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結構大きめな愛のはなし。


私があの人に対して抱えていた苦しみは、この純粋な愛を届けることができないことだった。

ただ、大好きな人に大好きだと伝えたい。
ただただ、愛していることを素直に表現したい。

これができなくて、怖くて、苦しかったのだ。


愛は受け取ってもらえなければ贈ることはできない。
それが無償の愛だとしても、受け取り手のない愛はとても虚しい。

それはエゴなのかもしれないけれど、やっぱり受け取ってもらえないこの気持ちをリリースすることは、やっぱりとても悲しくて、恐ろしいことなのだ。

その人のことを強く愛していればいるほど、恐ろしい。

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無償の愛を捧ぐということをおそらく初めて実感したのは、社会人になって半年ほどしてからだろう。

新卒で生保レディになり、ひたすらお客様を探す日々。
その中で、私は出会う人出会う人(とくに担当企業に勤めている方)に、自分の中から湧き上がる強烈な愛があることを感じました。

成績のことなんてどうでもいい。
ただ目の前にいるこの人が、変な保険の勧誘をされないように、変な保険に入って困らないように、そして幸せになってほしくて、私が私にできることで全力で役に立ちたいと考えていました。

同期のみんなには驚かれていました。
お客様にも、そんな純粋な想いはなかなか伝わらない。
絶対契約のためやん。と、恐らく大半の人に思われていたでしょう。いわゆる営業スマイル、リップサービス。

それでも4年間、私は私の愛を信じてほしいと伝え続けました。
ただ、当時は私も若かったので、これが何の愛なのかはわかりませんでした。
特に対象のお客様は男性が多かったので、これは恋なのか?こんなにも大勢の人のことを好きになるのか?誰でもいいのか?と、よくわからなくなったこともありました。

でも、20代の人も、70代の人も、どんな職業の人も、どんな容姿の人も、全員同じ愛で溢れていました。

だから、私の中ではこれはとてもクリアな感情なのだとなんとなく感じながらこの愛を伝え続けていたのです。

勘違いされることもしばしば。どころか、しょっちゅうでしたが、ちゃんと理解してくださる優しい方が多くて救われました。

ただ、受け取っていただけない愛を注ぎ続けることは、ものすごくしんどかったです。
生保営業の世界が厳しいのもありますが、成績云々よりも、大好きなお客様に大好きと伝えられない。愛を受け取っていただけない。そもそも愛を注ぐことすらできない。それが本当に辛かったです。


けれど、それは4年間かけて徐々に解れていきました。
契約の有無に関わらず、私のことを信じ、愛を受け取ってくださるお客様が少しずつ増えはじめたのです。
もちろん、恋愛関係にはなっていません。(なった人もいたけれど。笑)
担当とお客様として、愛のパイプを繋ぐことができたのです。

私の想いを受け取り始めてくださる方が増え、無償の愛を思う存分に贈ることができるようになったことがとても幸せでした。

生保営業の世界で、こんな思いで働いている人はいるのか?と思うかもしれませんが、営業歴30年とかいうおばちゃん敏腕営業レディさんは、みんなこの慈悲の想いでお客様と向き合われていました。

それを知っていたから、私も胸を張ってこのスタイルでお客様と向き合おうと決めることができました。


そんな経験をして、無償の愛を送れる幸せを知りました。
それと共に、愛は受け取り手がいないととても苦しいものだとも強く実感しました。

捧げ続けることに損得勘定なんか一切ないけれど、でもやっぱり、それを受け取り、少しでも喜んでいただきたかった。

大好きな人に、ただ大好きだと伝え、オープンな愛を送り続けたかった。



これはその後、転職してから別の営業職になっても想いは変わりませんでした。

でも、とっても辛い。

徐々に大人になるにつれて、ピュアな気持ちが虚しくなることに耐えられなくなってきました。
そして、どこか損得勘定の入った愛へと変わっていってしまったのです。

うまくやる、というやつだと思います。

でも、何にも楽しくない。


だから、私は結婚という節目で営業職から退きました。
一つは、その理由。
もう一つは、結婚したら他の男性に愛を送るなんて不貞行為だと考えていたからです。
それがたとえビジネスの世界線で行き交うものだとしても。
それが垣根のない無償の愛だとしても。


それからはこの愛は旦那さんと、そして子供に向けて注がれる日々へと変わりました。

けれど、どこか日常になりきったその愛の形は、私の中で少し退屈なものになりました。

生保営業の時は、常に100人以上にとてつもない愛を届けまくっていたのに、さすがにそのパワーは家庭内だけでちょっと足りないと感じてしまったのです。

あの時のように、たくさんの人と愛のパイプを繋ぎたい。

自分探しをしている中でそんな想いに気づき、どうやったらこの形を実現できるのかひたすら試行錯誤しました。

今でも試行錯誤中です。
なかなか、やっぱり受け取ってもらえない。
広い社会のちっぽけなしがないフリーランスの存在に気づいてもらうことは、なかなかの至難の業でした。

