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卒業アルバム革命へ。。。

体育祭とか文化祭のスクールフォト案件をほぼ毎年、特定の写真館から受注しており、特定の季節はめっちゃスケジュールが網目化してしまう嬉しい悲鳴上げております。
それはさておき、カメラマンとの交流でスクールフォトの話があると、

・現場の経験を積む足がかり
・撮影瞬発力を鍛える案件

って言い切ってしまうカメラマンを何人も見てきてます。
そして、それを真に受けてしまうカメラマンもいて、頭痛の種です。
ただ、自分も含め商業カメラマンである以上、慈善事業ではないため裏返すと、

・案件金額としては低い
・撮影実績証明がしにくい

という避けられない現実問題はある。その気持は大いにわかる。帳簿をつけながら、ただね…ただね…商業カメラマンといえど、体育祭・文化祭の撮影を行う事への目的や気持ちは、
「利己」出はなく「未来への贈り物」ではないだろうか?
卒業生や保護者により添えないカメラマンはスクールフォト界隈から淘汰されてほしいと、ここ数年ふつふつと思います。
それが何故思うようになったのか、偶然にもとある学校の体育祭の撮影で、卒業アルバムをデザインする人と組んで撮影を行いました。
その方はの撮影スタンスや動きが、愛が有る気持ちで撮影していた。
その時から、スクールフォト案件の見え方が変わりました。

なぜなら、卒業生や保護者にとっての卒業アルバムは、小学生から換算すると50年以上も共になる可能性があるから…
自分の同級生には受け取って、自分の個別写真は真っ白のシールを上から張って、二度と見れなくしたり、燃やして破棄したり…
そんな卒業アルバム担ってしまうのはかなり悲しいことです。

裏返すと、フィルム時代からの悪い習慣への脱却のチャンスでも有り、
印刷技術の向上で、少量高品質冊子印刷が可能となった今だからこそ、
卒業アルバムって変えていくべ所はいっぱいあると思います。

あえて誰も居ない時の学び舎の外側や内側、不自然じゃない生徒一人ひとりの個別写真、型にはまってない集合写真、360度カメラを使った、全天球写真…卒業アルバムって卒業生や保護者に寄り添う事を思うと、色々とアイディアは出る。そんなのを作って行けるような卒業アルバム制作に携わってみたい。

そして、この考え方が
”夢物語と思われるなら、一般論となるまで”
”商業的単価が上がらないなら、上がるまで”

最後には自分がミッションとして掲げている。
”5年後、X年後の為に。”を遂行するまで、
歯を食いしばって、新しい卒業アルバムのアイディアを提案し続ける。

賛同されなくても良い、スクールフォトを撮影している数多のカメラマンの中の一人がつぶやいた小さな小さな独り言だから、共感してくれる方と共に変えていきたい。

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