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立山登山のおもいで -娘編-

富山県の小学生は、6年生になると、夏休みのビッグイベント「一泊二日の立山登山」があります。(現在は感染防止のため、日帰り立山散策になっているようです。)

娘も5年前の小6の夏休みに、立山登山に参加しました。当時娘は、クラスメイトとお泊りができる宿泊学習をとても楽しみにしていて、立山登山にも張り切って出かけていきました。

目指すは標高3,003mの雄山山頂。明治以来、県内の小学生の学校行事として行われてきた立山登山。しかし、一の越(いちのこし)から雄山山頂までは岩場の急登、過去に転落事故があったことも知る私は、「うちの子は大丈夫なのかな」と不安もよぎりました。

あんなに嬉しそうに出かけて行った娘。立山に登り、雄大な景色を目の当たりにし、雄山山頂まで登った達成感を味わい、元気に帰ってきてくれれば良いと、私は願っていました。

立山登山2日目のお昼過ぎ、私の携帯に知らない番号からの着信。もしかしたら・・・、と思いながら電話に出ると、
「○○小学校の6年〇組担任の、○○です。」
いやな予感が当たりました。

娘になにが起きたのー?!

慌てる心を落ち着かせ、担任の先生の話を聞きました。

話の内容をまとめると、こうです。
「雄山山頂から下山する際、娘が尖った岩に左手をついた瞬間、その手の上に大きな岩が転がってきた。自分でその岩をどけて、左手にはめていた軍手を外してみると、左手薬指が縦に裂傷し、中の白いものが見えるほど深い傷を負った。その場で応急処置をし、三角巾で固定し、自力で下山してきた。そのまますぐに診療所に向かい、手当を受けている。」

担任の先生の話の内容を聞き、すぐに迎えに行くことを伝えると、
「Sさん(娘)、みんなと一緒にバスで帰りたいとおっしゃっています。大きな病院での治療が必要だと思いますが、もうしばらくしたらバスで出発しますので、お母さんはバスの到着場所で待っていてあげてくださいますか。」
と。

電話を受けてから2時間後に娘の乗ったバスが到着。左腕を三角巾で固定された娘は、バスの最前列に担任の先生と座り、私と目が合った瞬間、娘の口がへの字に。でも娘は涙をこらえていました。

バスから降りてきた娘に私が声をかけると、娘の目からポロリと涙がこぼれました。娘は、ケガをしたショックと痛みにこらえて帰ってきたんだなあ、と思うと、
「よく帰ってきたね。」
としか伝えられませんでした。

小学校の先生方にお礼を伝え、娘を連れてすぐに総合病院へ。

土曜日だったため、担当の医師が到着するのを待ちました。しばらくして来てくださったのは、娘が3歳の時に、右手小指を開放骨折した際にお世話になったE先生。

「久しぶりだね。今回はどうしたの?」

以前にもお世話になったE先生との再会。懐かしくもあり、安心もしました。

レントゲン検査では骨折はなかったので、すぐに縫合処置に。E先生は気さくに娘に話しかけながら処置してくださり、縫合処置は終了。

しかし、娘は絆創膏で包まれた小指の先をとても痛がっているのです。

E先生に伝えると、どれどれと診てくださり、絆創膏をゆっくりとはがしてくださいました。

「あー、これは痛いねー。」

とE先生。娘の小指の爪は剥がれていました。

現在の娘にとって、立山登山の記憶は「あの時は痛かったんだろうなあ」という、ちょっと他人事のような感覚しか残っていないそうです。小指の爪は綺麗に生え、薬指の傷は残っていますが不自由なく動かせます。幸い、立山登山に対する恐怖もなく、「誘われれば登るよ」とも言っています。

娘はあの時の経験を、ケロッとした表情で話してくれますが、私は、下山中に怪我をして、きっと相当痛かっただろうし、かなり動揺しただろうに、涙を堪えて帰ってきたときの娘の姿を今でも鮮明に覚えています。

痛かったでしょ、怖かったでしょ、もう登りたくないでしょ、と娘に私は質問しました。それは、娘が痛かったとか、すごく怖かったとか、もう二度と登りたくないと娘が答えると思ったからです。

でも意外にも娘は、今となっては、自分の手のケガをそんなに重く受け止めていなかったり、登山に対してトラウマを持っていなかったりして私は拍子抜けし、実は安心もしたのです。

自分が思うより娘は強く、たくましい。登山で痛い思いはしたかもしれないけれど、娘なりにその経験を昇華しているんだなと思うと、娘の成長を感じました。

これからもどんどん成長していってくれるんだろうなと思うと楽しみだし、そばで娘を見ていけたらいいなと思います。




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