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蛇口を壊したことを気にする私と、体を一番に心配してくれる夫

梅雨の時期は、お風呂からいつも以上にイヤなにおいがしてくる。それに加え壁や床のぬめりも気になる。

先日は朝から張り切って家中の掃除をした。お風呂の壁やら床やら、あらゆるところにバスマジックリンを吹き付け、先にリビングとトイレの掃除をした。

その後気合いを入れて、お風呂掃除に臨んだ。柄付きのスポンジを左手に握り、浴槽の底に左足をついた途端…。

私は吹き付けたバスマジックリンで足を滑らせ、ものすごく大きな音を立てて転倒した。右脚のスネを強打し、左足の指先はこむら返りを起こし、あまりの痛みに苦しみ悶えた。リビングでは、大きな音に驚いた愛犬の三郎が泣き叫んでいる。

家族は仕事や学校に行っていて、家には誰もおらず、
「自分でなんとか体を起こさなきゃ」
と思い、必死になって起き上がった。もしかしたら大怪我をしていて、病院に行かなきゃいけないのかもしれないと不安になったけれど、案外私の体は丈夫だった。

少し冷静になったところで、ある異変に気付いた。浴槽の中に、シルバーの30cmほどの細い筒状の棒が落ちていた。なんだこれ?と思ったら、蛇口のパイプだった。

蛇口パイプが本来付いている場所を見ると、ボッキリと根元から折れていた。私の腕では修復不可能の状態だった。

どうやら転倒する際、私は咄嗟に右手で蛇口パイプを掴み、そこに私の体重がのしかかり折れてしまったようだ。

「どうしよう…。修理はどこへ連絡したら良いんだろう。修理はどのくらいのお金と時間がかかるんだろう。ユニットバスごと交換になっちゃうんだろうか・・・。こりゃ大変だ・・・。」

しかし浴室の全体に吹き付けたバスマジックリンをそのままにしておく訳にはいかないし、今夜もお風呂は使わなきゃいけない。シャワーは今まで通り使えるので、痛みを我慢しながらお風呂掃除をした。

夜、夫にお風呂場でのアクシデントについて話をすると、
「足、大丈夫だったか?痛そうだなー。」
とまず私の体のことを心配してくれた。

その後、折れてしまった蛇口パイプについては、
「なんとでもなるだろ。ホームセンターとかに売ってないか?」
とあっさりとした言い方だった。

17年前、私は入浴中にお風呂場で倒れた。あの時は湯船から出て、椅子に座る前に意識が遠のいていき、床に倒れた。お風呂場から聞こえた大きな音に驚き、飛んできてくれた夫が入り口で、
「大丈夫か!頭打ってないか!」
と私に声をかけてくれた。

目を覚ました私は、ゆっくり起き上がり、浴室の中を見渡した。すると、壁の一部に10cmほどの亀裂が入っていた。

「あー、新しいお風呂を壊しちゃった・・・。」

リフォームをして数ヶ月しか経っていないお風呂場のことを気にしている私に夫は、
「壁の傷なんてなんとでもなるから、風呂から出てまず横になりな。」
と言ってくれた。
「新しいお風呂を壊してしまったのに、なんでそんなに優しいの?」
と思ったことは今でも覚えている。

私は、自分がやってしまった失敗に「やってしまったあ、どうしよう、人に迷惑をかけてしまう、自分が悪いんだ」と考え、自己嫌悪になることがある。ひとりで悶々と考え、気持ちも凹んでしまい、身も縮こまってしまう。

周りの人にはそんな心の内を隠すように明るく振る舞うけれど、自分の胸の辺りはモヤモヤとしている。この性分とは長い付き合いで、なんとかしたいと思い、さまざまなことを試してみたけれど、なかなか抜けきならい。

いつ頃だったか、私は自分が「失敗をとても恐れている」ことに気付いた。まだ起こってもいないことを心配し、そこにとどまって自分を追い込んでしまうこともあるし、用意周到になって力みすぎてしまうこともある。そしてひとりで疲労困憊してしまう。

なかなか自分ひとりでは、気持ちや考え方の切り替えができないときがあるけれど、そんなとき夫の言葉が私のギュウギュウに締めたネジを緩めてくれる。

「なんとでもなるだろう」
「考えてどうなる」

夫にどうしてそう言うのか聞いてみると、起こったことに対処していけば良いし、自分にできないことは誰にだってあるんだから、自分ができることをしていけば良い、そして無理してまですることはないよな、と答えてくれた。

今まで一緒に暮らしてきて、さまざまなトラブルがあったときでも夫は
「なんとでもなる。」
といつも言っていた。

慎重で怖がりの私は若い頃、
「そうは言ってもどうにかなっちゃったらどうするの?今のうちにできることをしなきゃ!」
と夫に反発する気持ちが先立ってしまっていたけれど、その考えがあらゆることに対して自分を追い込み、萎縮してしまうことなんだと、だんだんと分かってきた。

そして夫の「なんとでもなる。」の意味を理解できるようになってきた。ただ、私が長年付き合ってきた慎重で怖がりな自分の性分が軽減することはあってもなくなることはない。時にはこの性分が、危機回避になったり、細かな作業を人に喜ばれたりすることがある。

「なんとでもなる」という考えの夫と、慎重で怖がりな私。若い頃はけんかをしたこともあったけれど、だんだんとバランスが取れるようになったし、お互いに助けられてきたのだと思う。

慎重で怖がりな性分を毛嫌いしてばかりいたけれど、こういう私がいても良いのかなと思えるようになってきた。

やっぱり夫の存在はありがたい。



ヘッダー画像は「あまのこ」さんの画像からお借りしました。他にもたくさんの素敵な画像がありオススメです☆彡

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