今日の体重(異様さの正体)#54
84.9kg
電車に乗ると、マスクをしていない人がひとりだけいた。
中年の女性で吊革を持って静かに立っていた。車両にマスクをしていない人は他にいないようだった。
数人がチラッと見やって、苦虫を噛み潰したような顔をした。
ぼくらは、人と違うことに違和感を覚える。
紺碧の海に赤褐色の屋根、白い壁の家々が立ち並ぶアドリア海の街に、緑色の屋根を持つ家があったら異様さを覚えるだろう。
一軒家が立ち並ぶ日本の田舎町に緑色の屋根を持つ家は珍しくない。この例は、条例などで色を規制しているのだから、比較対象にならないかもしれない。
イタリア人男性がみな女性をナンパするのか、関西人がみな笑いに貪欲なのか。もちろん違うだろうが、そういう色眼鏡で物事を捉えてしまうことはママある。
マスクをしていない女性は、マスクをすることで息苦しくなるかもしれない。皮膚疾患を持った方かもしれない。
常識とは身につけるもので、時と場所によって大きく変わるものだと教えてくれたのは、社会人になりたてのころのコーチだった。
常識とは、他者を敬い、社会がうまくに良く進むための潤滑油のようなものなのだ。そのうち、広く一般化すると道徳となるのだろう。しかし、それが無意識のうちにできてくるようになると、違うものに対して条件反射を生むようになる。
他者を敬うことが道徳なら、そうでない人を受け入れることも道徳であり、後者は条件反射を力づくで押さえつける無理をした思考法である。
条件反射はくしゃみやあくびのように勝手に出てきてしまい、それを押さえつけるのは難しい。
でも、それをしてこその優しい社会なのだろう。
気づかせてくれて、ありがとうございます。
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