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上げ底弁当

 「ねぇ! 聞いてよ! 酷いんだよ!」

 帰宅するなり、夫が「ただいま」も言わず、プンスコ怒っている。
 私と違って夫は、大概のことは平常心で受け流せる人格者なのだが、この日は洗面所で手を洗いうがいしながら
「酷い、あれは酷いよっ!」
 と言い続けている。職場で理不尽な目にでも遭ったのだろうか。とても心配だ。

「何があったの?」
 神妙な面持ちで訊いた。すると夫は、キッと私の方を振り向き、

「あのね! 今日食べたお弁当が、物凄く上げ底だったんだよっ!」

 そう言い放った。

 いつも夫は、私の握ったおにぎり二つと水筒に入れたお茶(現在はそば茶)を持って出掛けていく。遅い時間の勤務のときは、私が買い物ついでに、スーパーのお弁当を買って持たせることがある。目先が変わって嬉しいらしく、その日も喜んでスーパーのお弁当を持って出かけた。

「食べようとしたらさ、箸の当たりが何かおかしいんだよ。箸の先っぽが、すぐ底に当たるの。で、ごはんをめくってみたらね…」

 夫は一拍間を置き、息を吸い込んだ。

「すんごい上げ底だったんだよっ!」

 吐き捨てるように言った。

 夫のお弁当を買うとき、私はおかずの充実感や、適度なボリュームを気にして選んでいる。少なすぎてもだめだし、多すぎても小食の夫は持て余してしまう。
 私は普段、スーパーのお弁当を食べる機会がない。
 だから上げ底かどうかを気にしたことなどなかった。これは盲点であった。

「あんなの酷いよ。あの見た目なら、ご飯の厚みが三センチはあると思うじゃない? でも実際は1センチなんだよ。半分以下なの。あれは詐欺だよ!」

 お怒りである。

「もう俺、弁当のことは信じない!」

 この日スーパーの弁当は、夫からの信用を完全に失ってしまった。

 そして、その日からというもの、夫はありとあらゆる「上げ底」に敏感になってしまったのである。

 ある日は、肉の入ったトレイを見て
「上げ底だ!」
 と叫び、パンパンに膨らんだスナック菓子を開け、
「これだってある意味、上げ底だよ!」
 そう言って、中身の少なさを嘆いた。

 おそらくスナック菓子の場合は、中身が割れないようにという配慮もあるのだと思うが、開封してみて中身が半分以下だと、やはりちょっと騙されたようなガッカリ感はある。

 先日、シュークリームを食べたら、中身のカスタードクリームが溢れそうなくらいパンパンに詰まっていた。夫はそれを見て
「これは上げ底じゃないぞ! この会社は優良企業だ!」
 と言って嬉しそうに頬張っていた。

 そのあまりの喜びように、今後、夫をカッガリさせないためにも、できるだけ「上げ底」の商品は買わないようにしよう。私はそう心に誓ったのだった。

 先日、スーパーで大好物のプリンが特売だった。
 私はカスタード系の食べ物に目がない。ついつい手が伸びてしまう。しかも、そのプリンは1つ78円だった。

 私は何も考えずにそのプリンを4つほど手に取り、カゴに入れた。そしてご機嫌に帰宅したのである。

「プリン買ってきたよー。珈琲淹れるねー」

 私が言うと、
「おっやっつ! おっやっつ!」
 夫は年甲斐もなく、体を揺らしながら、ウキウキとはしゃいでいる。

 それだけ喜ばれれば、買ってきた甲斐があるというものだ。
 私は、珈琲を淹れ、夫にプリンとスプーンを手渡した。

「いっただっきまーす!」

 フタをはがし、夫はプリンにスプーンを差し込んだ。その次の瞬間、はしゃいでいた夫の表情が曇った。そして悲しそうな顔で一言、

「上げ底……」

 と、つぶやいたのである。
 よく見てみると、底が下駄をはかせたように1センチほど高くなっている。夫は物悲しそうな顔でプリンをつつき、三口ほどで
「もう無くなっちゃった…」
 と言って、寂しそうに珈琲を啜っていた。

「最初からさ、少ないってわかってたら、何とも思わないのにさ。わざわざこんなことして騙すなんて、悲しいったらないよ」

 この日、夫の上げ底に対する怒りは、悲しみに変わった。

 もし、あの日、夫がスーパーの弁当の上げ底に気づかなければ、今日、おやつのプリンを美味しく食べられたかもしれない。
 そう考えると、上げ底に厳しくなってしまった夫のことが、何とも不憫に思えるのであった。


 


 

  

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