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赤しそを驚かす


  赤しその出回る季節である。

 赤しその時期になったら、赤しそシロップを作りたいと思っていた。赤しその鮮やかな赤い色は、私の大好きな色だ。好きな色を食べたり飲んだりできるなんて、艶かしく魅惑的な気がして、何だかワクワクする。

 シロップ作りのための食材を準備し、さぁ作ろうとレシピを見返していると、赤しその葉を煮出す時、一緒にひとつかみの青しそを入れると、爽やかな風味が増して美味しくなると書かれてあった。

 私は赤しそと砂糖とリンゴ酢さえあればできると思いこみ、青しそを買いそびれていた。もちろんそれでもシロップはできるのだが、せっかく作るなら美味しいほうが良い。

 きちんとレシピを確認して買い物に出ないから、こういうことになるのだ。外は雨。買い物に行くのも億劫である。そんなことを夫に話すと、

「赤しそを、ワッ!!と驚かしてみたら、ビックリして青くなるんじゃない?」

 と言った。
 夫は日に一度はこんなおかしなことを言う。
 ただ驚かしたくらいで、あの赤い色が青くなるだろうか。相当怖い思いをしないと、あの赤しそのアントシアニンが青くなるとは思えない。

 そういえば、野菜や乳牛にモーツァルトなどの音楽を聞かせるという話をどこかで聞いたことがある。ならば、ひとつかみの赤しそに、稲川淳二の怖い話を聞かせてみるのはどうだろう。

「なんか嫌だなあ~、怖いな~怖いな~」

 人の心を恐怖へといざなう稲川淳二節に、赤しそのアントシアニンも戦々恐々のはずだ。うまくいけば、買い物に行かなくて済むかもしれない。

 しかしである。
 そんな光景を誰かに見られでもしたら、おかしな人がいると思われ、近所の噂になってしまいそうだ。

 小豆を洗っているだけで、「小豆洗い」という名の妖怪が存在してしまうほど、妖怪になるハードルの低い、魔界妖怪の世界である。

 赤しそに怪談話を聞かせる中年の女の噂が広まり、回り回って稲川淳二の耳に入りでもしたら、新作の怪談話として紹介され、齢、四十二にして妖怪デビューしてしまうことになりかねない。

 そんなひと夏の経験も楽しそうではあるが、怪談話の登場人物の女性というのは、大概、華奢な細面と決まっている。私のようなどっしりした女が怪談話の主役を飾るのは少々荷が重い。

  やはりここは、赤しそに意を決してもらって、バンジージャンプでも飛んでもらうほうがいいかもしれない。

「レッツ!バンジー!!」

 軽快な掛け声とともに、峡谷の橋の上から、赤しそが地上に向かってジャンプする。しかし、人のように重みがない赤しその葉は、風に煽られながら落ちていくだけだろう。
 忘れかけていたが、赤しそは葉っぱなのだ。手から離せば、ひらひらと舞う赤い落ち葉になるだけである。

 私はひとつ、深いため息をついた。

 わかってはいたが、どうあがいても、赤しそが青しそになることはない。赤しそシロップを作って飲みたいなら、どうやらこの雨の中、買い物に出るしかなさそうだ。

 





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