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これができたら、に頼らない

今日の卵焼きはそこそこ上手くいきました。
テンションが上がって、お母さんに見せて自画自賛して。「簡単で、楽しそうだねぇ」と言われてしまいました。微笑み半分・呆れ半分くらいだったので気にしません。
あまりにも自分の気持ちが明るくなっていることに気付いて、「これから落ち込んだときには卵焼きを焼こうかしら」とすら思いました。

でもこういうの、結構危険だなと思うんです。

まず、落ち込んだときに何かやろうとすると大抵失敗します。いや、「悪いところばかりが目につく」といった方が正しいのかもしれません。
気分一致効果ってこういうことなのかな、と思います。
落ち込んだ時に自分の良いところを思い出そうと、藁にも縋る思いで卵を割り混ぜます。何かができると、自分の価値だと思えて安心するからです。

でも1回目の卵液が綺麗に負けないと心臓がバクバクうるさくなって、次の卵液を流す手が震えてくる。そうするとどんどん動作がぎこちなくなって、挽回できたはずが本当に失敗してしまう。すると最初よりも更に落ち込んで、自分に価値がないように思えてくる。

「まぁなんとかなるっしょ」とか、「味はいけるよ多分」とか、そんな心持ちの時の方が綺麗に作れるものです。もしかしたらアラに気付いていないだけかもしれないけれど。

落ちこんだ時の自問自答

前はよく、こんなことを繰り返して自爆していました。できない自分に気付いたら、嫌いにならないように他に自分ができることを探す。自分に対して、挽回のためのパフォーマンスをしようとする。でもできるかできないかは自分のコントロール外なことも多くて、墓穴を掘ることも多いのです。

なので最近は、「自分は今結果だけでダメージをくらう精神状態ではないか?それとも全てのことを噛みしめられる状態か?」と自分に聞いてから行動するようにしています。前者のときには、「成功/失敗」が分かりやすいことはしない。後者のときには、心に浮かんだことをやってみる。それでもし失敗しても、「私は自分を楽しませようとしてくれるんだな」って思えればOKです。

どちらの状態が良いとか悪いとかではありません。「今日はお肉の気分?お魚の気分?」くらいのテンションでいいんです。自分とうまく付き合っていくために、担い手の自分が適切な操縦法をとる。それが少しできるようになってから、パフォーマンスをしなくても結果的に良い方向に滑っていけていることもあると気付きました。

その時私が何が欲しいか、これからも私が気づいてあげられますように。

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