優しさアンテナ
感じとれるようになった「寂しさ」を、どう扱えば良いのか。それがここ2回のカウンセリングのテーマだった。
いつも通り、ここ2週間の出来事を話す。
楽しかったこと、悲しかったこと。
楽しかった出来事は私に何をもたらして、悲しかったことについては、どう自分なりに受け止めたのか。つらつらと話す私を、カウンセラーさんはじっくり耳を傾ける。
「嬉しかった時、どんな気持ちになりましたか?体にどんな感覚がありましたか?」
うーん。言われてみると、どういう気持ちになっていたんだろう。しばらくそのシーンを思い出しながら、応える。
私「…ほっとしました。安心?体の緊張が解ける感じがしました。特に胸と背中…?」
先生「安心したんですね。体の緊張が解ける以外には、どうでしょう?」
私「…?!?!」
先生「おそらく、その人のあたたかさや優しさを感じたんじゃないかと思いますよ。」
感じていたはずなのに、心が固まっている。錆びた扉を開けようとしているみたいに、開きそうなのに、キシキシと扉が枠に挟まって、開かない。そんな感覚だ。
困っていると、先生はこういった。
「ほっとするということは、ずっと緊張状態にいたわけですね。
でも、ほっとするところで終わるということは、ずっと寂しさを抱えているということなんです。
ずっと寂しさを感じているから、人に優しくされるとほっとする。
でも、それは、ずっと他者に寂しさを癒してもらうことを待っていることなんです。」
ハッとした。たしかに。
でも、どうしたらいいんだろう?
「寂しい時は人に頼ってもいい。でも、自分でも寂しさを癒せるようになることが大事です。そのためには、自分に優しくする。寂しさを受け止められるのは、優しさやあたたかさだけなんです。」
自分に優しくするという表現は、あまりに陳腐だ。でも、その意味を理解できていなかった。
人への怯えが先にあって、人の優しさを、素直に優しさとして受け止めてこれなかった。優しさって、なんだ?
おそらく、その疑問が顔に出ていたらしい。カウンセラーさんが問う。
「人に優しくしようと思ったとき、体はどんな反応をしていますか?」
過去を振り返る。自分はどんな時、人に優しくしようと思ったか。
例えば、誰かが失敗したとき。
そんな時は、その人を安心させてあげたいと思った。
例えば、誰かが辛い経験や無力感を感じていたら?
その人に寄り添っていたいと思った。
そのとき気づいた。
優しさのかたちをすぐに発想できたのは、私が他の人に、そうしてもらったことがあるから。
急に体があたたかくなり、優しさに触れた時のことを思い出して、思わず涙が出そうになる。
その様子を見て、カウンセラーさんが問いかける。
「いま、優しさを感じられていますね。どんな感覚ですか?ふわふわしているのかとか…。色でもいいですよ」
3年前、自分の無力感に思わず仲間の前で泣いてしまったとき。その時を思い出して感じたのは、暗かったところにあたたかいオレンジ色のあかりが灯り、ほんわかしたものに包まれたような感覚だった。
ソファに身を預けながら、ゆっくりとその感覚を味わう。
自分で心から経験しないと、私は気づくことができなかった。こんなに時間かけずに気づけるに越したことはないけれど、辛い時間の長さの分、心も深くなったと思う。
「いろんなところに、優しさは落ちてますから。人から優しくされた時、人に優しくした時、自分に優しくした時。そんな時、体はどんなふうになるか、どんな気持ちになるか、これから意識して味わってみてください。」
今回のセッションを経て、もっと積極的に優しさを感じとりたいと思った。
そして、優しさをもっと描写できるようになりたい。
言葉でも、色でも、音でも、肌触りでも。
感じた優しさを、心の中に溜めていきたい。
いつでも、人に優しくできるように。
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