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リビング・イン・ニア・トーキョー #6
音楽を聴きながらお楽しみください。
午前5時に、変な地響きのようなものを感じて目が覚めた。ここ最近の地震もあって、このあたりに妙に敏感になっている自分がいる。昨晩どうしても眠くて、10時頃に寝てしまったというのもあるのかもしれない。ネットで調べても、地震の起こった形跡はない。外は曇り空。
相変わらず、自宅周りの日々が続く...と書くと、「自粛疲れ」を感じている自分がいるような気がしてしまって、どうにも気が滅入ったエッセイになってしまいそうだ。曇り空と雨の予報が、追い討ちをかけるように「さあ、後ろ向きな文章を書きたまえ!」と迫ってきているような気がする。
もし「共感」を呼ぶことだけが目的なら、そうやってマイナスの方向に話をもっていくことも悪いことではないのかもしれない。人は、誰かの悪口で仲良くなっていくことも往々にしてある。
だけど、どうせ書くなら、どっちかといえばプラスの気持ちになれるようなものを書きたいよね。日常に変化がなくなると、人はどうしても閉塞感を抱き、ネガティブになってしまいがちだと思う。そうじゃなくて、つねに、少しずつでもいいから、変化を感じることのできるものでありたい。
そう思って、日常にも少しずつ変化を取り入れるようにしている。例えば、買い物に行くにも毎日ちがうスーパーに行ってみたり、買うにしてもちょっとだけちがう野菜を買ってみたりする。ひょっとしたら普段無意識にやっているかもしれないことだけど、こうやって意識を向けてみると、それはそれで楽しかったりもする。
そうしていくうちに、自分でも少しずつ心が前向きになっていくのを感じる。エッセイをタイピングする手もサクサク進む進む。楽しいぞ。こういった楽しさが日常にあるというのは、意外と大事なこと。その中に、「敢えて」変わらないものを混ぜたりしていくと、もっと楽しむことができる。だからこそ、このエッセイを書くとき、手元には淹れたてのコーヒーを置く。
人は、「自分が操作している!」と感じると、心が動く。という話を思い出した。例え操作することにメリットがなかったとしても、主体性を感じることで、より幸せで健康的になり、生産性も上がって、話を素直に聞くようになる。自分が今前向きな気持ちになれているのは、変化を取り入れたから、というよりは、「自分で選んで行動している!」と思えているからなのかもしれない。
そういえば、件の宣言しかり、いま世の中は「行動をいかにして縛るか」に主眼が置かれつつある。後ろ向きになってしまうのも仕方ないことなのかもしれない。だからこそ、日常のどこかに「自分は意識的にこういう行動をしている!」という場面を作ることが、前向きになるために必要なんだろうなあと身をもって感じているところだ。
ここまで書いたところで、自分がだんだん元気になってくるのを感じる。そう、最近の自分は、自分で選んで行動することができているんだった。
選ぶことの楽しさを、もうひとつ感じたのは5月6日の話だ。どうにもマンネリ感を抱いていた自分は、思い切って自転車で知らないところへ行ってみることにした。自転車でその辺りを走るだけなら、密になるわけでもない。
どこに行こう、と考えて、真っ先に浮かんだのが、ディズニーランドだった。
シーも含めれば、人生で5回ほど来たことのあるディズニーランド。(そう簡単に来れるところでもないはずなのに5回も来ているというのが不思議で仕方ないが)いつも「スペシャル」を味わせてくれるところ。そんなところが、今や電車で3駅もしないところで、「待ってますよ」と言わんばかりにそびえ立っている。
電車で3駅。距離的にも、今までに比べれば大したことはない。そりゃあ行くしかないだろう。しかも、自転車でだ!今や僕は、中学生が隣町のプールに遊びに行ってくるぐらいの感覚でディズニーランドに行けてしまうのだ!どうだすごいだろう!!そんな僕も今年で29歳になります。上京したての大学生のようなトンチンカンな気持ちを抑えきれないまま、曇り空の下、舞浜を目指した。
舞浜に着いたのは、それから1時間後だった。疲れた...。
とにかく、ガラが悪い。そりゃあ、このご時世に外に出てこようという輩が集っているのだから、多少ガラが悪くてちょうどいいぐらいなのかもしれない。そのガラの悪さにくくられてしまうのも不本意といえば不本意だけど。きっと彼らも皆、自分の中坊ソウルを抑えきれなかったのだろう。
南国っぽい木の下で、エンジンをふかしまくるバイク。あまり好きになれない類のEDM(さすがにエレクトリカルパレードではない)を爆音で流すシャコタンの車たち。不要不急の真髄とでも言うべきものたちを尻目に、そのシンボルたるタワー・オブ・テラーの後ろ姿を写真に収めた。
後ろ姿すらもディテールに凝られまくっているその気の回しよう。あんな横のバルコニーなんぞ使ってないだろうに。そのガチガチのエンターテイメント性を、休業していようが惜しげもなく僕らに見せつけてくる。
つくづくディズニーランドは魔境である。辺りのホテルの空気感、植えられている南国っぽい木、どれもこれもプロフェッショナルに満ちあふれている。これを作り上げるために、どれほどの善人が闇に葬られてきたんだろうと思うと、いたたまれなくて仕方ない。そうした歴史の闇の上に、人々から金を絞り取るための欲望の舞台装置は成り立っている。果たして、中坊ソウルを剥き出しにするバイク乗りたちは、どこまでそういった背景に思いを馳せているのだろうか。
遠くに東京。
こちらも写真に収めたが、天気も相まって、完全にゴッサムシティでしかない。この前のスカイツリーとはまるで別物だ。なんだか、改めて、とんでもないところに来てしまったような気分になった。
しかしそれは決して、天下一武道会の後に突然クリリンが死んじまった(しかも手下レベルにやられた)ときのような僕たち読者のあの絶望感ではなく、どちらかといえば、ベジータとの戦いにヤバいときなのにワクワクしてしまう悟空のような心持ちなのであった。
楽しい、ということだ。選んで来たのだから。
(2545字と、帰りの自転車1時間と、疲労)
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