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ようやく諦めがついてきました。

こんにちは。はなぶさりあむです。

以前のnoteにも書きましたが、わたしはうつを患い、療養していた時期もありました。
最近はようやく自分のペースを掴めて、少しずつ働くことができています。

でもそれもごく最近のこと。


今日書きたいことは、少しずつ回復していくうちに、少しずつ諦めがついてきたことです。
もしくは、諦めがつき始めたから、回復してきたのかもしれません。


人並みに働けないなんて情けない、同期はみんなもっとお金を稼いでいる、素敵な結婚をした人もいる、人より親孝行ができていない、どうしたら昔みたいに元気になれるの。

そうやって、ずっと他人と自分を比較し「普通」を追い求めてきました。


でも思えば、他人と自分では正確な比較ってできないですよね。
その人の生まれ育った環境も、持って生まれた能力も、その後の経過も、全然違うわけですから、その人たちと同じ道を辿れなくて当然だと、ようやく分かりかけてきました。 


人並みに働けない。
わたしは、もともと体力もないし、根性や気力でどうにかできるタイプでもありません。

でもそれがなんでしょう。
とりあえず生きていて、毎日生活をできているので、まあいいじゃないかと。
なんだか最近そう思います。
いい意味か悪い意味か分かりませんが、諦めがついてきました。

同期はみんなお金を稼いでいる。
そうでしょうね。みんな頑張って働いています。

幸せな結婚をした友人もいる。
その通り。わたしにはそんな素敵な友人がたくさんいて嬉しい限り。

親孝行ができていない。
それなら、これから少しずつやっていこう。

昔みたいに元気な頃に戻りたい。
残念ながら、時間は巻き戻らないし、よく思い出してみたら小さい頃から体が弱かったので最高に元気な頃って、実はないかもしれないです。


諦めることは向上心がないのでしょうか。
わたしは、「向上心のない者は馬鹿だ!」とばかり考えていましたが、そんな彼も死んでしまいましたね。

向上心がないならないで、それなりに生きていけます。
向上心とは、「人並みに、普通に」を目指すこととイコールではないですよね。

人並みじゃなくても、自分の思ったやりたいことを少しずつして、いろんな人に少しずつ迷惑をかけて、ぼんやり生きていこう。
まあ、それでいいか、と。

なかなか諦めがつかない部分もまだあります。
どうしたらもっと良くなれるだろう、どうしたら幸せになれるだろう。

でも、クッキーと紅茶がおいしかったり、干した布団がふかふかだったり、花が咲いていたり、そういうことでもいい気がします。

たぶん豪邸に住んでも掃除が大変だし、宝くじに当たったら詐欺に合いそうだし、誰もが振り向く絶世の美女なら面倒ごとに巻き込まれそう。
わたしは心配症です。


わたしはとりあえずわたしとしてやっていくしかありません。
それならそれで「よし」とします。


今日もそんな感じで、「よし」とすることにします。


また明日ね。

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