夜食の相談 #短編小説
「食べる夜食を、おにぎり、うどん、ラーメンの三種類から選べるようにしてみたんです! それでも、いらないって遠慮するんですよ。どうしてかなぁ」
「はぁ……」
由海は、隣にいる男の《相談》に耳を傾けながらも、そりゃあそうだろうな、と思っていた。
話は五分ほど前に遡る。
由海は、勤めている病院の中庭で昼食をとろうとしていた。
きれいな花壇や、家族に車いすを引かれて笑顔を見せる患者さんを眺めながら、いつものベンチに座り、ほっと息をついたところだった。
本日のメニューは院内のコンビニで買った、鮭のおにぎりとサラダだ。
まずは野菜から 。
そう思い、サラダに箸をつけようとしたそのとき、由海は白衣を着た男から声をかけられた。
「あのー、隣いいですか?」
周囲を見渡すと、他にもベンチは空いている。わざわざ自分の横に座ろうとするのは、なぜだ。
由海は身構えたが、相手はおそらく同じ病院に勤める医師に違いない。由海は仕方なく、
「どうぞ」
と答え、距離をとるようにベンチの端に座り直した。
「すみません」
相手はへこヘこと、頭を下げている。随分腰の低い医者だと、由海は思った。
医師は、コンビニの袋からガサガサッとホットドッグを取り出すと、目にもとまらぬ早業で、ガブガブッとひと息で食べてしまった。
「医者の不養生ですね」
「え?」
思わず口をついて出る。
食事を邪魔された腹立たしさもあってか、普段よりも、愛想が三割減になっていた。
「食べかたが、アメリカでやってるホットドッグの早食い大会みたいです。あと、口にケチャップついてますよ」
由海がポケットティッシュを差し出すと、
「ああ、すみません」
男はまた、へこへこと頭を下げ、ティッシュを一枚抜き出し、慌てて口の周りを拭いた。
「急に患者さんの陣痛が始まったりすると、昼を食べそびれてしまうことがあるので、つい、早食いがクセになってしまって……」
そう言って医師は、ポリポリと頭を掻いた。
「産婦人科の先生でしたか」
「はい、山岸祐太郎といいます。失礼ですが、あなたは?」
突然始まってしまった自己紹介に、由海は戸惑った。勤めている人の数が多いとはいえ、同じ職場である。嘘を言ってバレたら気まずい。ちょっと、変わった人のようだが、悪い人ではなさそうだ。由海は、そんなことを数秒のうちに考え、
「小林由海といいます」
正直に名乗った。
「ユミさんですか」
「はい」
「うちの娘はナミっていうんです。那覇の那に海と書いて那海です」
なぜか、娘の名前まで教えてくれた。奇遇にも《海》の字が一緒である。
「私は自由の由に海と書いて由海です」
すると、山岸祐太郎は顔をパアッと明るくさせた。
「そうですか! うちの娘と似ている良いお名前ですね! だったら、是非、僕の相談に乗ってもらえませんか」
話が性急すぎる。
初対面なのに、娘と名前が似ているというだけで、人を信用し過ぎではないか。そう思ったが、同じ病院に勤めている医師に逆らうのも面倒なので、食べながら話を聞いてみることにした。
《相談》とは、夜遅くまで勉強をしている、山岸祐太郎の娘、那海の夜食についてであった。
「うちは、随分前に妻を亡くしまして、今は、父一人子一人の生活なんです。仕事柄、食事時に家にいてあげられないことも多いので、せめて勉強を頑張る娘のために、夜食を作ってあげたいと思って……」
「なるほど」
いいお父さんである。
「でも、何か作ろうとしても、自分でやるから大丈夫、って言われてしまって……。それなら、メニュー方式で夜食を選んでもらうのはどうかな、と思いまして」
「メニュー方式?」
ここで最初の話に戻るのだが、山岸祐太郎は、娘に食べさせる夜食を、おにぎり、うどん、ラーメンの三種類から選べるようにしたと話した。それでも娘に《遠慮》されてしまった、と肩を落とす山岸祐太郎に由海は言った。
「そりゃあ、そうですよ」
「え?」
「そもそも、娘さんが夜食がほしいって言ったんですか?」
