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写真を言葉にするということ

最近、よくSNSなどで目にする。
「写真の言語化」。

数年前まではどちらかというと、「必要ない」と考えていた。

写真家なんだから、写真で語ればよい。

 雑誌や広告の撮影では、印刷されて人の目に触れるまでに写真に複数の人の手(チェック)が入る。編集者さん、デザイナーさん。場合によっては、クライアントさんや撮影被写体さんからも。そういった仕事では、撮影した写真を自身のことばで語れるほどに表現するよりも、編集者やデザイナーさんの意図を汲んだ中でいかに自身の表現を組み込めるかに注力していた気がする。
 それもあって、自身の写真を語ることは少なかった(必要なかったといえる)。

それが「花の貌」シリーズのオリジナル作品で写真展を開催するようになり、その製作意図や作品に対する想いをひとりでも多くの方に知ってもらいたいと感じるようになり、

写真を自分の言葉で語れないと、もったいない

と考えるようになった。
 ひとは、もちろんその写真の印象で「好き・きらい」を判断するのは間違いない。しかし、製作意図やプロセス、表現のねらいを伝えられることによって、好きな写真をより「好き」に、きらいな写真を「良い」写真に感じてもらえることに気づいたのだ(もちろん逆の場合もあったろうけど)。

また、昨年より京都府向陽高校写真部にて講師をさせていただいたり、写真コンテストの審査、写真講座の講師を仕事としてさせていただく機会が増え、
「写真をちゃんと言葉にして伝える」
ことの大切さを痛感している。

言葉にしなければ伝わらない。

伝わらなければ、理解してもらえない。

自身の今までの勉強不足を、甚だ後悔するばかりである。


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