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娘と夫は同じ誕生日

昨日4月21日は、娘と夫の誕生日でした。

誕生日といっても豪華なパーティをするわけではなく、プレゼントは1ヶ月ほど前にそれぞれ本人が欲しいものをお渡し済み、夕食はふたりが大好きなタイとふくらぎの昆布締めをはじめ、ごま豆腐鍋、油揚げと小松菜の煮物、普段の夕食と変わらないメニューでした。

食後のケーキはショートケーキをひとり1個ずつ。ロウソクの火を消すイベントもありませんが、3人揃って好きなことを話ながらいつもと変わらない夕食をとるのが、みんな気楽で良いみたいです。

今から17年前の4月中旬、私はもうすぐ臨月を迎える頃でした。持病持ちで、妊娠しても死産や流産を繰り返し、娘の妊娠がわかったときは即安静入院、退院後も毎日1日2回の注射を受けながら、妊娠期を過ごしました。

臨月に入る1週間前の定期検診の日、腹部エコーをした後、医師から「胎盤に石灰化が見られるから赤ちゃんを早めにお腹から出してあげましょう」とお話があり、予定日よりも1ヶ月早い帝王切開での出産が決まりました。この「石灰化」というのが、私の持病からくるものだったのです。

私は「胎盤の石灰化」という言葉を医師から聞き、やっぱりかぁと思いました。2年前には35週で死産し、その原因にもなった胎盤の石灰化。妊娠中に医師から、妊娠後期に胎盤の石灰化が起こりうることも説明していただいていたので、驚きよりも、手術までに石灰化が進み、赤ちゃんの心音が止まってしまうことのほうが心配になりました。

医師との面談で手術予定日について、医師からこんな話がありました。

「婦人科の手術日は火曜日と木曜日に決まっているのですが、来週はすでに枠が埋まってしまっている状態なんです。申し訳ないけれど、来週水曜日の午後に手術の予定を入れさせてもらっても良ろしいでしょうか?」

そこで私は驚きました。なぜかというとその日は夫の誕生日だったからです。「申し訳ないなんてとんでもない、私たちにとっては嬉しいことです」と医師にお伝えしました。

夫の誕生日と同じ日に赤ちゃんが産まれる喜びと、石灰化の進行に対する不安を抱きながら出産の日を待ちました。

全身麻酔での帝王切開だったため、産まれたての赤ちゃんを見ることは出来ませんでしたが、手術室の前では夫と義母が待っていてくれたので、NICUに移動する前に手術室から出てきた赤ちゃんを、ふたりが見られると思い安心していました。

手術後、全身麻酔から覚醒した私は、上手く息を吸うことが出来ず、苦しさのあまり涙と鼻水でグチャグチャになっていました。側にいた看護師さんに向かって「息が・・・、息が・・・」と言っていたことだけは覚えています。

病室に戻り、夫と義母に赤ちゃんの話を聞こうとしたところ「実はまだ赤ちゃんを見ていない」と。

「へっ?」

ふたりは手術室の前でずっと待っていてくれたのですが、手術室から出てきたのは涙と鼻水でグチャグチャになった私、手術室から先に出ていった赤ちゃんが、いつ自分たちの前を通っていったのか全然わからなかったようです。

ふたりは狐につままれたかのように何度も首をかしげていました。しばらくしてから看護師さんの案内で、ふたりはNICUにいる赤ちゃんと初対面することが出来ました。

家に帰ってきてからも、特に娘が寝ているときは心配でたまりませんでした。深夜、ベビーベッドで寝ている娘の胸が上下に動いているかをじっと見つめ、呼吸をしているのを何度も確認していました。

いつ頃からかその心配も軽減していき、添い乳をしながら私も眠りこけてしまうほどになりました。

それから娘はすくすくと育ち、「私、女の子を産んだはずだよね」と思うくらいパワフルな子に成長しました。

娘を妊娠し出産するまで、そして出産後も多くの心配や不安がありましたが、現在17歳になった娘が元気に過ごしていることを今は当たり前のように思い、毎日を過ごしています。

でもこうやってnoteに書くことで、娘が産まれるまでのこと、産まれたときのこと、産まれた後のこと、家族のこと、そしてあの時の自分の気持ちに思いを馳せ、胸がじーんとする。そして今当たり前に思っていることに気付くことができる。

noteを書くまでは想像していなかったこういう時間を過ごすことができます。そして、いつも私の思いを綴るnoteを読んでくださりありがとうございます。とても嬉しいです。スキやコメントをくださる皆さん、本当にありがとうございます☆彡

ちなみに、今年の4月21日は、娘が産まれた年の4月21日と同じ、水曜日。そんなことを親子3人で話していたとき、娘が夫にこう言いました。
「17年前のパパの誕生日プレゼントは、私だったんだね!」

ほんまや。粋なこと言うね。でもそういうところ、パパによく似てるよ。

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