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涅槃の日に連続投稿をやめた話


夕方のことである。

フェネックのような小ぶりな顔に、
夫がシェーバーを滑らせていた。

「あー、シェーバーの充電切れそうだなぁ」

夫がそう言った途端、ウウゥゥゥゥーン、という
低くゆるい音ともに、充電が切れた。
それを見て私は言った。

「シェーバーの充電も切れたことだし、コレも何かのきっかけだと思う。
やっぱり今日で、連続投稿をやめるわ」

夫は私の顔を見て「いいと思う」とだけ言った。
下書きのストックはある。投稿できなくはない。
だが私は、投稿の連鎖に縛られ始めている自分を感じていたのだ。

連続投稿108日。
キリは悪いが煩悩の数だ。
連続投稿の煩悩にまみれた自分の思いを断ち切るには、
この数字は丁度いい。
そう思い、そんな気持ちを吐露した記事もあげたばかりだ。
しかし、いざとなると、心が騒がしい。
この騒がしさは、いかんともし難い。

そんな時、昨日2月15日が釈迦入滅の日であることを知った。
ブッダが亡くなった日だ。
私は夫に言う。

「今日、ブッダが亡くなった日なんだって」

夫は「へぇ、そうなんだー」と言って目を丸くした。
私は続ける。

「これはいいきっかけだね。
108の煩悩の数で連続投稿を止める私に対する、
お釈迦様からの思し召しだよ。もうね、このまま静かにしてね、
私は、お釈迦様を偲んじゃおうと思う」

夫は私の顔を見て「いいと思う」とだけ言った。
この「いいと思う」の意味が、
同意の意味での「いいと思う」なのか、
どうでもいい、という意味の「いいと思う」なのかは
真意を測りかねるものの、
とにかく私は、連続投稿をやめることにした。

ブッダの入滅まで持ち出さないと、思い切ることが出来ないなんて、
連続投稿の小悪魔っぷりは、なかなかのものだった。

考えてみれば、今まで私は、
108日も連続して何かを続けてきたことはなかったように思う。
もともと何かに集中し、努力できるほどの胆力があまりない。
そんな自分が、ここまで続けられたことが、正直驚きである。

投稿をしなかったことで、昨日の夜はとても静かだった。
最近ずっと、スキやコメントの有無に一喜一憂しながら、
ワクワクドキドキしていたからだ。
そんな、ときめきのようなものを感じられたからこそ、
108回も投稿ボタンを押し続けることができたのだと思う。

これからは、毎日投稿は出来なくても、
毎日少しでも書き続けるつもりでいる。
連続投稿という執着を手放したことで、
それと引き換えに、受け取れるものもあるだろう。
それを楽しみにして、新たな気持ちで書いていきたい。





連続投稿、連続投稿、うっさいわ!と我ながら思ったのですが、
この気持ちは今日しか書けないので、記事に残しておくことにしました。
お付き合い頂き、有難うございました。今後とも宜しくお願いいたします!  

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お読み頂き、本当に有難うございました!