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ヤンコ・ドムシッチの伝えたかったアートの幾何学的な秘密(アウトサイダー・アート)

ヤンコ・ドムシッチ(Janko Domsic)の伝えたかったアートの秘密(アウトサイダー・アート/アール・ブリュット) ヤンコ・ドムシッチ(Janko Domsic,1915-1983/CROATIA) 1915年、クロアチア生まれ、そこで、初等教育は受けているだろう。その後、フランスに渡る(亡命)が、その状況は記録に残っていない。 残存する、わずかな記録からは、フランスに入国後、おそらく刑務所で過ごし、その後、トゥール(Tours)に住んでいた、そして、1935年にPont

25歳、夢をあきらめる

 夢を諦めるってどういうことか、いつか忘れてしまう前に書き留めたかった。  この世が終わるような気がしたし、死んじゃいそうなくらい涙が出た。なにより、私はこんなにも苦しいのに、世界は何も変わらないことが絶望的に悲しい。体が半分なくなった。夢を失うことは、瀕死の大失恋だ。  「ファッションモデルになりたい」というのが、大学生の頃、上京したての私の「夢」だった。ある意味でそれは叶ったし、叶わなかったともいえる。夢半ばで諦めたというのが、きっと一番近い表現だ。  noteには、

障害のある人への配慮を「ずるい、不公平だ」と言う人がいるけど、障害のある人の困難を配慮で補って初めて【公平】になるんだよね。 障害のある人に配慮する事が障害のない人に「不公平」をもたらすんじゃなく、 配慮がない事こそが障害のある人にとって「不公平」だってこと、知ってほしいな。