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チリソースの羽衣

 そのお店は赤坂にあった。
 絨毯が敷かれており、歩いても音が立つことはない。白い円卓は、隣が気にならない距離感で、卒なく配置されている。
 耳をすませば、僅かばかりに話し声が聞こえ、目を凝らせばようやく、隣の円卓で何を食べているかがわかる。

 隣は何を食う人ぞ。

 気にはなるが、間違っても目を凝らしてはならない。ここは言わずと知れた高級中華のお店なのだ。

 円卓の上には、海老のチリソースが盛られた白い皿が置かれている。
 これは私が望んで注文した一皿だ。その様子は、これまで気軽に「エビチリ」と呼んでいたものとは、色も香りも違っていた。

 海老は見るからにたっぷりとしていて、眠る赤子のようにやわらかく丸まっている。そのままマヨネーズで食べても、きっと美味しいのだろう。そう思わせるような、若々しい張りがあった。

 海老たちの上には、チリソースがかかっている。
 それは想像していたより、大人びた不思議な色をしていた。ケチャップの明るい元気な色とは違う、暮れなずむ空のような、しっとりと落ち着いた色なのである。

 このエビチリには、ケチャップは入っていないのかもしれない。でも赤い。ならばこの赤は、豆板醤の色なのだろうか。

 何から作られた色なのか。探求したくなる魅惑的な赤に、細かく刻まれた薬味が陰影をつけていく。迷いなく切られたネギは、演舞場に舞う紙吹雪を一枚ずつ見るような、整然とした雰囲気があった。赤いソースから覗くそれは、正しく白い。

 薬味がソースを含むと、もったりと盛り上がり影ができる。その影の脇には、赤く染まった濁りない油がひっそりと溜まっていた。よく見れば、その油が全体を包み、艶めかしい光沢を生んでいるのだとわかる。

 いよいよ自分のお皿に料理を取り分けようと、私は軽く体を起こした。
 そのとき、チリソースの中に薬味だけではない、別の食材があるのを見つけた。

 それは乳白色で、糸状に流れるように、ソースの中に紛れ込んでいる。
 正体を知ろうと覗き込むと、お皿ごとどこかに消えてしまいそうなくらい、やわらかく頼りなく、儚げなものに見えた。
 まるで天女の羽衣が、チリソースに溶かし込まれているかのようだった。

 四半世紀経った今でも、ソースの中で揺蕩たゆたっていたあれが何物であったのか、その正体はわからない。

 





#文字でスケッチ  

 現在、企画に参加していないのですが、筆が進んだので、書かせて頂きました。お読み頂き有難うございました。


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