不登校というもの

不登校になるのは特別な事じゃなくて。
誰でも隣りあわせなのよ。
現代普通なるくらいの感覚で。
エリートはいるよ。いつも競ってる。そうなる子もいる。
そういう子は地域の集団塾へ紹介。
会社とか集団は、
大人も会社行きたくない日あるし。
気晴らしと体力と、いろんなものが積み重なってたまたまだから。
そういう時期が過程としてあって、忘れられてく。

笑い話になってく。
弟なんて幼稚園の先生よ。学校好きなんだかなんなんだかw

でも二人とか兄弟も連鎖とかいろいろ不安は尽きないと思うから私はいる。特に勉強って感じじゃない。夏休みとか学校休みはお子さんも落ち着く場合多いから夏季講習もしてない。
連絡は受けるけど。
親の不安解消できたらいいの子供にもテレビ見て、笑ってれば伝染するから。
子供の方も不安なら二者面談。親も。
すれ違ってるだけだし。
でも姉御って言われるけどどっか抜けててテキトーなんだよね私。
このお気楽さに救われるって言われるからいいかってw
高校通信面倒見いいしいろんなとこある。
好きなこと早く始めれるとこもある。
だから不登校ってことで特別視したり、あんまり個性を病気ってするのは私は好きじゃないんだよね。もちろん発達障害として、病気って認めってたほうが楽な場合もあるんだけど。

長い目で見てほしいの

意外とバイトうまく行ったり繊細な子も人の子と察したりできる子多いから留学大学、院も多い。
三十くらいで好きなこと見つかって笑い話ならいいじゃないって。

もともと日本って、書生とか30歳くらいが大人で暑ければ避暑地、居たければ温泉療養だった。

ゆっくりすることに罪悪感を覚えないで。

不登校商売にしちゃってる高額とかはひっからないでね。

学校行ってる子も見てるけど、違いってないよ。

ただいま勉強の段階か生活改善か、療養か人それぞれ。

マニュアル化できたらいいけど、時代で変わるから。

まだできてない。

#創作大賞2024 #ビジネス部門

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