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あの日の獅子座流星群


「ようやくローンが払い終わったのよ」
台所で、母からそんな話を聞かされたのは、高校生の頃だった。
その日から10年も経たないうちに、
その家を売らなければならなくなってしまった。
いろいろあった家だった。一筋縄ではいかない家族だった。
私達家族にはびこる負の全てが、
この家を食い潰してしまったような気がした。

家を手放さなければならないと知った時、
私は、すでに結婚して家を出ていたものの、
帰る家がなくなることはショックだった。
とうとうここまで来てしまったかという思いが、
大きなため息とともに胸を突き上げたのを覚えている。
駄々をこねてはいられなかった。
抗いようのない現実には、ただ従うしかない。

終わりよければ全て良し、とはよく言ったもので、
望んで手放したわけではない家を思う時、どうしても
当時の厄介事ばかりが浮かんできて、渋い顔になってしまう。
しかし、淀んだ泥水の中に根を張る、蓮のような花もあるように、
私にも、そんな淀みの中で、今も思い起こす出来事がある。


1998年、最大の天文現象と言われた獅子座流星群。
当時、今世紀最大の天体ショーなどと言われ、
テレビなどでも大きく取り上げられた。
肉眼でもその流星を眺めることが出来るらしく、
天体望遠鏡を持っていない、普段夜空を見上げることのない人間でも、
その恩恵を受けられると知り、にわかに心が浮き立った。

当時、私は1階の居間で、母と二人、布団を並べて寝ていた。

子供の頃、1階の居間は、たまに泊まりに来る祖母以外、
寝室にすることはなかったのだが、
姉の大学受験を期に、私は姉と相部屋だった
2階の子供部屋を追い出され、居間で寝ることになった。
玄関が近かったせいで、真夜中に泥酔して帰ってくる父の物音で、
よく目を覚ました。
寝ているふりをして、酒臭い父が去るのを息を潜めて待つ。
父が2階へ上がって、しばらくすると、
寝ている母に、父がクダを巻いているのが聞こえてくる。
乱暴するわけではないものの、母が眠れないのでは、と心配だった。
仕方なく私は、母を1階に呼び、私の布団で寝るように言う。
母は最初は断るものの、日々の疲れには抗えない。
「30分だけ寝かせてもらうね」と言って横になると、
すぐに寝息を立てて、朝までぐっすり眠ってしまうのだ。
そんな時、私は空いてるスペースに座布団をひいて寝るのが常であった。

父は、一人であれば、大概静かに寝てくれる。
父の深酒は年々ひどくなる一方だったが、
1階に降りてきてまでクダを巻くことはなかったので、
私と母は、居間で寝ることになった。

しかし、そのことが、母娘で獅子座流星群を見るのには好都合だった。
テレビでの影響もあってか、何となく、夜中に起きて、星を見てみよう、
という話になったのだ。
昔のように別々の部屋に寝ていたら、
そんな話にはならなかったかもしれない。
寝ていた部屋が、玄関直ぐ側の1階ということも、
星との距離を近づけたような気がする。

夜中に目覚ましをかけ、一旦就寝。
束の間の睡眠を経て、目覚ましが鳴った。
会話もなく、私と母は、モッソリ起き出し、
パジャマの上から、上着を羽織る。
近所迷惑にならないように、そ~っと玄関のドアを開け、
つっかけサンダルの音を立てないように、外に出た。
11月。吐く息が、少しだけ白い。
母娘二人、首が抜けそうになるくらい夜空を見上げた。
ぼんやりしている昼間の時間は、あれだけ早く過ぎてしまうのに、
いつ、星が流れるか、キョロキョロ視線を彷徨わせる時間は、
1分でも長く感じるものだ。
真夜中の静寂さは、時の流れを遅くする。
どちらからともなく「まだかねぇ」という声が漏れる。
元々、星に特別な思いがあるわけではない。
徐々に体が冷え始め、もういいか、と諦めそうになるものの、
せっかく起きたのだから、もう少し待ってみることにした。
寒さで体を縮ませながら、視線を夜空に向ける。

先に流れ星を見つけたのは、母だった。
「ほら!」
と言われて肩を叩かれ、母の指差す方を見る。
顔を向けるも、間に合わない。
悔しがっていると、母の「ほら!」が合図だったかのように、
次々と、星が流れ始めた。
流星を見つける度、小さな声で歓声を上げる。
暗がりの中で、手を取り合って喜ぶ母娘の背中を、
小さな家が、静かに見守っていた。


今、あの小さな家には、知らない誰かが住んでいる。
Googleマップで見てみたら、周囲は少し変わっていたのに、
かつての我が家はあの時のまま、昔とほぼ変わらぬ様子で建っていた。
少しくらい変わってくれていたら、
時の移ろいに気持ちを委ねることができたのかもしれない。
変わらないことが、かえって、私の心を締め付けた。

1998年のあの日、私と母は二人きり、まっすぐ夜空を見上げていた。
そのことは、あの家が誰のものになろうと、変わらない。
かつての実家が今、私の知らない時間を、刻み続けていようとも、
獅子座流星群を見て手を取り合ったあの時間は、私と母のものだ。

それが変わることはない。





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