うまいをヤバいと言うのはヤバい
もう十年以上も前のことだ。
あるテレビ番組で、若い男性芸能人が洋食屋さんで食レポをしていた。テーブルの脇にはコックハットをかぶった、還暦過ぎくらいのシェフがその様子を見守っている。
見るからに美味しそうな洋食を目前にし、その男性芸能人は瞳を輝かせた。
「いただきます!」
料理を口に運ぶと、彼は「んー!!」という感嘆の声を上げる。その様子に、腕を振るったシェフも思わずニッコリ。人のよさそうな顔が更にほころんだ。
しかし彼は、ゴクンと喉を鳴らし、満足そうに料理を飲み込むと、間髪入れずにこう言ったのだ。
「これ、ヤバい!」
その次の瞬間、笑顔を崩さなかったシェフの表情が、みるみるうちに不安な表情へと変わっていった。その表情からは、
「口にあわなかったかな?」
「何か問題があったのかな?」
そんな心配が見てとれる。
私も、「うまい」や「おいしい」を言う前に、彼が「ヤバい!」と口にしてしまったことに、一瞬ドキッとした。
「うまい!」を「ヤバい!」と言うのはヤバいよ!
食レポをした彼に向かって、画面越しにそう言いたくなった。
それまで美味しそうに食べていたはずなのに、最初に発せられた言葉が、マイナスの意味も含む「ヤバい!」という言葉だったのだ。シェフが困惑したのも無理はない。
気の毒なことに、その後、シェフは何とか笑顔を作ろうと頑張っていたが、表情がこわばってしまい、人の良さそうな笑顔が完全に戻ることはなかった。
「ヤバい!」
の衝撃は、シェフの心をすぐさま平常心に戻してはくれなかったのだ。
私が思うに、ヤバいのヤバさはその汎用性にあると思う。
感嘆の声を、何から何まで「ヤバい」と言い替えることができそうなところが本当にヤバい。
遅刻しそうになっても「ヤバい!」
太っても「ヤバい!」(これはよくわかる)
街中で有名人に遭遇しても「ヤバい!」
温泉で名湯につかっても「ヤバい!」
絶景を目にしても「ヤバい!」
財布を落としても「ヤバい!」
宝くじに当選しても「ヤバい!」
こうなると、この世にヤバくないことを見つける方が難しく思えてくる。
自分にとって不都合が生じて「ヤバい」と思うのと同じように、感情が動かされ、揺さぶられることに対しても「ヤバい」と表現するのが普通になってきた。マイナスもプラスも、どちらも表現できる言葉として使うのが、いまや「ヤバい」の常識になってきている。
私のような中年以上の世代は、うまいをヤバいと言うのはヤバい。そう思う人が多い気がする。しかし、言葉というものは変化するものだ。そのうち、料理を口にして「うまい!」と言う方が「ヤバい!」なんて言われる日が来るかもしれない。案外、そんな日が想像以上に早く訪れそうな気がする。
その日が来るまでに、私ももう少し、「ヤバい!」の使い方を、きちんとマスターしておかないと、これから先、本当にヤバいかもしれない。
お読み頂き、本当に有難うございました!