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わたし、「アラサーOL」ぶってるかもしれない。

お風呂に入りながら、ふと気付いたのですが。

もしかして、わたしの悩みって、誰かと自分を比較することばかりが原因なのではないかと。


例えば。


○ 人より年収が低くてつらい

→ その想定されうる「人」とは?

→ 周囲の友達とか、前職の同期とか? あと世間の人とか?

→ 悩む理由は、世間や周囲の人と自分を比較しているから


○ 早く結婚した方がいいのかな?

→ 「結婚したい」ではなく、「結婚した方がいいのかな」なのはなぜ?

→ 友達や同世代の知り合いが結婚しているから(でも全員ではないな)、あとはなんとなくそういう年齢だから?

→ 悩む理由は、世間や周囲の人と自分を比較しているから


どの悩みも、もしかして、誰かと自分を比較しているからなの?

しかも、親しい友人や周囲の人ならともかく、「世間」とか「一般的に」とかに縛られているからなの?


そして、こうも考えた。

その悩みって、普遍的だし、同世代の女性ならよくあるはなしなのでは、と。


アラサーOLが恋に仕事に悩み、成長していく物語。

そんなもの世の中には無数にあふれていて、なんとも普遍的。

もしかして、わたしもその中のひとりなの?


それとも。

「アラサーOL」という属性が付与されたからって、その悩みに共感して、自分も同じ悩みを抱えているような錯覚に陥っているの?


どうやら、わたしの場合、そっちの方が腑に落ちそうだ。


パートナーがいるのに、SNSの婚活垢の悩みを拝見しては勝手に共感したり。

「痛いアラサー」が描かれた漫画を読んで、勝手に刺さり苦悩したり。


もしかして、わたし「アラサーOL」ぶってる?

そして、その属性に自分がいることで安心してる?


わたしが悩んでいることって、わたしの問題そのものではなく、「わたしが所属している気になっている大きな集団の、一般的に悩みとされるもの」なのでは?

自分のことではない、誰のことかも分からない人の悩みを、勝手に自分のこととして捉えているの?


これって別に「アラサーOL」に限った話ではない。

「世間一般」とか、「普通は」とか、バカでかい主語のせいで、それが自分のことだと勘違いしてしまうことって、よくあることではないかなって思うんです。

もしかして、それにわたしも相乗りしちゃってる?


わたしだけの悩みだって、大事に大事に胸の奥にしまい込んで、悶々と大きるなるまで育てていたのに、それは知らない鳥が産んだ卵を勝手に温めていただけかもしれないのです。

そう思ったら、なんだか大事に温めるのも馬鹿馬鹿しくなって、よく知らない「世間」とかいう巨大なものも、急に価値あるものだと思えなくなって。


大きな価値観を手放すかもしれなくなって、急にさっぱりしたような、でも居心地が悪いような。

抜歯した時みたいに、急に気になるくぼみが現れたような。


これって手放しちゃっていいのだろうか?

ちょっとまだわかりません。

実際、手放すとなると結構時間がかかりそうだし、結局また錯覚に陥ってしまって、何度も同じことを繰り返すと思うんです。

だから、すぐにはなくならないと思う。

けど、徐々に小さくして、扱いやすくしていこうかな、と。


そんなことを考えた、お風呂でした。


それじゃあ、またね。

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