何度も心が折れかけましたが、それはこれからの永遠の課題でもいいです。


このタイミングで、明確に私は愛のパイプを繋ぎ、愛を贈りたいのだと知れたから。
それが自分自身のこの上ない幸せだと改めて気がついたから。
そして、結婚していたとしても、私のこの気持ちに蓋をする必要なんてないんだと気がついたから。

生保営業の時のように心がズタズタになるほどはできないかもしれないけれど、愛をチャージできる範囲で、関わってくださる方に愛を捧げたいと思っています。


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さて。ここからが実は本題です。
そんな大きな気づきのきっかけは昨日。
私のHUGで出てきた中学生の頃に片思いしていた彼でした。
そして、その人はこちらの記事で書いた彼。


私は中1の時に彼に一目惚れをしてから、大学卒業までずっと片思いをしていました。
向こうも気がないわけではなさそう。
でも、何も始まらない。噛み合わない。

想いを伝えることができないまま、10年が経ちました。
そしてもう諦めようと、必死でこの10年間の想いに蓋をしました。

けれど、地元に帰るたびに思い出してはばったり会わないかなぁとか、SNSに閲覧履歴が残ると見てくれたなぁとか、そんな小さなことが少しずつ積み重なり、それからさらに10年、今の今まで忘れたことはありませんでした。

その間に結婚もしたし、それ以外でももちろんぽこっと抜け落ちていた時期もあります。
だから完全に昇華された想いだと思ってましたが、今思うとなんだかんだ忘れては思い出しを繰り返し、結局忘れられていなかったのです。

そしてここ最近、彼から10年ぶりに連絡がきました。
たわいもない会話が続き、またあの時の思いが蘇ることに。

けれど、私は結婚している。
相手も結婚している。
それもさることながら、そもそももうそんな関係は望んでいませんでした。


じゃあどうしたい?

また昔のように、さらりと交わされ、噛み合わずに一生この苦しい気持ちに蓋をしたままでいるのか…?
でも、伝えたところでどうなりたいとかはない。

でも、この悶々とした気持ちに、ちゃんと居場所を与えてあげたい。
相手にどう思われるとか、もう気にしない。
私が私の想いを満たしてあげるために、拠り所を作ってあげるために、居場所を与えてあげるために、ちゃんと向き合おう。

そう決めて、ただ今この瞬間の気持ちにスポットを当てて彼に正直に話しました。


まぁいつも通りの感じの反応ではありましたが、彼なりに一応受け取ってくれるサインは示してくれました。

20年間、パイプが通らず詰まっていた私の中の何かが、一気にサラサラと流れた感覚になりました。

それは、あの時のお客様と愛のパイプが繋がった瞬間ととても似ていました。

ただあなたのことが大好きですと、堂々と愛を表現することを許されたルートが開通した、そんな感じでした。
それは恋愛どうこうのそれではなく、垣根のない無償の愛が通る通路なのです。

そこは一方通行かもしれない。
けれど、ちゃんと受け取ってもらえている。

私はそれをとても幸せに感じました。


今までずっとちゃんと伝えられなかった。
だから想いは募る一方。
その時は恋愛的な想いだったかもしれないけれど、20年の月日を経て、たくさんの学びを通して大人になった今なら、これがそれとは一線を画したものだとわかります。

前に、既婚者の私が恋をしたくなったという記事を書いたことがありますが、これの正体もわかりました。

私は誰それ構わず恋がしたいのではく、その彼に無償の愛を贈りたかっただけなのだと。
その無償の愛には、少しばかりのドキドキは発生します。しちゃいます。だって20年も好きだったんだもの。
だから、今はそれを味わっていたい。
でも、これは恋なんかじゃない。
ふわふわとした儚い想いでは、もはやないものだと確信したのです。
というか、そうだと認めることができたのです。

いや、でも、これは不倫とは何が違うの?
そんなふうに思われるかもしれないのですが、例えばお客様に異次元の大きさの愛を送ることは不倫になるんだろうか。

私の中で、この想いはそれと同じ類で、仲のいい男友達とか同性の友達、家族への愛と同じものだと考えています。

昔好きだった人だからちょっと不思議な感じですが、さすがに20年も付き合いのある相手だったらもうこの域まで来ちゃいます。

1人の人と人として、ずっと特別だよ、大好きだよ、愛しているよと、伝え続けられる関係でいたい。

そこに何かの形や見返りや関係や始まりや終わりなんてなくて、ただ純粋な今の気持ちを素直に伝えることができるということが幸せなのです。

友達や、お客様や、家族と同じように。


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彼との一件があって、この気持ちに素直になっていいのだと認めることができました。
こんなにも幸せを感じる自分がいる。
ずっとずっと、蓋をしてきた想いに所在がついたのです。

そして、この社会において無償の愛を届けることに、また前向きになれたのです。

それはとてもとても大きくて大切な気づきでした。



今日も、愛を込めて。

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