの間にやらアルツハイマーになっていて、いつの間にやら死を前にしている祖母に、週末、ほんの五分、十分くらいだけ面会した。記憶はないし、しゃべれないし、もう起き上がるのも難しいという話で、実際、会いに行ったときはすうすうと寝ていて、会う、というより、顔を見た、というほうが表現としては適切なのかもしれない。

 おかあさん、と声を掛ける父親の横顔を見ていた。

 しわひとつないきれいな肌でしょう、と父が母にぼそぼそと、だけどやさしい声で、話し掛けているのを黙って聞いていた。


 そういえば、父親の背中が小さくなったなと一番最初に思ったのは、祖父が癌で亡くなるその間際に、会いに行ったときだったなと思い出した。
 父は、やさしいけれど頑固で厳しい人で、私にとっては壁のようでもあり、息苦しい蓋のような存在でもあり、そのときまではずっと「父」でしかなかったのだけど、死にゆく祖父を前にした父は祖父の子どもで、少し、途方に暮れている気がして、頼りなく落ちた肩の線をまなざしでなぞりながら、この人も人の子なんだなと、ばかみたいに当たり前のことをぼんやりと考えたのだった。
 父が祖母に「おかあさん」と話し掛けるのを初めて聞いた。
 やっぱりこの人も子どもだったんだな、とまた思った。

 特養に入ったことすら今までに一言も私たち子どもには話さずにいたのに、一緒に会いに行くかと話を切り出したときの父の目は赤かった。声は強かったけど、たぶん泣きそうだった。こういうときの弟ふたりは、日頃の尊大な態度からは信じられんほど役に立たないので、行ったほうがいいなら行く、と答えたのは私だった。

 みんなで会いに行って、父と母だけ置いて、私たち姉弟は先に帰った。先に帰るね、と切り出したのはやっぱり私だった。
 祖母と、万年新婚をつづける最愛の妻と三人で、父がどんな時間を過ごしたのかは知らない。


 三年前に同居していた母方の祖父が亡くなるとき、十何年も前に亡くなった祖母の遺影がやたらと倒れたりとか当の祖父の夢を見たりだとかしていた私は、その話を父にして、お母さんは弱い人だからそれ言うと泣くからやめなさいよ、と窘められたんだけれども、私に言わせれば私以外の家族はみな弱い。父も母も末っ子だし、弟は言わずもがな弟なので、祖父の葬儀のときはずっと背中を撫ぜていた。しかたがないなと笑っていたのは私だけだったと思う(まあそもそも葬儀で笑うなという感じではあるが、母方の祖父は九十三歳という十分長寿だったのでさして不幸だとは思っていなかった。入院の直前までふつうに肉を食べていたような人だし。ごめんおじいちゃん)。
 たかだか二週間違いの、同い年の従姉(末っ子)が棺の前で大声で泣いたのを、私はあんなふうにできん、と眺めていた。本当にかわいげがない。

 今回も、私はかわいげがないな、と思う。
 泣きそうにない。
 人は死に向かって生きる。みんなそう、と独りごちている。

 ただ、父と母もいつか死ぬんだよな、と、遠いんだか近いんだかわからない未来を想像して、私の目に映る光景の、ほんの一瞬は、このごろ古い映画のフィルムみたいに動く。たぶん、母方の祖父が亡くなったあたりから。どうも、記憶にとどめようとしているらしい。LINEのやりとりのたった一つでさえ、毎日を惜しいと思っている私がいる。
 父母と毎日けんかしていたくらいはちゃめちゃだった時期もあったのに。


 実は、去年の誕生日の直前に、カナダのワーキングホリデービザを取得した。ギリホリもギリホリで、むしろよく許可が下りたなというビザだ。
 取る直前と、取って三ヶ月くらいの間は行く気でいた。行こうと思えばまだあと入国期限まで三ヶ月はある。でもたぶん、もう行かないだろうなという気がしているのでここに告白しているんだけど、カナダに行って何がしたいのか結局のところ皆目見当がつかなかったのが行かない理由の第一位で(英語の勉強をするだけなら日本で十分である)、次点では、やっぱりなんだかんだ、私が、家族とともに過ごせる時間を惜しんでいるからなんだと思う。

 そう考えると、人は死に向かって生きる、という当たり前の摂理に、一番めげているのは私なのかもしれない。家族が好きすぎるんだね。困るな、もう少し薄情になれれば生きやすいのかもしれないけど。


 人は死に向かって生きる。
 みんなそう。

 だから、いまが愛おしいのだし、いまをめいっぱい吸い込んで生きている。小さくなった背中も、しわの増えた手も、あちこち痛い痛いと言っているうるさい声も、食べ慣れた料理も、みんなで見るテレビ番組も、退職したあとの日々の夢を語るまなざしも、ふわふわ生きている私を怒る言葉すらも、取りこぼすことのないようにと願っている。まー、独りでしっかり生きてくれというきもち以上のものはおそらく親にはあるまいと知りながらも。

 人は死に向かって生きる。生きてゆくことはいつか別れること。さきにゆくべき人を見送れる以上の親孝行や愛情なんてあるかな、と近ごろよく考える。しゃんと生きないといけないな。今日もまたそんなことを思いながら、父の伏せた睫毛のかたちをまなうらに刻んだ。



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