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ユニコーンと日本のロックジャーナリズムについて、ちょっと思うこと

今春『ミュージック・マガジン』がユニコーンを表紙・巻頭特集に扱った。同誌は創刊50周年にちなんだ様々な特別企画をやっている最中で、従来とは毛色の違うモノを大々的に取り上げることもその一環なのかも知れない。中身のほうは“語りたいことを絞った人”と“書けることで埋めた人”とで評文の温度差が目立つものだったが(作品の外にある情報でそれらしくするのは著名評論家に多い悪癖だ)とかく、語られざる彼らに新たな風が吹いたのは嬉しかった。

日本のロックバンド/アーティストをジャーナリズムの傾向で大別すると(1)GSにはじまる大手系(2)内田裕也が号令をかけたニューロック系(3)はっぴいえんどが神格化されたシティポップ系という3つの系統がまず思い浮かぶ。

これらは完全には分かれておらず、いわばそれぞれの円の一部が重なったところにも漠然とした系統がある。すなわち(1+2)大手+ニューロック系、(1+3)大手+シティポップ系、(2+3)ニューロック+シティポップ系だ。この全6系統の中でロジカルに賞賛されやすいのは昔も今も(2)か(3)か(2+3)のバンド/アーティストだと決まっている。

(1)大手系
(2)ニューロック系
(3)シティポップ系
(1+2)大手+ニューロック系
(1+3)大手+シティポップ系
(2+3)ニューロック+シティポップ系

(2)ニューロック系は、フラワー・トラベリング・バンドにはじまり、70年代なら関西ブルースやめんたいロック、80年代なら東京ロッカーズ、90年代ならBLANKEY JET CITYやTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTなどが該当する不良然とした系統。(3)シティポップ系は、はっぴいえんどにはじまり、サディスティック・ミカ・バンド、シュガー・ベイブ、ムーンライダーズ、YMO、更に渋谷系やポスト世代のくるりなど、主に細野晴臣や大瀧詠一や加藤和彦のキャリア周縁から広がったコジャレた系統。そして(2+3)ニューロック+シティポップ系は、RCサクセション、じゃがたら、ボ・ガンボス、ソウル・フラワー・ユニオン、ゆらゆら帝国など、硬派とも軟派ともとれる多面性が特色の系統だ。

一方、大手のプロダクションやレコードレーベルの後ろ盾がはっきりしていたり、映像媒体での販促活動(テレビ出演やタイアップ)が活発だったりする系統は、知名度が高い反面、批評上は黙殺されるという傾向がある。

大衆性と不良性を併せ持った(1+2)大手+ニューロック系の代表格は、キャロル/矢沢永吉。また、根っからのポップスマニアでありながらも歌謡界で堂々と間借りできる(1+3)大手+シティポップ系の代表格は、サザンオールスターズ/桑田佳祐だ。彼らの才能や功績を疑う声などないが、“今さら掘り下げても新鮮な評文にしづらく、ヘタすれば浅はかな趣味だと思われそう”という警戒心が業界左派の『ミュージック・マガジン』や『snoozer』からは感じられる(YAZAWAもサザンも、雄弁に語られる媒体はたいてい音楽専門誌でなくカルチャー誌である)。

そうなると(1)大手系など、ろくに語られもしない。あったとしても『ROCKIN'ON JAPAN』に代表される通販番組のサクラのように語彙のない賞賛ばかりだ。ユニコーンはまさに(1)大手系の代表格である。

バブル最盛期にソニーのオーディションを通り、下積みほぼ皆無でデビュー。当初のルックスからアイドル誌を賑わせる存在になり、客席の大半はロックにさほど興味なさそうな黄色い声援の層だった。90年代からはソロの奥田民生が徐々に(2+3)ニューロック+シティポップ系へと移行したことから“前史”として一定の資料価値は保たれてきたが、再結成以後のユニコーンも、基本的には“前史”のまま捉えられている印象だ。

例えばもしも、くるりが「ASAYAN」みたいなオーディション番組から輩出されていたら作品群は同一でも『ミュージック・マガジン』であれほどまで満点評価が続くことはなかっただろうし。もしも、Mr.Childrenがレディメイドやカクバリズムから輩出されていたら、今日のシティポップ評における“メロディアス”は桜井和寿によってもっと高いハードルになっていただろう。要するに、音楽評論家の評価というのはえてして、そのバンド/アーティストが業界のどのあたりに属しているか、評価することが評論家自身のファッションにどう影響するかという潜在意識と切り離せない、一種のブランド志向の表出なのだとぼくは思っている。だからこそ、今春の“ユニコーン特集”にはハッとしたのだ。

00年代からのジャーナリズムで大きく変わったのは、ロックバンドの市場後退と重なるかたちで、いわゆるアイドルグループもロジカルに賞賛される対象になったこと。“音楽的な評価には値しない”という業界従来の先入観に対するアンチテーゼであり、“いかにカワイイを使わずして語れるか”という各自の腕試しともとれるムーブメントだが。その後アイドルグループ側がアーティスト像(脱アイドル像)のセルフプロデュースに邁進しはじめたからか、少なくとも『ミュージック・マガジン』は近年そのムーブメントから一歩引いた感じである。

ひょっとすると、“誰もが知っているバンド/アーティストをいかに語れるか”というのが次に到来するムーブメントで、筆頭に選ばれたのが“100周年”などと云っている今年のユニコーンなのかも知れない。メンバー全員のソングライティングとボーカルとユーモアが乱立する稀代のスーパーバンド。ファンとして平たく言うと、今世紀のはっぴいえんどと同じくらい面白く研究される対象となることを願っている。


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