見出し画像

ときめきは毎日を倖せにする


 元日の出会いは一年を決めるみたいだ。
 少女漫画を読みふけった三箇日、美人でかわいい推しちゃんのファンミーティングがあった仕事始め前日、ときめきすぎて気分が最高潮に盛り上がったそのままの勢いで、今日も私は、届いたばかりの新しい化粧品を開ける。


 あー! 私、かわいい! 美人! 素敵!!!
 今日も最高の仕上がり!!!!!

 人から見たらそんなご大層な顔ではないのは百も承知で、鏡に映る自分の顔にありったけの賛辞を贈る。ここ三年ほど、簡単なベースメイクに眉を描いたら、古いメガネとマスクで隠して仕事をしてきた。理由はいろいろあったけど、最初のきっかけはセクハラだった。ある日を境に心が折れてからは、地味であることを心がけ、そうこうしているうちに「めんどくさい」きもちに全く勝てなくなって、仕事のときはメイクをしなくなった。

 それでも、別にいいかと思っていた。とりあえずセクハラに遭わないし。二十も年上のおっさんに高級なチョコレートを贈られることもないし、どう考えても帰宅困難になりそうな大雪の日に、年下の男に食事に誘われることもない。誰にもむだに話しかけられないから目の前の仕事に集中できる。それに、ちょっとださいくらいのほうが、年上の女性たちには受け入れてもらいやすい。

 メイクも、ファッションも、私は死ぬほど好きだ。かわいいもの、美しいもの、きらきらするもの。ココ・シャネルが創造したような、クールでデザイン性の高いものも好き。おしゃれをすることは私を強くするし、いつだってきもちを豊かに、自由にさせてくれる、素晴らしい魔法だ。

 だけど、指先のネイル以外は全部やめていた。
 それくらいいろんなことがつらかったし、バカバカしかったし、「着飾った女であること」は悔しくて、いつの間にか、本当にいつの間にか、私のなかの「何か」をめげさせるものになっていた。


「そうですよ、メイクって楽しいんですよ」

 去年の誕生日を過ぎたあたり、仕事帰りにくたびれた顔で立ち寄った百貨店の化粧品カウンターで、美容部員さんはほほ笑んだ。よく覚えている。もう家へ帰るだけなのに、きれいにフルメイクしてくれて、鏡を覗きこんだ私が明るい声を上げたらそう相槌を打ってくれたのだ。

「自分の気分のためですよ」

 メイクも、香水も、自分のため。そのほうが仕事も楽しいじゃないですか。
 きっととても当たり前のことなのに、目には見えない息苦しさを募らせていた私は忘れていた。その言葉がなんだか無性にうれしくて、ぼんやりほしいと思っていたスキンケア商品だけではなくて、アイシャドウとかフレグランスとか、いま思い出せば盛大すぎる散財をして、家に帰った。そのときに購入したフレグランスは、しばらく棚のうえでただの置物だった日々を経て、このごろは毎日私の相棒だ(たまに忘れるけど)。


 それでも、去年のうちはまだ、三年もめんどくさがっていたきもちを引きずっていて、マスクはやめたけど、やっぱり仕事のときはメガネだった。とはいえ、メガネは六年ぶりに新しくした。飴色フレームのウェリントン。

 ゆるやかに、少しずつ「私」を立ち直らせていく。

 秋には思い立って、首筋が見えるくらいのショートカットにしてグレーのインナーカラーを入れた。それが年末にはピンクになった。洋服も、多少高くても、私が「いい」と思うものを買った。ひとめぼれしたSKAGENのまっしろいメンズの腕時計に、ハンドメイド(私ではない)の可憐なネックレスを毎日つける。塞ぎかけているピアスホールが痛いなと眉をひそめながら、そこにもお気に入りのハンドメイドのものを。

 そして年明け、随分長いあいだ読まずにいた超ドストレート王道の少女漫画を読みふけって、大好きな推しちゃんの美貌を間近で見て、「顔がいいって最高だな!!」と、最高潮に盛り上がったときめきとテンションのまま、あの美容部員さんのいる化粧品カウンターでいろいろと買って、毎日メイクをし始めて、なんとまもなく一ヶ月。

 もうメガネではない。いや、メガネも好きだけど、やっぱりコンタクトレンズに代えた。ほとんどすっぴんだった手抜きベースメイクから抜け出して、艶の出るファンデーションをちゃんと塗る。その日の気分のアイシャドウ。新しい口紅に、新しいグロス。いつもコーラルだったけどチョコレートみたいなブラウンに変えた。マスカラは、スックのスプリングコレクションのカラーマスカラがスーパーかわいい!

 最近、めまいで起きるのがしんどい朝が少しだけ楽だ。明日はどんなメイクにするかわくわくして寝る。だから起きるのが楽しい。髪の毛はここ数年で一番さらさらな気がするし、とにかくピンクのインナーカラーは鏡で見るたびハッピーになる。そうだった。おしゃれってすごくハッピーだった。

 毎日、ときめく。

 暗い顔でめげていた私を、きれいな私が笑い飛ばす。職場はなんだか明るく感じられるし、きもちに余裕ができて自信を持てれば、実績をつくってきた仕事はふつうに楽しいし、まだもう少しがんばろうと思える。
 一週間のほとんどを費やす場所だから、倖せでいたいよね。


------------------------

 美容部員さんは、昨春のあの日から定期的に直筆の手紙をくれる。もちろんセールスだけど、ダイレクトメールとは別に送られてくる、ムエットが同封された近況を尋ねる手紙はやさしくて、そうして気に懸けてもらえていることがうれしい。開けるまえからいい匂いの手紙。よっぽどあのときの私は顔が死んでいたんだろう。でしょう。

 今日も私の大好きな化粧品カウンター。また行こう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?