「そういうわけじゃないですけど……」
山岸祐太郎は口ごもる。
「で、でも、夜中に冷蔵庫開けて、ミニトマトとか、はちみつ梅だとか口に入れてるんです。それを見て、自分の中学のときと同じだなぁって嬉しくなりました。僕のときは、母が夜食にワカメのおにぎりを作ってくれましたけど……。それを思うと、僕も娘に何か作ってあげたくなっちゃって 」
いいお父さんであることは、間違いないようだが、少しポイントがずれている。と、由海は思った。
「娘さんがミニトマトやはちみつ梅を食べているのは、それが口にも、お腹にも、ちょうどいいからです。おにぎり、うどん、ラーメンでは、食べた後に頭に血が回らなくなるじゃないですか。眠たくなっちゃいますよ」
山岸祐太郎は、少しすがるような目をした。
「だ、だって、ミニトマトやはちみつ梅じゃあ、僕の出番がないじゃないですか。いつも娘には苦労かけてるんで、何かしてあげたいんです。押しつけがましいかもしれないけれど、それでも……それでも僕は夜食を作りたいんです!」
由海は、鮭のおにぎりを一気に頬張った。
自分のしようとしていることが《押しつけがましい》とわかっているなら安心だ。そう思いながら由海は立ち上がり、
「山岸先生、まだお時間ありますか?」
と訊いた。
「はい。まだ少しなら」
山岸祐太郎は座ったまま由海を見上げる。
「じゃあ、いきましょう」
白衣の医者は、慌てた様子で由海の後を追いかけた。
院内には、普通のコンビニの他に、自然食品を扱うコンビニが出店している。由海はそこに山岸祐太郎を連れていき、カゴを手にすると、ドライフルーツの袋と無糖のヨーグルトを入れて、それを差し出した。
「これを買って下さい」
「え?」
「ヨーグルトに、このドライフルーツを混ぜてください。混ぜてから、一晩くらい冷蔵庫におきます。ドライフルーツがヨーグルトの水分を吸って、ヨーグルトも濃厚になって美味しいです。乳酸菌が摂取できるので、おなかにもやさしいし、砂糖を使わないので、夜、食べても罪悪感が少ないと思います」
山岸祐太郎は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「混ぜるだけ?」
「はい」
「つまらない」
「は?」
「もう少し腹に溜まるものを……」
「ダメです」
「なんで?!」
「太るから」
「え?」
「手をかけなくても、気持ちがこもっていればそれでいいじゃないですか。それに、ドライフルーツが混ざると見た目もおしゃれになるので、娘さんから『お父さん、すごい!』って尊敬してもらえるかもしれませんよ」
由海がそう言うと、山岸祐太郎はすぐさまカゴを受け取り、そそくさとレジに向かっていった。
それから数日が経過したある日。
昼休みに由海が中庭のいつものベンチに座っていると、
「由海さーん!」
山岸祐太郎が手を振って駆け寄ってきた。こんなところで名前呼びはやめて、と思いながらも、一応「はい」と返事をする。
「娘に尊敬されました!」
娘の那海は、ドライフルーツ入りのヨーグルトを気に入ってくれたそうだ。
「あんなに嬉しそうに食べる娘を見るの、久しぶりでしたよ。僕も食べてみたけど、美味しいものですねぇ。すっかりハマっちゃっいました!」
山岸祐太郎から、はちきれんばかりの笑顔を向けられ、由海の口角も思わず上がった。
「でも、やっぱり娘にはお見通しなんですねぇ。すぐに『誰に習ってきたの?』って訊かれちゃいました。それで由海さんのことを話したら、娘がお礼をしたいから家にお連れしろって言うんです。なので、由海さん。いつなら空いてますか?」
やはり話が性急すぎる。
随分とせっかちな親子だと思いながらも、由海は手帳を取り出し、
「今週の土曜日なら空いてます」
スケジュールを見ながらそう答えたのだった。
今回の作品は、こちらのお話のエピソードゼロ?っぽいお話になってます。
由海が山岸祐太郎に教えたレシピ。
お読み頂き、本当に有難うございました!