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根が暗い人が好き

根が暗い人が好きだ。
根が優しい人も好きだし、根が真面目な人も大好きだが、「根が暗い」というのは自分の好みとして外せない気がする。
なぜなら私自身が暗いからだ。


根が暗いというのを言い換えるとしたら、心に暗いものを持っている、こじれた考え方をしがちである、というようなニュアンスか。全体的に暗いというよりは、あくまで「根」が暗いのだ。
今でいうメンヘラにあたるのかはよくわからないのだが、いつも友達とは「根が暗い」という表現を使っているので、ここでは「根が暗い」で統一して書かせていただきたい。


私は相当、根が暗い。
放っておくとすぐに絶望しがちだ。愛にも恋にも世の中にも。
でも、それがコンプレックスかというとあながちそうでもなく、大体こんな感じでいいんじゃないかと思って生きている。
真っ暗になりながらも、読んだり聞いたり考えたりしながら、どうにかこうにか明るい場所を目指していけばいいや、と思っているのだ。


私の友人達もみんな根が暗い人ばっかりだ。
絶望の仕方や、考え方のこじらせ具合が私と似ている。
いわゆる「重い」タイプだ。
しかし、みんなどちらかというと派手だし、パッと見は全然悩みとか無さそうな雰囲気だ。
また、暗いということ = 笑いが無いということでは全くなく、友人達といると大抵いつも爆笑している。笑いすぎてお腹が痛くなるぐらいだ。レストランなどで深刻な相談事をしている時でも、何かというとみんなすぐに笑い話を挟んで爆笑するので、他のテーブルからはやけに陽気に見えていると思う。その実、3年付き合った彼と別れるかもしれない、という涙無くしては語れない恋の顛末を話していたりするのだが。


ある時、友人達に「私、根が暗い人の方が好き」と言ったら、すぐ「私も」「あたしも」「オレも」という答えが返って来た。
「そんなの当たり前じゃない?」ぐらいの勢いだった。
あ、やっぱりみんな自覚があるんだ、と思った。
お互いに暗いってわかってたんだな。
どうりで気が合うと思った。


そして、私の好きになるおじさんも、心に暗いものを抱えている人ばかりなのだ。
それは個人的な経験から暗くなったという事もあろうし、元からの性質が暗いということもあろうが、その根の暗さの反動が彼らを魅力的に作り上げてきたといっても過言じゃない気がする。(私にとって、だが。)


その他にも私の好きな人達ときたら、作家は言うに及ばず、歌手も、俳優も、画家も、みんな根が暗そうなのだ。
それは、そこに書かれていることや、表現されているものの主題や、インタビューなどから窺い知れるのだが、最初なんの興味も持っていなかったアーティストが、あるとき語っていたことによって「この人もずいぶん暗い人なんだな」と気づき、そこからその人の作品を遡ってみるととても好きになることもある。
(例えば‥‥と、その名前を挙げようかと思ったが、差し障りがあると悪いのでやめました。)


事ほど左様に自分の根が暗いので、明るく前向きな人を見るとまぶしく感じる。
ああなるほどな、そんな考え方もあるのだな、いいな、と思う。
暗い人は「好き」だが、明るい人には「憧れる」という感じだ。
憧れはしても、私なんかといたらきっと暗くて迷惑かけちゃいそうだな、と思ってしまうので、なかなか仲良くはなれないけれども。


そんな暗い私が、日々悩んだりくよくよしたりする中でnoteを書くようになった。
書いてみたら思いがけずちょっと気が晴れたりすることがわかった。
そしてそれを読んでくれる人がいるというのが、こんなに嬉しいものなのだということも初めて知った。
何でも始めてみるものだなと思う。
もし私のnoteで暗い気分なっちゃった人がいたら申し訳ないけれども。
でも、他に明るい素敵な記事もたくさん載っているのがnoteだからきっと大丈夫だと思っている。


「命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。」


根が暗い人の代表みたいな太宰治の、大好きな一文。
(「津軽」から。)

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